2022.5.22 の週報掲載の説教

2022.5.22 の週報掲載の説教

<2022年5月1日の説教から>

『神に選ばれ、召し出される』
ローマの信徒への手紙1章1-4節

牧 師 鈴木美津子

 
パウロは、キリストと出会う前にはキリスト者を迫害する者であった。それが、今や、キリストの福音のために神によって選ばれ、特別に召された「使徒」であることを確信している。実に、パウロの人生はキリスト者になった今のために、つまりあらゆる国の人々が、神を信じ、神の御心に従う歩みをするようになる証人となるために、神によって導かれたということである。それまでの彼の育ち、教育、経歴のすべては、彼が特別な使徒として奉仕するために、神が備えられた賜物だったのである。わたしたちの人生も、無秩序に営まれてきたかのように思われたとしても、決してそうではなく、それぞれが目的のある人生だということである。

では、特別な使徒であるパウロの宣べ伝える福音とは何か。それはキリストの福音である。この福音には、私たちの救いのため、また私たちを幸せにするために必要なすべてがある。私たちがキリストを信じることで、罪の赦しがあり、神との和解があり、義と認められ、そして永遠の生命・真の生命が与えられる。神の子となる特権が与えられ、真の自由が与えられる。永遠の御国が保証され、神と共に歩んでいくことができる。死から生命へ、暗闇から光へ、絶望から希望へ、悲しみから喜びへと導かれる。それらすべてが、福音を信じ受け入れた者への恵みなのである。

パウロがこの手紙を書いたのは、57年頃、第三回伝道旅行において、エフェソを追い出されるように出て、コリントに滞在していた三カ月の間といわれている。彼はここからローマ、更にはイスパニア(現在のスペイン)に伝道しようと計画していたが、その前に、エルサレムの貧しいキリスト者に、ギリシア各地で集めた献金を届けようと、彼の思いとは逆の方向へ出発しようとしていた。パウロは、取り急ぎ、ローマの教会へ挨拶の手紙を送り、御霊の賜物を分かち合いたい、互いに信仰によって励ましを受けたいとその熱心な思いを伝えようとしたのだ。ローマの教会はパウロによって建てた教会ではない。つまり、彼には少なくとも、事前に挨拶を送ると同時に、自分の素性を明らかにする必要があったので、自分の信ずるところを隠すことなく記している。私たちは、この手紙を読み進めて行くことで、自分の内面と向き合わされることになる。多くの人にとって、自分の心の内を見つめるのは苦手であろう。しかし、聖書は、自分の内面を見つめ、自分を知り、乗り越える苦しみを通してこそ成長すると教えている。これから、皆さんとこの手紙を読み進めることで、共に心の内面を見つめる旅路を歩みたいと思う。