2022.5.29 の週報掲載の説教

2022.5.29 の週報掲載の説教
<2022年5月8日の説教から>

 
『主イエス・キリストの福音』
ローマの信徒への手紙1章1~7節

 
牧 師 鈴木美津子

 
私たちにとって、「信仰」とは、心からキリストがなしてくださった出来事を自分のものとして受け容れることである。私たちの人生とっての真の福音とは、「旧約聖書に約束された罪の赦しとそれに基づく神との親しい交わりを、実現するために、御子はダビデの子孫として生まれ、私たちの罪を担って十字架の呪いの死を死んで、復活した」、主イエスによって実現した、この救いの出来事である。私たちはその救いの出来事を知るために聖書の言葉に耳を傾けるのである。

この福音が宣べ伝えられるところに、信仰によって従順に生きる道が開かれる。なぜなら、復活された主イエスは、今も天の父なる神の右に座しておられ、御名によって二人、または三人が集まるただ中にいてくださるからである。主イエスは、私たちの目には見えないけれど、聖霊と御言葉において臨在され、私たちに信仰を与え、主イエスに心から従う者としてくださる。

パウロは、この福音を宣べ伝え、御名を広め、すべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて、特別な使徒とされたのである。そのパウロが、この福音を宣べ伝えることができるのは、御名において臨在される主イエスの働きを信じるからである。パウロの知恵や言葉が、すべての異邦人を信仰の従順に導くのではない。御名において臨在される主イエスが、すべての異邦人を信仰の従順に導かれる。

パウロは、「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいる」と記している。私たちもまた御名において臨在される主イエス、聖霊と御言葉において臨在される主イエスによって、信仰の従順へと導かれ、イエス・キリストのものとなったのである。主イエスを信じる者を、「キリスト者」と呼ぶが、私たちは、まさしくキリストのもの、僕である。私たち「キリスト者」は、主イエスを信じて、主なる神を父とし、主イエスにあってすべての罪を赦され、神との親しい交わりに生かされているのである。

この同じ神の約束を聖書から聞くことができることを喜びつつ、期待を持って、皆様と共にローマの信徒への手紙の学びを続けて行きたいと思う。