2022.6.26 の週報掲載の説教

<2022年5月29日の説教から>

ただ信仰によってのみ生きる

ローマの信徒への手紙1章16節~17節

牧師 鈴木 美津子

パウロにとって、キリストの福音は「救いをもたらす神の力」に

他ならない。人間が成し遂げることができない救いの道を、イエス・キリストが切り開いてくださったからである。しかも、この救いをもたらす神の力は、ユダヤ人だけでなく、ギリシア人をはじめとする異邦人すべてに与えられるものである。ただし、この救いに与ることができるのは、キリストの福音を信じる信仰のみによる。
信仰とは、この救いを受け取る手段である。どんなに救いの恵みを注がれたとしても、それを受け取る器がなければ、救いの恵みを受け取りようがないからである。その器となるものが信仰である。この信仰があるからこそ、ユダヤ人をはじめギリシア人にも救いがもたらされる。信仰がなければ、人はキリストの福音を愚かな言葉として退け、つまずきを与える教えとして、結局のところ、救いから自分を遠ざけてしまうからだ。
パウロは、この福音には神の義が啓示されているという。それは、罪人を裁く義だけではなく、私たち罪人を赦す義でもあり、それをただで受け取るものが信仰である。神の義は信仰に始まり信仰へと至る神の義である。なぜなら、人間が行いによって勝ち取ることのできない義を、キリストが身代わりとなって実現されたからである。

しかし、この信仰を通して実現される救いは、今まで耳にしたこともないような新しい教えではない。旧約聖書の預言者の口を通して、すでに告げ知らされている。旧約聖書ハバクク書2章には、「しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」と告げられている。高慢な者は、主の言葉を信仰によって受け取ることはできない。しかし、神の言葉をただ信仰によって生きる人が、神の義を受けて救いに至るのである。

私たちは、今、約束された天の御国の途上にある旅人。「ただ信仰によってのみ生きる」私たちの辿り着く先には、先に召された愛する方々の笑顔がある。何よりも栄光のキリストが完全な姿で手を広げて待っておられるのである。