2022.12.4 の週報掲載の説教

2022.12.4 の週報掲載の説教
<2022年10月16日日の説教から>

『一人の人アダムの罪と死』

ローマの信徒への手紙5章12節~14節

牧 師 鈴木 美津子

 
人類の罪の起源は、はじめの人アダムにある。彼は、神が「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない(創2:17)」と、命じた掟に背き、禁じられていた木の実を食べてしまったことによって、罪と死に支配される者となった。

しかし、その罪と死の支配は、アダムだけにとどまらず、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者をも支配した。なぜなら、はじめの人アダムは、全人類の代表者として罪を犯したので、それ以降の人類は、生まれながらにアダムの罪を転嫁され、アダムと共に罪と死に支配される者となったのである。なぜなら、全人類はアダムと一つであり、アダムと共に罪を犯したと見做されるゆえである。アダムの罪は彼が代表した者たちすべてに転嫁され、それゆえにその罪の罰もまた死も全人類のものとなったのである。

ところが、パウロは、「実に、アダムは来たるべき方を前もって表す者(14)」であると、記す。彼は、これまで、イエス・キリストを信じる信仰によって、人は神の御前に義とされることを語ってきた。自分で律法を守ることによってではなくて、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ人は義とされる、と語ってきた。これは考え方によっては甚だ虫の良い話である。罪のない御方であり、何一つ罪を犯さなかったイエス・キリストが、神の御前に義とされるのはもっともであるが、そのイエス・キリストをただ信じるだけで私たちまでもが義とされるとは一体どういうことなのか。

しかし、パウロは、アダムとあなたたちとの関係を考えてみよと言う。あなたたちは、アダムの違反と同じような罪を犯したわけではない。しかし、あなたたちのうえに厳然たる事実として死は支配しているではないか。そうであれば、来たるべき方であるイエス・キリストの場合も同じである。人類の代表者であるアダムによって、私たちが罪と死の支配に置かれていたように、今や私たちは、人類の代表者としてのイエス・キリストによって、義と生命の支配に生かされているのである、とパウロは語るのである。