全国連合婦人会修養会




◇6月21日(火)~22日(水)北海道札幌北一条教会において
 全国連合婦人会修養会が行われました。
 講師:八田牧人(札幌発寒教会牧師)
 主題:「真理はあなたたちを自由にする」
 
   参加者:73 教会・伝道所  合計363名(浦和18名)でした。
   
 参加者全員の写真です。
   

講演会のお知らせ

◇原発事故に関する講演会(入場無料)
 
 日時:7月8日(金)18時~
 場所:明治学院大学 白金校舎 1254教室
 主題:「被造物のうめきが聞こえる
          ― 聖書から見た福島原発事故 ―」
 講師:上山修平氏(日本キリスト教会 横浜海岸教会 牧師)
            

聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー創世記44章1節-34節 2011年6月23日

 創世記44章1節-34節 2011年6月23日
 43章の第2回目のエジプト行きの時、食料調達という責任を果たした兄弟たちであった。
 ヨセフはベニヤミンと会うことになった。彼は「奥の部屋で泣いた」(43:30)のであった。その後兄弟たちはヨセフの法外なもてなしを受け、ベニヤミンには5倍もの料理が用意されていたと書かれており、ヨセフの喜びが表わされているように描かれている。しかし兄弟たちは気付かなかった。
 44章では、兄弟たちが帰ることになるが、彼らはその成果を喜んでいたに違いない。ベニヤミンが取られることもなく、シメオンを奪還し、食料を調達し、もてなしまで受けた。以前の訪問よりはるかに気分良く家路に向かっていたと思う。しかしヨセフはさらに仕掛けを打つ。
 なぜこのような計略にでたのだろうか。彼は何をしようとしていたのだろうか。このような疑問が出てくる。これは単なる濡れ衣であり、兄弟たちにとっては迷惑な話である。しかしある注解書にはこのようにある。「ヨセフはこのことを通して、もっと大きな愛を兄弟たちと故郷に残っている父ヤコブに与えようとしているのだ」と。さらにこの試みは、兄弟たちの悔い改めと愛を確かめたい、(これまで何度も確かめているのであるが)、のであろう。
※5節には「占い用の杯」が出てくるが、その方法は杯に水を入れ油をたらして文様を見たり、金、銀、 宝石を杯に投げ入れて沈む様子を観察して占ったと言われる。また一方でこの杯はヨセフが日常使って いたものであることも書かれている。占いはイスラエルで禁じられていたので、兄弟たちを欺くために エジプト風をことさら装ったと考えられる。とあるがそうだろうか。疑問である。
 7節以下では兄弟たちは銀の食器など盗むはずがないと言う。しかしそれは見つかってしまった。11節で彼らは袋の中を確認するのだが、ベニヤミンの袋の中にその食器が見つかってしまった。「彼らは衣を引き裂いて・・」とあるように、「何という事だ!」という悲しみの表現であろう。この辺りが非常にドラマチックに描かれている。彼らの悲嘆の姿が映し出されている。
 この時ユダは16節でこう言っている。「ご主君に何と申し開き出来ましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証を立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです」。ここでユダは「神が僕どもの罪を暴かれた」と言っているが、これは何故であろうか。これはヨセフが仕組んだものであり、彼らはその計略にはめられたのである。林嗣夫は次のように言う。「銀の杯は身に覚えのないことですが、だからと言って、自分たちは罪のない聖なる者だとは言えません。このことを機会に、ユダは自分たちの罪を知らされ、それを告白しました。」続けてこう言います。「我々はよく、こんなに真面目にやっているのにとか、不満を漏らすことがあります。ユダは、かつてヨセフを売り渡した後、悔い改めて生活していたのではないでしょうか。しかし災難が降りかかってきました。彼はこのとき、こんなに真面目になったのにと愚痴を言うようなことはしませんでした。今度のことでエジプトの首相に対して『身の潔白』を表わすことは難しい。まして神の前では、どうして罪人でないと言えるだろうか」と。
 ヨセフがエジプトに売られて来たのが17歳。首相になったのが13年後の30歳。豊作が7年続いたので7年足して37歳。さらに凶作が何年続いているのでそれをプラスすると、ヨセフがいなくなってから20年以上も経っている。法律的には時効かもしれない過去の罪であるが、それが無くなったとは考えていないのである。むしろユダは、ここまで神に見過ごされてきたと思っていたが、しかし神の前では逃げも隠れも出来ない、という事を感じたのではないだろうか。
 旧約聖書にヨナの物語がある。彼はニネべに行きなさい、という神の言葉を聞き、そんなことしたくないと逃げていく。しかも彼が逃げたのはタルシシュ行き、つまり正反対の東に逃げていったのである。船の中では彼は神から逃げたと思っていただろう。しかし神の前では逃げも隠れも出来ないのであった。どのような形であれ(あのときは籤を引くという形で)過去の罪が暴かれ、それが無くなることはないのであった。
 18節から「ユダの嘆願」が始まる。これは内容的には「ユダの罪の告白」であると書いてある注解書もあるが、これは嘆願である。(内容的に罪に触れてもいるが)
 彼は極めて具体的にこれまでの経緯を語る。そしてユダは自分がベニヤミンの身代わりになろうとする。ベニヤミンが罪を犯すならば自分がそれを負うという。ベニヤミンが奴隷になるなら自分が身代わりになるという。これがユダの表明した態度であった。
 ここでユダは兄弟たちの代表者として出てきていることに注目したい。つまり彼の言葉は兄弟全員の言葉なのだ。彼の表明は、兄弟全員の表明なのである。従って彼らは、ベニヤミンを何としてでも守る、と固く誓っているのである。ヨセフはこれを聞いた。ベニヤミンは言わばヨセフの分身でもある。もう一つの自分の姿であり、置いてきたカナンでの生活である。つまりベニヤミンを守ることは、自分への態度でもある。そう感じたのではないだろうか。
 彼らは全員が共謀してヨセフを陥れた。ヨセフは売られていった。父は野獣にかみ殺されたと嘆いた。兄弟はその偽装工作をした。それが20年前の彼らの姿であった。しかし今や、状況は変わる。彼らはベニヤミンを命を張って守ろうとしている。それは言うなれば、命を張って自分を守ろうとしている兄たちの姿をここに重ね合わせたのではないだろうか。ヨセフはこの一部始終を自らの目で確認し、彼等の心の奥底にある罪の意識を知り、神の前では隠れることが出来ないことの告白を聞き、ヨセフは確信を得たのであろう。
 しかしここでベニヤミンの罪の身代わりになろうとしているユダであるが、けれども人間の罪を本当の意味で身代わりになれるのはイエス・キリストだけである。ユダがこのイエス・キリストの系図の中に連なっていることの意味をここに見出すものである。
 (日本キリスト教会浦和教会 聖書の学びと祈りの会 奨励:三輪地塩)

6月27日~7月2日の集会

 ◇浦和教職者会         6月27日(月) 10時00分~13時00分
                             (於:バプテスト 浦和キリスト教会)

 ◇東京中会教職者会       6月27日(14時)~28日(12時) 
                             (於:相模原 清流の里)

 ◇聖書の学びと祈りの会     6月29日(水) 19時30分~21時00分(1階 集会室)

 ◇聖書の学びと祈りの会     6月30日(木) 10時00分~11時15分(1階 集会室)

 ◇慶弔委員会          7月 2日(土) 10時00分~12時00分

7月3日の礼拝

 日 時:7月3日 10時30分~11時40分 【聖餐式】

 説教題:「勇気を出せ。力強く証しせよ」

 聖 書:使徒言行録22章22節-23章11節

 説 教:三輪地塩牧師