6月28日~7月4日までの集会

        ◎祈祷題「神学生のため・夏期伝道を覚えて
        〇東京中会教職者会(蒲田御園教会)29日~30日(~)
        〇大戸集会(石井洋子宅)      1日()14:00
        〇聖書の学びと祈り         2日()10:00
         士師記14章(担当 三輪地塩)   司会 伊木 美穂子
        〇聖書の学びと祈り         2日()14:00
         使徒言行録237節~47節      担当 安 井 国 雄

6月28日 礼拝予定

 6月28日 通常の礼拝をおこないます。10時30分~11時30分
  
  説   「5つのパンと2匹の魚を持つ少年」     
 説教者   地塩
7月5日  通常の礼拝をおこないます。10時30分~11時30分 
 
7月12日 通常の礼拝をおこないます。10時30分~11時30分
7月19日 通常の礼拝をおこないます。10時30分~11時30分
 
7月26日 通常の礼拝をおこないます。10時30分~11時30分

2015年6月7日の説教 ヨハネによる福音書5章31節~40節

67日の説教から>

『聖書研究』

ヨハネによる福音書531節~40

                 牧師 三輪地塩

キリストをどう理解し、聖書をどう読んでいるか。我々は聖書からいつもこの問いを受けている。信仰によって読み、信じるという視点から読むことによってはじめて この一冊の書物は、単なる本から一冊の聖なる神の御言葉として立ち上がってくるのである。

現代人である我々は、あの38年間床に伏せていたベトザタの男性が起き上がったことを信じ、そこに信ずべき神を見出すことができるのか、という問いの前に立たされている。神の言葉としての聖書の出来事は、ほかでもなく我々に対して語られ、我々の救いのために語られている。我々はそのことに気付いているだろうか。38年のあの男性は、病気が治ったから奇跡が起きた、というのではない。聖書は癒しの業を行うことに注目させたいのではなく、イエスご自身が神の働きそのものであることを示している。この癒された男性は大変ラッキーなことであった。けれども現実は、我々は一生涯障害を抱えて生きねばならないことが起こり、寝たきりの生活を余儀なくされることもある。そのいずれの生涯においても「神の業は我々に十分である」と信じることが出来るか、そのことが問われている。

第二コリント129節で、体と心の弱さを受けた使徒パウロは言う。「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。パウロは弱さの中にあって、主の恵みは「十分である」と言い切る。そう信じることが出来る神との関係が大切である。

 我々が聖書を読むとき、このような信仰と共に読むべきであろう。神の独り子を証しする書物として読むこと。この聖書を神の言葉と理解し解釈し、その中に神の恵みが十分であることを見出し信ずること。それこそが我々が御言葉を聞きそれに応答する責任である。

 御言葉は既に語られている。キリストがこの世に来られた時から御言葉は我々の傍らにあるのだ。それに適切に応答しそれを受け入れ、それを信ずることの出来るものとなるよう、祈り求めたいものである。