8月30日~9月4日の集会

 聖書の学びと祈りの会 9月1日(水)19時30分
     〃      9月2日(木)10時00分

 生と死の学び     9月2日(木)12時30分         
 

9月5日の説教

 説教題:「ステファノの説教」

 聖 書:詩編72編5節~7節
    :使徒言行録7章1節~53節

 説教者:三輪地塩 牧師


 

主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節

主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節  『その顔は天使の顔のように見えた』  2010年8月29日

 先週私たちは、初代教会の人たちの中で起こった、問題についてみてまいりました。それはギリシャ語を話すユダヤ人、いわゆるヘレニストと、ヘブライ語を話すユダヤ人、いわゆるヘブライ人との間に起こった問題でした。社会的弱者としてのやもめへの配慮が欠けているという事で苦情が出たため、初代教会は「霊と知恵に満ちた人物」を7名選び、それに按手をして教会の働きに就けた、という内容でありました。
 この時選ばれた7人は、ヘレニストとヘブライ人の代表者をそれぞれ選んだというのではなく全員がヘレニストでありました。つまり教会という場所とその教えは、社会的弱者、弱い人、苦しむ人に対して、神の愛と施しを行なうために建てられ、存在している場所だということなのです。私たちの教会は、強い者に迎合し、強い者に味方して生きることではなく、弱く苦しんでいる者たちのために、神の言葉を語り、具体的な奉仕をするように促されているのであります。その事を前回の箇所から聞くことができました。

 しかし今日の箇所では、そのヘレニストたちが問題になっています。ステファノは、選ばれた7人の「霊と知恵に満ちた人たち」の一人でしたから、その言葉においても、信仰においても、人を惹き付け、説得力を持っていたのでしょう。8節には「ステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行なっていた」と書かれております。彼の働きは民衆の心を打ち、また弱る者たちを強め、困る者たちを助ける善き働いをしていた、ということであります。

 しかしそのステファノと真っ向から対立する人々が現われました。「キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々」であります。彼らはが「立ち上がり、ステファノと議論した」とあります。この「解放された奴隷の会堂に属する人々」というのには、云われがあります。古代ローマ帝国時代、紀元前63年にポンペイウスがエルサレムを攻め滅ぼしたことがありました。そのときユダヤ人の捕虜をローマに連れ帰り、奴隷としたのですが、その後間もなく彼らは解放されました。その自由の身となった人たちが、エルサレムに戻ってきて自分たちのシナゴーグ、すなわち「ユダヤ人の会堂」をつくりました。それがここに出てくる「解放された奴隷の会堂」というわけです。また、そこに集まった人々の中には、「キレネとアレクサンドリアの出身者と、キリキア州とアジア州の出身者がいた」と書かれていることから想像しますと、この会堂に属する人たちは「ヘレニスト」であったことが分かります。ヘレニストということは、あの初代教会の中で弱者の立場にあった、やもめたちの立場、ということです。つまり前の箇所では「弱者」として登場したヘレニストが、今度は「強者」「敵対者」として登場してくるわけです。

 そしてこのステファノも同じくヘレニストでありましたから、同じギリシャ語を語る仲間に対して、キリストを伝えるという使命感に燃えていたのでしょう。その情熱を持って多くの議論が交わされたと言います。しかし結果は「知恵と霊によって語った」ステファノに、ヘレニストたちは完全に歯が立たず、太刀打ちできませんでした。主イエスこそ、キリストであるという事を理路整然と語ったことにより、ヘレニストたちは全く反論できなかったということでありましょう。

 しかしこのステファノの言葉は、単なる理論や理詰めの論争、ということではなく、「知恵と霊に満ちた」という言葉から分かりますように、彼の言葉には真実があり、誠実があり、神の義と、神の愛に満ちて

8月23日~28日の集会

 ◇日曜学校誌担当者の引継ぎに関する協議会 8月23日~24日(月・火) 於:池田教会(大阪)

 ◇聖書の学びと祈りの会          8月25日(水)19時30分 奨励:岡野庸子
                             聖書:マルコ福音書8章11節~21節

 ◇聖書の学びと祈りの会          8月26日(木)10時00分 奨励:三輪地塩 
                             聖書:創世記16章

 ◇永井恵実子・高橋耕一 結婚式      8月28日(土)11時30分  於:越谷

8月29日の礼拝

 説教題:「その顔は天使の顔のように見えた」

 聖 書: イザヤ書50章4節~9節
      使徒言行録6章8節~15節

 説教者: 三輪地塩 牧師

秋の伝道礼拝




           <秋の伝道礼拝・壮年会主催講演会>
     9月12日(日) 午前10時30分
       説教「ラザロの復活 ― 主イエスの霊の憤りの意義」
       聖書 ヨハネ福音書11章1節~44節
          ・・・・・・・・・・・・・・
       講師による証し 「この小さい器をも」 午後1時00分
       講演 「荒野に水は流れる」 午後1時30分
            ― この生きにくい世の中で ―
       講師 阿久戸光晴(あくど・みつはる)氏
         (聖学院大学学長・日本基督教団滝野川教会協力牧師)

講師プロフィール
   1973年一橋大学社会学部卒業・1975年同法学部卒業
   1990年東京神学大学大学院博士課程前期終了、神学修士
   米国ジョージア大学法学部大学院特別研究生、エモリ―大学
   神学部大学院MTSコース在籍
   1995年4月聖学院大学助教授に就任し、教授、大学副学長を経て
   2003年12月学長に就任
   キリスト教文化学会前理事長・日本キリスト教教育学会員・
   日本倫理学会員・荒川区不正防止委員会委員長・荒川区民総幸福度
   (GAH)研究座長・日本キリスト教団滝野川教会協力牧師
     
   ≪専門分野≫
   キリスト教社会倫理学、人権・デモクラシーの神学
   ロジャーウイリアムの思想史的研究
   教会と国家の分離の神学的・法学的研究を研究テーマとする
   ≪著書≫
   説教集『新しき生』(聖学院ゼネラルサーヴィス)
   『近代デモクラシー思想の根源~「人権の淵源」と「教会と国家の
   関係」の歴史的考察』(聖学院ゼネラルサーヴィス)
   『ヴェーバー・トレルチ・イェリネック~ハイデルベルクにおける
   アングロサクソン研究の伝統』共著(聖学院大学出版会)他多数