2019.9.29 週報の礼拝案内

週 報 74392019. 9.29
だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペテロの手紙一 5章6節-7節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
奏楽  加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞  ヨエル書3章1節

*讃 詠  (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編146編3節~6a節

*讃美歌  (21)6

<神の言葉>
聖 書 エゼキエル書34章1節~10節 (旧約P.1352)

ペテロの手紙一5章1節~7節  (新約P. 434)

祈 り              増 田 裕 子

*讃美歌  (21)405

説  教 「卑しい利得のためにではなく献身的に」      三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  (21)356

*使徒信条

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

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礼拝当番(今週)三浦、島口、諸見、安井

(次週)松谷、小出、吉田耕、吉田さ

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掃除当番9/22修正しました。
掃除当番(今週)菊地晴、松本、浜田、佐藤真

加藤ヨ、草野、増田

(次週)薄田、青木、志賀洋、越智

藤沢、加藤純

*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.9.29 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

説教「身を慎んで目を覚ましていなさい」

三 輪 地 塩

ホセア書6章1節~3節

ペトロの手紙一 5章8節~14節

讃美歌  545a, 66, 365, 353, 204, 543 岩 本 道 子

 
日曜学校説教「神さまにお応えするために」    岡 野 庸 子

出エジプト記4章1〜17節

【神学校特別講義】

テーマ:「カルヴァンにおける戦争と平和」

講  師:吉田 隆(神戸改革派神学校校長)

*公開講義ですので、どなたも自由にご参加ください。

◇9月から「『教会員の生活』による学びの会」を行なっています。どなたでも参加できます。出席される方は『教会員の生活』をご持参下さい。必要な方は購入できます。

◇共助金庫への個人献金は12月末まで受付けております。

自由献金ですので、1回でも月々でも構いません。

2019.9.29~10.5 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)         9:45

〇クワイア練習                礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

〇日曜学校教師会

今 週 の 集 会

◎祈祷題「入会・受洗志願者のため」

〇聖書の学びと祈りの会        3日(木)10:00

歴代誌下7章(担当 三輪地塩)   司会 伊木 美穂子

〇「生と死」の学び(三浦綾子著『泉への招待』P.239∼245)

担当 松 本 京 子

〇聖書の学びと祈りの会          3日(木)14:00

ヘブライ人への手紙6章13節~20節  担当 岡 野 庸 子

〇神学校特別講義         4日(金)13:30∼16:20

【牧師予定】

〇聖学院大学講義         2日(水)13:00

2019.9.29 週報掲載の説教

<2019年9月22日の説教から>

『なぜ、イサクを』
創世記22章1節~14節

長老 森﨑千恵

創世記22章は「信仰の父」と呼ばれるアブラハム物語のクライマックスです。それまでアブラム(後にアブラハム)は、主を信じ、主のご命令に従って77歳の時生まれ故郷カルデアのウルを妻サライ、甥ロトを伴って離れ、主の示されるカナンの地に移りました。こどものいないアブラムに主は「あなたの子孫は天の星の数のようになる」と言われ、彼が99歳の時に主は「あなたは多くの国民の父となる」との約束をなさり、名前を「多くの国民の父」を意味するアブラハムとされました。そして100歳の時ついにこどもが与えられ、その子をイサクと名付けました。

ところが、22章で主はその独り子を燃え尽くす献げものにしなさいと命じられます。「恵みの神様」と思っている読者はここで度肝を抜かれます。なぜ、どうして?と驚き、怒りさえ覚えます。聖書には、「神はアブラハムを試された。」とあります。神様は、なぜそのような試練をお与えになるのでしょう?

新約聖書ヘブライ人への手紙12章5節に「我が子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。・・・主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆鞭打たれるからである。あなた方は、これを鍛錬として忍耐しなさい。」とあります。神から与えられる試練の意味を考えると、このようにして主を信じる人を強く鍛えることとあります。また主はアブラハムがどこまで主に従順であるかをテストされたとの考えがあります。もうひとつ、試練を通して、気づきを与えることがあります。

この物語は、「主の言葉に従って」行動するアブラハムに、最後にはイサクに代わって献げ物になる雄羊を「主は備えてくださる」ことを示すと同時に、そのような人間には無理と思える要求をなさるのは「主の主権」を表されたのだと理解します。ヨブ記にありますように「主が与え、主が取られたのだ、主の御名はほむべきかな」なのです。恐らく多くの場合私達は「主の主権」を忘れて、つまり自分の命の初めから終わりまで主の御業だということを忘れて過ごしていることを思わされます。被造物である私たちは、主の主権に信頼し、試練には主の備えを信じて忍耐する信仰をと願います。