2018.06.24の説教から

624日の説教から>
『私を何者だというのか』
          マルコによる福音書827節~30
                      牧師 三輪地塩
 
 「人々はわたしのことを何者だと言っているのか」この質問は非常に深い。周囲の人々(民衆たち)の客観的な評価ではなく「あなたがたはどうなのか」と、弟子たちの主体的信仰告白を問うている。これは我々への問い掛けでもある。
 この問いは、ゲーテ、トルストイ、ニーチェ、太宰治、遠藤周作など多くの文学者たちの関心事でもあった。文学者の関心は、「史実のイエス像」に迫ることではない。彼ら文学者たちが、イエスをどう理解し、どう聖書から読み取るか。また、彼らにとってイエスとは誰なのか、という問いである。あらゆる文学作品には、書く者の人間観、信仰観、人生観などが反映され、ロマンティックな人はロマンティックなイエスを、革命的な人はイエスを革命家として描き出してきた。
 だが、この箇所の「私を誰というか」の問いは、必ずしも文学者たちの関心事を言っているのではない。「あなたたちにとって、イエスとは何なのか」である。
 我々にとって、人と人との関係はいつも決断的である。例えばこんなことがあるだろう。自分の親友の悪い噂を聞いた時、我々はどうするか。本人に何も確認することなく、その噂話を信じるのか。それとも自分が知っている親友を信じて、噂話を一蹴するのか。そこには、我々の決断がある。「いじめの構造」なんかも、似た構造をしているかもしれないが、重要なのは、その人が(親友)が、あなたにとって誰なのか、あなたにとってどういう存在であるのか、に掛かっている。問題は人の噂ではない。自分の主体性である。人がなんと言おうと、私はその人をどう理解し、どう信じるか、である。
我々の信仰もこれに似ている。あなたにとってキリストとは誰かの問いに対し、ペトロが躊躇せずに「あなたはメシアです」と答えたように、告白したいものである。
 

2019.01.06~12 今週の集会

  今 週 の 集 会
◎祈祷題「中会日曜学校教師研修会のため」
「各団体総会のため・新委員のため」
大会歴史編纂委員会(西経堂伝道所)  8日(火)1100
初週聖書の学びと祈りの会             10日(木)1000
  歴代誌上11章(担当 三輪地塩)  司会 
「生と死」の学び(「泉への招待」三浦綾子著) 同
                    担当 伊木 美穂子
初週聖書の学びと祈りの会            10日(木)1400
  ヤコブ書31318節        担当 大月 美智子
〇トレインキッズ(餅づくり)     12日(土)1100

2019.01.06 礼拝予定

   主 日 礼 拝  午前 10:30
          <新年合同礼拝・聖餐式>
 
    奏楽 
 
                     <神の招き>
 
招 詞 詩編119105
*讃 詠  546
*罪の告白と赦し 交読詩編12515
*讃美歌  6
 
<神の言葉>
聖 書 創世記121節~9節  (旧約P.15
   ヘブライ人への手紙118節~12
               (新約P.415                         
color="#000000">祈 り                                                                         
*讃美歌 312
   新しい年が与えられて」 三 輪 地 塩
 
                                                       
<神への応答>
*讃美歌 332
*日本キリスト教会信仰の告白
 聖餐式  205
 公 告 
*献金感謝           
*主の祈り (座席前そなえつけ)  
*頌 栄  541
*派遣と祝福
後 奏  

その他・集会

        ◇2019年 年始の日程
新年礼拝  1月6日(日) 10:30~ 聖餐式  (礼拝後、1月定期小会)
初週祈祷会 1月10日(木)10:00~   14:00~
*元旦礼拝は行いません。1月3日の祈祷会は休会です。