2025.8.10 主日礼拝の案内

2025.8.10 主日礼拝の案内

週 報 81巻 32号   2025.8.10

 
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

(マタイによる福音書5章9節)

 
主 日 礼 拝    2025.8.10    午前 10:30

 
< 平 和 祈 念 合 同 礼 拝 >

 
奏楽 板 垣 玲 子

 
<神の招き>

 
招 詞  イザヤ書2節~4節

 
讃 詠  (21)83(1)  聖なるかな

 
1 聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、主なる神。
主の栄光は 地に満てり。
聖なるかな、主なる神。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-083.htm
 
罪の告白と赦し 詩編143編1節~6節
1【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
3 敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
4 わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
5 わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
6 あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
讃美歌  (21)13  みつかいとともに

1 みつかいとともに イェスのみ名の
力をたたえて 主をあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。

2 いのちをささげし あかしぴとよ、
ダビデのみ子なる 主をあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。
3 まことの神にて まことのひと、
あがないぬしなる 主をあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。
4 世のつみびとらよ、イェスの愛と
悩みをおもいて 主とあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。
5 世界の人々 み前に伏し、
栄光たたえて 主とあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。
6 世界を治むる イェスを仰ぎ、
たたえのうたもて 主とあがめよ。
かんむりをささげて 主とあがめよ。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/index.htm
 
<神の言葉>

 
聖 書   イザヤ書2章1節~5節  (旧約P.1063)
1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
2 終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい
3 多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
4 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
マタイによる福音書5章9節 (新約P.6)

 
 
祈 り                 三 浦 勇 二

 
 
讃美歌 (21)361  この世はみな

1 この世はみな 神の世界、
あめつちすべてが 歌い交わす。
岩も木々も 空も海も
み神のみわざを ほめたたえる。

2 この世はみな 神の世界、
鳥の音、花の香 主をたたえる。
朝日、夕日 空に映えて
み神のみわざを 語り告げる。

3 この世はみな 神の世界、
悪魔の力が 世に満ちても、
わが心に 迷いはなし。
主こそがこの世を治められる。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-361.htm
 
説 教 「平和をつくる人は幸いである」鈴木 美津子

 
 
<神への応答>

 
讃美歌  (21)371  このこどもたちが

 
1 このこどもたちが 未来を信じ、

つらい世のなかも 希望にみちて、

生きるべきいのち 生きてゆくため、

主よ、守りたまえ、平和を、平和を。

2 戦いあらそい ここにかしこに

地をとどろあkして 燃えさかる時、

子らは泣きさけぶ、血をながしつつ。

主よ、とどめたまえ、いくさを、いくさを。

3  「剣を鋤とし 槍を鎌とし、

洪水のように 正義を流せ」。

神のみ言葉は世界にひびく。

主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。

4  このこどまたちの 未来を守り、

生きるべきいのち、共に生かされ、

平和をよろこぶ 世界を望む。

主よ、祝したまえ、大地を、大地を。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-371.htm
 
使徒信条

 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
頌 栄  (21)26  グロリア、グロリア

グローリア、グローリア、グローリア、ちちとみ子に、
グローリア、グローリア、グローリア、せいなる霊に。

 
伴奏リンク;  https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-026.htm
 
派遣と祝福

 
後 奏

 
礼拝当番

(今週)安井 国雄

(次週)松谷 信司

 
献金当番

(今週)薄田 東正 星野 勇

(次週)草野 恵  浜野 陽子

 
ライブ配信当番

(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2025.8.10 ~2025.8.16の集会案内

2025.8.10 ~2025.8.16の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校(2階礼拝堂)             合同礼拝

 
〇聖フランチェスコの「平和の祈り」を全員で朗読 礼 拝 後

 
〇「みんなでかき氷」(1階)           同 上 後

 
 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「敗戦記念日を覚えて」8月15日

 
〇猛暑を考慮し、聖書の学びと祈りの会は、9月11日(木)まで休会

 
【牧師予定】

特になし

 
 週   

 
説教「命の広がり」          鈴木 美津子

詩編67編1節~8節

ヨハネによる福音書12章20節~26節

 
 
讃美歌(21)28、16、531、510、27  田 中 愛

 
 
日曜学校説教 「試練と共に逃れる道をも」 増 田 裕 子

 
コリントの信徒の手紙一 10章13節

2025.8.10 週報教会のお知らせ

2025.8.10 週報教会のお知らせ

 
◇「みんなでかき氷」にどなたも自由にご参加ください。

そうめんも用意してありますので、こちらもどうぞ。

 
◇2025年オンライン神学講座のご案内

 
①オンライン神学基礎講座

 
②中・上級編として、2年間のカリキュラムによる「信徒による説教

奉仕のためのオンライン講座」

 
併せて開講します。詳しくは1階のお知らせ棚に置いてあります。

 
 
◇9月13日~15日の「全国青年の集い」の募金をお願い致します。

浦和教会では7月~8月までを募金の目安としておりますが、「全国青年の集い」では、12月末まで、支援を募集しています。

 
◇暑さのため体調を崩されませんよう水分補給をお忘れなく。

 

2025.8.10 週報掲載の説教

2025.8.10 週報掲載の説教

<2025年7月6日の説教から>

涙を流されるイエス様

ヨハネによる福音書11章28節〜37節

鈴木 美津子

 
「イエスは涙を流された(35)」。この有名な一節には、主イエスの深い心の動きが表れています。ここで使われている「涙を流された」という言葉は、マリアやユダヤ人たちのように声をあげて泣くのではなく、静かに涙があふれ出ることを意味している。主イエスは、愛する者の死によって嘆き悲しみに沈む人々の姿を見て、心を痛め、深く悲しみ、涙されたのである。

主イエスは、死という神の命とは正反対の力に、人間が支配されている現実を見つめ、その痛みと苦しみを、まるでご自身のことのように受け止められた。ヨハネ福音書は、主イエスを「私たちの悲しみを共に背負うお方」として描いているのである。そして、愛が破れるところにこそ、神の愛はより深く注がれるのだと語っている。

主イエスは、ラザロの復活を通して、「もし信じるなら、神の栄光を見る」と語られた。確かにラザロはこのとき生き返ったが、再び死ぬ日が来る。主イエスがこの出来事によって真に新しく生かそうとされていたのは、マルタとマリア、そして私たち自身である。ラザロの復活の出来事が示しているのは、死や病のただ中にあっても、神との交わりが絶たれることはないということである。神が与えてくださる命は、永遠に続くからである。

使徒パウロは「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(コリント一15:42-43)」と語っている。この復活の命の約束は、将来の希望であると同時に、「今を生きる」私たちに向けられた恵みでもある。「あなたはそれを信じるか?」主イエスは、私たちの嘆きや悲しみに共に涙を流しながら、命への信仰へと私たちを招いておられるのである。