2025.8.31 主日礼拝の案内

2025.8.31 主日礼拝の案内

 
週 報 81巻 35号   2025.8.31

 
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。

神の国はこのような者たちのものである。」

( マルコによる福音書10章14節)

 
主 日 礼 拝     2025.8.24   午前 10:30

 
奏楽 田 中 愛

 
<神の招き>

 
招 詞  詩編55編23節
23あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。
讃 詠 *545A  父のみかみに
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらの御栄えあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
罪の告白と赦し 詩編32編1節~5節
1【ダビデの詩。マスキール。】
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
2 いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
3 わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
4 御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ
5 わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
 
 
讃美歌 *465  うれしきあさよ

1.うれしき朝よ、空はあおく、

日はうららかに 照りわたれり。
楽しきこの日、きよきこの日、
歌ごえあわせ 神をたたえん
2.花のかおりは 四方にみちて、

ことりの歌は そらにひびく。
楽しきこの日、きよきこの日、
歌ごえあわせ 神をたたえん
3.ものみなこえを うちそろえて、
神のさかえを ほめうたえり。
楽しきこの日、きよきこの日、
歌ごえあわせ 神をたたえん
 
<神の言葉>

 
聖 書 詩編131編1節~3節     (旧約P.973)
1【都に上る歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしの心は驕っていません。
わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを
わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
2 わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。
3 イスラエルよ、主を待ち望め。
今も、そしてとこしえに。
マルコによる福音書10章13節~16節(新約P.81)

 
祈 り                 三 浦 勇 二

 
讃美歌  *461  主われをあいす

1.主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す
2.わが罪のため さかえをすてて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す
3.みくにの門(かど)を ひらきてわれを
招きたまえリ いさみて昇(のぼ)らん
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す
4.わが君(きみ)イエスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す
 
 
説 教

「子どもたちを抱き上げ、祝されるイエス様」鈴木 美津子

 
 
<神への応答>

 
讃美歌 (21)371  このこどもたちが

 
1 このこどもたちが 未来を信じ、

つらい世のなかも 希望にみちて、

生きるべきいのち 生きてゆくため、

主よ、守りたまえ、平和を、平和を。

2 戦いあらそい ここにかしこに

地をとどろかして 燃えさかる時、

子らは泣きさけぶ、血をながしつつ。

主よ、とどめたまえ、いくさを、いくさを。

3  「剣を鋤とし 槍を鎌とし、

洪水のように 正義を流せ」。

神のみ言葉は世界にひびく。

主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。

4  このこどまたちの 未来を守り、

生きるべきいのち、共に生かされ、

平和をよろこぶ 世界を望む。

主よ、祝したまえ、大地を、大地を。

 
 
使徒信条

 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
頌 栄 *542  よをこぞりて
よをこぞりて ほめたたえよ
みさかえつきせぬ あまつ-かみを
アーメン
 
派遣と祝福

 
後 奏

 
 
礼拝当番

(今週)野田 昭子

(次週)國見 照子

 
献金当番

(今週)安井 英子 國見 照子

(次週)福永 真理 石井ひろみ

 
ライブ配信当番

(今週))小出 勝

(次週)新畑 信

 
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神がわたしたちを憐れみ、祝福し、

御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。

あなたの道をこの地が知り、

御救いをすべての民が知るために。

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2025.8.31 ~2025.9.6の集会案内

2025.8.31 ~2025.9.6の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校(2階礼拝堂)    合同礼拝

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「対面礼拝にも配信礼拝にも出席できない人のため」

 
〇猛暑を考慮し、聖書の学びと祈りの会は、9月11日(木)まで休会

 
【牧師予定】

9月 2日(火) 人権委員会(ウェブ 10:00〜)

 
 週   

 
< 聖  餐  式 >

 
説教「主イエスの栄光」   鈴木 美津子

 
イザヤ書53章1節~12節

ヨハネによる福音書12章36節b~43節

 
讃美歌          三 輪 志 都

(21) 28、13、311(1,2,6)、522、81、24

 
日曜学校説教「神は言われた。『光あれ』」

創世記1章1節~5節     加 藤 純 子

2025.8.31 週報教会のお知らせ

2025.8.31 週報教会のお知らせ

【ウエストミンスター小教理問答】

 
問69 第六戒では、何が禁じられていますか。

 
答 第六戒が禁じている事は、私たち自身の命を奪うこと、あるいは

隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事

です1。

1 使徒16:28  創世9:6

 
◇9月13日~15日の「全国青年の集い」の募金を、浦和教会では

本日まで行っています。どうぞ宜しくお願いいたします。

 
◇本のご案内

日本キリスト教会神学校 植村正久記念講座

「植村正久と日本の教会」―現代日本を植村正久と語る―

植村正久没後100年、教会形成に生涯を献げた植村正久との対話を

通して、宣教のあり方を問い直したい。A5判 定価2,600円

(1階に申込書があります)

 
暑さが続いています。
体調を崩されませんよう水分補給をくれぐれもお忘れなく。

2025.8.31 週報掲載の説教

2025.8.31 週報掲載の説教

<2025年7月20日説教から>

「身代わりの死」

ヨハネによる福音書11章45節~57節

牧師  鈴木美津子

ここでは、ラザロの復活後に起こった出来事を通して、「身代わりの死」という福音の核心が語られている。死者ラザロの復活という最大の奇跡が、多くの人を信仰へ導く一方で、宗教指導者たちの反発を招いた。主イエスの奇跡を目撃し信じる者もいれば、最高法院に告げ口する者もいたからである。最高法院は、サドカイ派とファリサイ派という本来対立する派閥が、主イエスという共通の「脅威」に対して結託した。その背景には、ローマ帝国への恐れと、自分たちの地位・秩序を守ろうとする思惑があった。

この中で、大祭司カイアファは「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方がよい」と発言する。これは政治的打算からの犠牲論であったが、ヨハネはこれを神の預言として読み解いている。カイアファは意図せず、主イエスが国民だけでなく「散らされている神の子たちを一つに集めるため」に死ぬことを語っていたのである。つまり、人間の悪意や計略の背後で、神の救いの計画が粛々と進められていたのである。

「身代わり」とは、他者のために自ら犠牲となること。旧約のいけにえ制度に見られるように、罪の赦しのためには身代わりが必要とされた。新約では、罪なきキリストが私たちの罪のために十字架で死ぬことによって、この身代わりが完全に成就した。それはローマ5章8節が示す神の愛の極みである。

旧約聖書イザヤ書49章は「主の僕」の使命を語り、イスラエルを回復し、地の果てまで救いをもたらす者を預言している。やがてこの僕は、53章の「苦難の僕」、すなわち人々の罪のために苦しみ、命をささげる身代わりの僕へとつながる。それがイエス・キリストにおいて実現したと新約聖書は告げる。

この出来事から私たちは、人間の歴史の表舞台で権力者たちが動く一方、その背後で神の救いの計画が静かに、しかし確実に進んでいることを知る。主イエスの十字架は、単なる犠牲ではなく、全人類の罪の贖いとしての身代わりの死であり、神の愛の決定的な証しである。

この福音は今を生きる私たちにも変わらず注がれ、神は人間の不信や悪意さえも用いて、ご自分の救いの御業を成就される。主イエスはこうして十字架への道を歩まれ、私たちに命を与えるために、ご自分を差し出されたのである。