2025.10.5 主日礼拝の案内

2025.10.5 主日礼拝の案内

その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。

(ヨハネによる福音書13章25節~26節a)

 
週 報 81巻 40号 2025.10.5

 
主 日 礼 拝    < 聖 餐 式 >  午前 10:30

 
奏楽 三 輪 志 都

 
<神の招き>

 
招 詞  マタイによる福音書5章3節~10節
3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4 悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
5 柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
6 義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
7 憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8 心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9 平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10 義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
 
讃 詠 (21)83(1) 聖なるかな

1 聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、主なる神。
主の栄光は 地に満てり。
聖なるかな、主なる神。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-083.htm
 
罪の告白と赦し 詩編1編1節~6節
1 いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
2 主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
4 神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
5 神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
讃美歌  (21)58  み言葉をください

 
<神の言葉>

聖 書

詩編41編1節~14節      (旧約P.874)
1【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
2 いかに幸いなことでしょう
弱いものに思いやりのある人は。
災いのふりかかるとき
主はその人を逃れさせてくださいます。
3 主よ、その人を守って命を得させ
この地で幸せにしてください。
貪欲な敵に引き渡さないでください。
4 主よ、その人が病の床にあるとき、支え
力を失って伏すとき、立ち直らせてください。
5 わたしは申します。
「主よ、憐れんでください。
あなたに罪を犯したわたしを癒してください。」
6 敵はわたしを苦しめようとして言います。
「早く死んでその名も消えうせるがよい。」
7 見舞いに来れば、むなしいことを言いますが
心に悪意を満たし、外に出ればそれを口にします。
8 わたしを憎む者は皆、集まってささやき
わたしに災いを謀っています。
9「呪いに取りつかれて床に就いた。
二度と起き上がれまい。」
10 わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにします。
11 主よ、どうかわたしを憐れみ
再びわたしを起き上がらせてください。
そうしてくだされば
彼らを見返すことができます。
12 そしてわたしは知るでしょう
わたしはあなたの御旨にかなうのだと
敵がわたしに対して勝ち誇ることはないと。
13 どうか、無垢なわたしを支え
とこしえに、御前に立たせてください。
14 主をたたえよ、イスラエルの神を
世々とこしえに。
アーメン、アーメン。
ヨハネによる福音書13章21節~30節(新約P.195)

 
21 イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 
22 弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。 
23 イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。 
24 シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。 
25 その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、 
26 イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。 
27 ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。 
28 座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。 
29 ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。 
30 ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
 
 
祈 り

 
讃美歌  (21)299  うつりゆく世にも

1 うつりゆく世にも かわることない
主イェスの十字架は われらのほこり。

2 おそれとなやみの せまるときにも、
十字架は平和と よろこび満ちる。

3 十宇架の上より 光はさして、
ゆくべき旅路を 照らしみちびく。

4 喜ぶときにも 悲しむ日にも、
主イェスの十字架は 平和与える。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-299.htm
 
説 教 「主よ、それは誰のことですか」 鈴木 美津子

 
<神への応答>

 
讃美歌 (21)447 神のみこころは

1 神のみこころは つねにいと正しく、
信じるものらを み手もて助けたもう。
悩みより救う 深きあわれみ
われら心より 信じてより頼まん。

2 わが主は慰め わがいのちの望み、
出来事生み出す 真実のみことば。
われらの全てを み手におさめて、
髪のひとすじも 残さず数えたもう。

3 すべてを知りたも み神を恐れつつ
み顔をしたいて 安らぎを身に受けん。
終わりの時にも 迷わず委ねん。
罪も死も陰府も われに勝つことなし。

4 悩み、苦しみに 嘆くわれをとらえ、
おじまどう者を 慰めたもう主は
せつなる祈りを 拒むことなし。
聖き主のみ名を とわにたたえよ、アーメン。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-447.htm
 
日本キリスト教会信仰の告白

わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。 神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。 旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。 教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。 古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。 わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

 
聖餐式 (21)78 わが主よ、ここに集い

1 わが主よ、ここに集い
したしくみ顔あおぎ、
わがすべて 主にゆだね
み恵みを待ち望む。

2 主の糧 共に食し
杯 共に受けて、
わが心きよめられ
深き罪 あがなわる。

3 わが主よ、主のほかには
助けも望みもなし。
ただ主こそわが力、
祈りつつ 求めゆかん。

4 わが罪、わが思いを
潔めし 主の血しおよ。
主の正義 身にまとい
恐れなく 進みゆかん。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-078.htm
 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
頌 栄 (21)29 天のみ民も

天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-029.htm
 
派遣と祝福

 
後 奏

 
聖餐補佐

安井、三浦、森﨑、松谷

 
礼拝当番

(今週)増田 裕子

(次週)安井 国雄

 
献金当番

(今週)森﨑 千恵 越智まり子

(次週)野田 昭子  菊池 淑子

 
ライブ配信当番

(今週))小出 勝

(次週)新畑 信

 
*******************************************************

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、

御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。

あなたの道をこの地が知り、

御救いをすべての民が知るために。

*******************************************************

2025.10.5 ~2025.10.11 の集会案内

2025.10.5 ~2025.10.11 の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校(2階礼拝堂)      9:00

 
〇讃美歌を歌う会       礼拝後

 
今 週 の 集 会

 

◎祈祷題 「日本キリスト教会第75回大会のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会

10月9日(木) は、鈴木牧師が大会出席の

ため休会といたします。

 
【牧師予定】

10月6日(月) マイノリティ宣教センター「つきいちひろば」

(ウェブ 19:00〜20:00)

10月8日(水)〜10月10日(金) 日本キリスト教会大会(柏木教会)

 
 週   

 
説教 「互いに愛し合いなさい」           鈴木 美津子

イザヤ書42章6節

ヨハネによる福音書13章31節~38節

 
讃美歌 (21)28、3、518、417、24        田 中 愛

 
日曜学校説教「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」 鈴木 美津子

マタイによる福音書5章43節~48節

2025.10.5 週報教会のお知らせ

2025.10.5 週報教会のお知らせ

【ウエストミンスター小教理問答】

問74  第八戒では、何が求められていますか。

 
答  第八戒が求めている事は、私たち自身と他人との富や生活

状態を正当に確保し、向上させることです1。

創世30:30、Iテモテ5:8、レビ25:35、申命22:1〜5、

出エジプト23:4〜5、創世47:14、47:20

 
【第75回日本キリスト教会大会のお知らせ】

日 時:2025年10月8日(水)14:00~10日(金)12:30

会 場:日本キリスト教会柏木教会

浦和教会正議員

牧師 鈴木美津子、長老 森﨑千恵、補員 長老 安井英子

投票補助 安井英子   前日準備手伝い 菊地晴子

 
◇訃報

会員戸田直美さんの夫常雄さんが、天に召されました。

10月4日(土)前夜式18:00、5日(日)告別式10:00

 
タビタの会の献金は11月末まで受け付けています。どうぞ宜しく

お願い致します。

 
◇大会共助金庫維持会費(教会共助として)も週報ボックスへ配布いたしました。

それぞれご協力をお願いいたします。

2025.10.5 週報掲載の説教

2025.10.5 週報掲載の説教

<2025年8月24日説教から>

「光の子となるために」

ヨハネによる福音書12章27節~36節a

牧師  鈴木美津子

私たちは闇を恐れ、光を求める存在である。真っ暗な夜道や心の不安の中で、光は私たちに安心と希望を与える。旧約の預言者イザヤは「死の陰の地に住む者の上に光が輝く」と告げ、未来に来る救いと希望の光を示した。この光は単なる慰めではなく、神ご自身がもたらす救いのしるしであり、新約においてイエス・キリストにより成就した。

十字架を目前にした主イエスは「今、わたしは心騒ぐ」と語り、人としての苦悩を経験された。しかし主イエスは神の御心にゆだね、「御名の栄光を現してください」と祈られた。十字架を通してこそ、世界に命と光がもたらされ、人々を神へと引き寄せる救いが成し遂げられるのだ。主イエスの苦悩は、私たちの孤独や不安、痛みと重なる。だからこそ、主は私たちに寄り添い、光の道へ導いてくださる。

けれども人々は神の声を聞いても理解できず、期待との違いに戸惑った。私たちもまた、自分の思い通りの救いを望んでしまう。しかし神の救いは私たちの理解を超えて現れる。だからこそ、「光のあるうちに」光を信じ、身を委ねて歩むことが求められているのである。信仰とは、単なる知識ではなく、主イエスという光に自らをゆだね、導かれる方向へ歩み出すことにある。

主イエスを信じる者は「光の子」とされ、闇に支配されず、周囲に希望を照らす使命を担う。日々の思いやりの言葉や行動、弱い人を支える姿勢が光を放つ。どんなに暗い世界でも、光の子としての歩みは希望をもたらし、闇は決して光に勝てない。この光は特別なものではなく、私たちの生活の中に現れ、導き、周囲を照らす。

この光を信じ、小さな選択や行動に表すとき、世の中に希望の輪が広がる。私たちは今、世の光である主イエスを信じ、神に愛される「光の子」として歩むよう招かれている。光を信じて実践することこそ、私たちの喜びであり生きる力となる。光を信じて歩むとき、私たちは闇に怯えるのではなく、希望を抱いて前へ進むことができるのである。