2025.11.16 主日礼拝の案内

2025.11.16 主日礼拝の案内

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。

力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

(コリント信徒への手紙二12章9節)

 
週 報 81巻 46号 2025.11.16

 
主 日 礼 拝         午前 10:30

奏楽 板 垣 玲 子

司式 安 井 英 子

 
<神の招き>

招 詞  ヨハネの手紙一4章10節~11節

 10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 
11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
 
讃 詠 (21)28 み栄あれや

み栄えあれや、父と子と聖霊に、
はじめも今も とわにかわらず、
み神に アーメン、アーメン。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-028.htm
 
罪の告白と赦し 詩編1編1節~6節
1 いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
2 主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
4 神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
5 神に逆らう者は裁きに堪えず
罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
 
讃美歌  (21)2  聖なるみ神は

1 聖なるみ神は われらの集いに
いま共にいます。
光を放ちて われらの心を
照らしてみちびく。
主よ、語りたまえ、従わん、われらは。

2 救いのみ神は 悔いたる心に
愛をもてせまり、
罪、とが、あやまち ゆるしてみちびく、
きよき心へと。
主よ、支えたまえ、従わん、われらは。

3 いのちのみ神は 主の民守りて、
糧をあたえたもう。
渇ける心に うるおいあたえて
養いたまえり。
主よ、用いたまえ、みわざに、われらを。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-002.htm
 
<神の言葉>

 
聖 書 イザヤ書40章31節   (旧約P.1125)
31 主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
 
コリントの信徒の手紙二 12章9節(新約P.339)

 9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
 
祈 り

 
讃美歌  (21)566 むくいを望まで

1 むくいを望まで 人に与えよ、
こは主のとうとき みむねならずや、
水の上に落ちて 流れしたねも、
いずこの岸にか 生いたつものを。

2 浅きこころもてことをはからず、
みむねのまにまに ひたすら励め。
風に折られしと 見えし若木の、
おもわぬ木蔭に 人をも宿さん。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-566.htm
 
説 教  「弱さの中に働かれる主の力」

代読 三 浦 勇 二

 
<神への応答>

 
讃美歌 (21)451 くすしきみ恵み

1 くすしきみ恵み われを救い、
まよいしこの身も たちかえりぬ。

2 おそれを信仰に 変えたまいし
わが主のみ恵み とうときかな。

3 思えば遇ぎにし すべての日々、
苦しみ悩みも またみ恵み。

4 わが主の み誓い 永遠にかたし、
主こそはわが盾、つきぬ望み。

5 この身はおとろえ、吐を去るとき、
よろこびあふるる み国に生きん。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-451.htm
 
十  戒
わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、
奴隷の家から導き出した神である。
1. あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2. あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、
いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
4 .安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
5. あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
6. 殺してはならない。
7. 姦淫してはならない。
8. 盗んではならない。
9. 隣人に関して偽証してはならない。
10. 隣人の家を欲してはならない。
隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
頌 栄 (21)24 たたえよ、主の民

たたえよ、主の民、みつかいと共に、
恵みにあふれる 父・子・聖霊を。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-024.htm
 
派遣の言葉

 
後 奏

 
礼拝当番

(今週)國見 照子

(次週)三浦 勇二

献金当番

(今週)増田 裕子 白川 典子

(次週)福永 真理 石井 ひろみ

ライブ配信当番

(今週)新畑 信

(次週)新畑 信

 
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神がわたしたちを憐れみ、祝福し、

御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。

あなたの道をこの地が知り、

御救いをすべての民が知るために。

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2025.11.16 ~2025.11.22 の集会案内

2025.11.16 ~2025.11.22 の集会案内

      集 会

 
〇日曜学校             9:00

 
〇コイノニア            礼 拝 後

 
〇讃美歌を歌う会(自由参加)      礼 拝 後

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「東京中会長老執事委員協議会のため」11月24日(月・祝)

 
〇聖書の学びと祈りの会         11月20日(木) 10:00

アモス書7章(担当 鈴木 美津子)     司会 安 井 英 子

 
【牧師予定】

 
〇11月18日(火)半田助二・とみ納骨式(青葉園11:00〜)

 
〇11月21日(金)大会常置委員会・人権委員会合同会議(ウェブ)

 
 週   

 
説教 「共に住んでくださるイエス様」      鈴木 美津子

 
エゼキエル書36章26節〜27節

ヨハネによる福音書14章15節〜24節

 
讃美歌 83(1)、353、529、475、26      田 中 愛

 
日曜学校「洗礼者ヨハネの誕生の予告」      鈴木 美津子

ルカによる福音書19章5節〜25節

2025.11.16 週報教会のお知らせ

2025.11.16 週報教会のお知らせ

【ウエストミンスタ―小信仰問答】

 
問78 第九戒では、何が禁じられていますか。

 
答 第九戒が禁じている事は、何事であれ、真実を損なう事、ある

いは私たち自身や隣人の名声を傷つける事です1。

1 Ⅰサムエル17:28   レビ19:16、 詩15:3

 
◇本日の礼拝は鈴木美津子牧師が東京主僕教会の伝道礼拝説教と午後の講演に奉仕されますので、三浦勇二長老が説教を代読します。

 
◇福音時報と家庭礼拝暦購読を購入希望の方は、配布された袋にその

金額を入れ、11月23日までに、担当國見照子までお願いします。

 
◇2名の神学生を覚えて、「神学校日献金」をどうぞよろしくお願い致します。(12月7日まで受け付けています)

 
◇11月30日(日)礼拝後、みんなで大掃除をします。終了後は、

うどん昼食会をします。ご都合のつく方はご参加ください。

2025.11.16 週報掲載の説教

2025.11.16 週報掲載の説教

<2025年9月28日の説教から>

弟子の足を洗うイエス様

ヨハネによる福音書13章1節〜20節

鈴木美津子

過越祭の前夜、主イエスは弟子たちを「この上なく愛し抜かれた(1)」。その愛は時間の終わりではなく、愛の極みまでの深さを意味する。主イエスは身分を捨て、上着を脱ぎ、たらいに水をくみ、弟子たち一人ひとりの足を洗われた。当時、客の足を洗うのは奴隷の務めであった。主イエスは神の子でありながら、最も低い者の姿をとり、仕える者となられた。
この行為は単なる奉仕ではなく、十字架へ向かう愛のしるしであった。旧約では祭司が務めに入る前に手足を洗って清めた。主の洗足は、新しい契約のもとで弟子たちを仕える者とする清めでもあった。ペトロは「わたしの足を決して洗わないでください」と言ったが、主イエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何の関係もない(8)」と答えられた。ペトロの言葉には謙遜のように見えて、自分を守る傲慢さがあった。真の謙遜とは、神の愛を受け入れ、その愛に身を委ねること。主イエスは裏切るユダの足までも洗われた。愛と裏切りが同じ食卓に並んでも、主は変わらぬ愛で包まれた。愛の光が最も強く輝くところで、神の愛の真実が現れる。

主イエスは「わたしがしたように、互いに足を洗い合いなさい」と命じられた。これは互いに仕え、赦し、支え合うようにとの招きである。教会はこの愛の交わりの中に生かされている。私たちは赦される者として謙り、仕えるのである。
「わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れる(20)」という主イエスの言葉は、御子と父なる神との深い一体性を示している。互いに仕え合うとき、そこに神の愛と交わりが現れる。主イエスの洗足は十字架の愛を先取りし、弱さや裏切りのただ中でも変わらぬ愛を示す。私たちもその愛に洗われた者として、赦しと奉仕に生きる者でありたい。