2018.06.03~09 今週の集会

  今 週 の 集 会
 
祈祷題 「避難訓練のため」610
慰安婦」問題と取り組む会(荻窪北教会)
                    4日()12:00
大会歴史編纂委員会(調査・委員会)(柏木教会)
                  4日()12:00
聖書の学びと祈りの会       7日()10:00         
  列王記下19章(担当 三輪地塩)  司会  志 賀 洋 子
「生と死」の学び(『泉への招待』P.130~P.139) 同上後
                                             担当 増
聖書の学びと祈りの会       7日()14:00
  ミカ書5章            担当 岡 野 庸 子        

2018.05.27~06.02 今週の集会

 
今 週 の 集 会
 
祈祷題「高齢者の教会生活が守られるため」
            (礼拝、祈祷会への出席)
北関東牧師会(南浦和教会)      29日()11:0014:00
聖書の学びと祈りの会      31日()10:00         

  列王記下18章(担当 三輪地塩)  司会佐 藤 允 子

聖書の学びと祈りの会      31日()14:00
  ヤコブの手紙1章9節~18節    担当 大月 美智子
           

埼玉YMCA早朝祈祷会      1日()  7:00

2018.01.07 (新年礼拝)説教から

201817日(新年礼拝)説教から》
                『与えられる神』
             マルコによる福音書22328
                                 牧師 三輪地塩
 「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という十戒(第四戒)の言葉は現代人に多くのことを伝える。出エジプト記2312節に「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やロバが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」とあるように、安息日とは、人間が生き、仕事をするための重要な休息の時間である。興味深いのは、イスラエル人だけでなく、奴隷や家畜たちを休ませよ、と言われていることにある。
当時は奴隷制社会であった。奴隷は、自分の命を主人に預けているので、生きるのも死ぬのも主人の胸三寸であった。今でいう「基本的人権の尊重」「生存権」はなかった。奴隷が死ぬと、また新しい奴隷が補填された。
 これは現代の労働環境問題にも通じる話である。ブラック企業などと言われる法定基準を無視した労働環境を従業員に強いる会社が増えている昨今。使役動物のように働き、会社の歯車として一生懸命に尽くしても、必要がなくなると新しい人が補填される。当時の奴隷の状況に似ている。だが視点を変えると、ブラック企業を作っているのは、我々消費者であるとも言える。「お客様は神様」などという決まり文句が1970年代に始まり、我々消費者は過剰なサービスを求め、客を神のように扱う事を当たり前とする風潮が出来上がってしまった。日本社会は歪な消費者至上主義社会であると言える。
 旧約聖書は、その最初(モーセ五書)から人間の尊厳のみならず、神の造り給う「すべての命」の尊厳が守られることを宣言している。
 神の御言葉(律法・十戒)は、すべての命が尊重され、神の被造物として生きる権利と「責任」を指摘する。或いは、神の愛された被造物として生き「させる」責任を指摘している、と言った方が正しいかもしれない。現代社会に広がる労働の環境は、私たちの罪が重ねられた結果であることを見つめ直し、共に社会を生きる隣人を愛し、尊厳を守り、我々は社会活動・消費活動を行うのである。

2018.05.27 礼拝予定

主 日 礼 拝  午前 10:30
 
        
奏楽 
 
招 詞  マラキ書31
*讃 詠   (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編911416
*讃美歌  (21)7[12
 
<神の言葉>

聖 書 イザヤ書353節~6(旧約P.1116

マルコによる福音書731節~37                                                 

新約P.75

祈 り               増 田 裕 子                  pan lang="EN-US">                                                                                                                                                                         

*讃美歌 (21)392

   エッファタ(開け)」  三 輪 地 塩                 

                                                       
<神への応答>
 

*讃美歌 (21)430

*十 戒
 公 告 
*献金感謝     
*主の祈り (座席前そなえつけ)  
*頌 栄  (21)46
*派遣と祝福
後 奏

ナガミヒナゲシの花(植物画コンクール 最優秀作品賞!!)

浦和教会の日曜学校に出席したことのある内田浩平くん(6年生)が、
東京国立科学博物館主催・第34回 植物画コンクール(2017年)で、小学生の部の最優秀賞である「文部科学大臣賞」を受賞しました!!題材は、浦和教会の花壇に咲いていた 「ナガミヒナゲシ」です。教会の花壇から、こんな素敵な絵画が生まれたんですね。

2017.12.31の説教から

              <1231日の説教から>
            新しいぶどう酒は新しい革袋に」
        マルコによる福音書218-22
                                                      
                                  牧師 三輪地塩
 ここには二つの譬えが語られる。一つ目は「新しい布ぎれを、古い服
に縫い付けることはしない」こと。二つ目は「新しいぶどう酒は新しい革
袋に入れる」こと、である。脈絡なしに書かれているように見えるがそう
ではない。着物とぶどう酒は、当時の結婚式に必要な物の象徴である。
 
 イエスは「新しさ」と「古さ」について教える。まださらしていない新しい
布切れは縮むため、古い布を引きちぎってしまう。新しいぶどう酒を革袋
に入れて発酵させる場合、すでに使い古して伸びきった皮袋に入れる
と、若いぶどう酒は発酵が進み、パンパンに膨れ上がり、しまいには皮
を破いてしまう。つまり、「布」も「革袋」も、新しい物に対して新しい物を
使うことが重要である。
 
 キリスト教信仰においても似ている。古きものを重んじつつ、日々新し
くなっていくことによって信仰者は成長し、教会は成長する。「正しい信
仰者」は存在しないが、「ある特定の時代に限定された、正しい(と思わ
れる信仰者)」なら存在するかもしれない。人間の倫理観や正しさは、い
つも流動的だからである。つまり我々は、いつも時代と共に歩み、時代
の倫理観や文化的制限と共に、限定的・過渡的・暫定的な「正しい信仰
(者)」であることを求める。かつて、魔女裁判なるものが横行したが、当
yle='font-family:"serif";'>時の倫理観では、それは許される「(キリスト教)倫理的行為」であった。
今では考えられない。
 我々は、永遠から永遠に変わらないのが、三位一体なる神のみであ
ることを信じつつ、世の中の事象に目を凝らして歩む民である。決し
て、時代に迎合し、おもねって生きるのとは違う。信仰により日々新た
にされることは、時代を愛し、世界に関心を向け、隣人を大切にする事
によって、生活の中でそれがどう生かされるのか、自分がどう生きて
いくのかを見つめることである。
 イエスの教えは、人間生活を規則で縛るという古いものではなく、人
間に対し、愛を持って包み込むという新しさを、神の中に見出す教えで
ある。当然、その精神は、現在の我々の信仰にも受け継がれている。