2023.6.4 の週報掲載の説教
<2023年4月16日の説教から>
『驚くべき恵み』
ローマの信徒への手紙8章34-39節
牧 師 鈴木美津子
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです(38-39)」。
これは、全ての人間に共通な時間的、そして空間的な枠組みであり、また私たちの人生観世界観の枠組みであるともいえる。要するに私たち人間が知りうるすべてのことである。私たちをキリストの愛から引き離そうとする理由はなんと多いことか。私たちを取り囲み、私たちの知りうるすべてのことが、私たちをキリストの愛から引き離そうとする力となりうるのだ。しかも、ここで列挙されているものに共通していることは無秩序な力であり、人間が頑張って抗える相手ではないということである。しかし、その全てが、私たちに束になってかかってきたとしても、「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」、とパウロは宣言する。それでも尚、私たちは「キリスト・イエスに結ばれている」ことにはなんら変わりがないからである。キリストに結合されている以上、私たちがどうあがいても何ともならない力にでさえ、「神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない、輝かしい勝利」が約束されている。
パウロにとって、大切なことは「キリスト・イエスに結ばれている」という、この真理である。そしてこの真理こそがパウロにとってアメイジング・グレイスなのだ。
Amazing grace・・・、「驚くべき恵み」。実にキリスト教信仰は信じるものを、困惑させるほどの信じ難い驚きなのである。それは不意をつかれて驚くようなことでは決してない。信じられないことを信仰する、これがキリスト教信仰である。それだけ、キリストの恵みは強烈なのである。
2023.5.28 主日礼拝の録画映像
NEW! 2023.5.28 主日礼拝の案内
主 日 礼 拝 2023.5.28 午前 10:30
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週 報78巻22号 2023.5.28
すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。 使徒言行録2章4節
主 日 礼 拝 午前 10:30
<ペンテコステ礼拝・聖餐式>
奏楽 田 中 愛
<神の招き>
招 詞 ヨエル書3章1節
*讃美歌 61(1-4)
聖 書 創世記11章1〜9節 (旧約P.13)
使徒言行録2章1節~13節 (新約P.214)
祈 り
*讃美歌 183(1、3、4)
<神への応答>
*讃美歌 191(1、3、4)
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。
また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
聖餐式 II 179(1-3)
*献金感謝
*主の祈り(座席前そなえつけ)
*後 奏
☆讃美歌の歌う節は( )内に示した節です。
*******************************************************
今こそ私たちの祈りを結集させ、
主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。
主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に *******************************************************
主 日 礼 拝 2023.5.28 午前 10:30
スマホおよびPADでも視聴できます!

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************************************週 報78巻22号 2023.5.28
すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。 使徒言行録2章4節
主 日 礼 拝 午前 10:30
<ペンテコステ礼拝・聖餐式>
奏楽 田 中 愛
<神の招き>
招 詞 ヨエル書3章1節
1 その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
*讃 詠 545A父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらのみさかえあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
*罪の告白と赦し 交読詩編143編1節~6節
1 主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
2 あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
3 敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
4 わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
5 わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
6 あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
*讃美歌 61(1-4)
1.かがやくみとのよ ながとをひらけ、
よろこびいさみて わがたましいは、
きみのきみなる 主をまちのぞむ。
2.ひかりとめぐみと へいわのみてる
わが主のみとのは うるわしきかな。
みまえはいかに したわしきかな。
3.わが神、わが主よ みまえにいでぬ、
主もまた下りて こころのうちを
みやいとなして ましましたまえ。
4.いのれるしもべに 主よ、語りませ。
いのちのいずみは ここにわきいで、
こころの痛み こころにいやされん。
<神の言葉>
聖 書 創世記11章1〜9節 (旧約P.13)
1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
6 言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 9こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
使徒言行録2章1節~13節 (新約P.214)
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
祈 り
*讃美歌 183(1、3、4)
1.主のみたま くだりまし、
わがこころ うごかして、
よわきみを つよくなし、
主よ愛せしめたまえ。
3.主よ、つねに ともにまし、
わがたまを ささえつつ、
うたがいを とりさりて、
みむね知らしめたまえ
4.主のふかき みくるしみ
わがうちに せまりきて、
愛の火を もえたたせ、
主を愛せしめたまえ。
説 教 「聖霊の降臨」 鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 191(1、3、4)
1.いともとうとき 主はくだりて、
血のあたいもて 民をすくい、
きよき住まいを つくりたてて、
そのいしずえと なりたまえり。
3.さわのあらそい み民をさき
よびとそしりて なやむれども
かみはたえざる いのりをきき
なみだにかえて 歌をたまわん
4.世にのこる民 去りし民と
ともにまじわり 神を仰ぎ
とわのやすきを まちのぞみて
君の来ますを せつにいのる。
*日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。
また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
聖餐式 II 179(1-3)
1.みまえにわれらつどい
ともにわかつみ糧を
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
2.み招きにこたえつつ
あずかるさかずきをも
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
3.みわざをたたえうたい
みまえにつどう民を
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
公 告
*献金感謝
*主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
*頌 栄 542
世をこぞりて
ほめたたえよ、
みさかえつきせぬ
あまつかみを。
アーメン
*派遣と祝福
*後 奏
☆讃美歌の歌う節は( )内に示した節です。
*******************************************************
今こそ私たちの祈りを結集させ、
主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。
主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に *******************************************************
2023.5.28 主日礼拝の案内
NEW! 2023.5.28 主日礼拝の案内
週 報78巻22号 2023.5.28
すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。 使徒言行録2章4節
主 日 礼 拝 午前 10:30
<ペンテコステ礼拝・聖餐式>
奏楽 田 中 愛
<神の招き>
招 詞 ヨエル書3章1節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編143編1節~6節
*讃美歌 61(1-4)
<神の言葉>
聖 書 創世記11章1〜9節 (旧約P.13)
使徒言行録2章1節~13節 (新約P.214)
祈 り
*讃美歌 183(1、3、4)
説 教 「聖霊の降臨」 鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 191(1、3、4)
*日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。
また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
聖餐式 II 179(1-3)
公 告
*献金感謝
*主の祈り(座席前そなえつけ)
*頌 栄 542
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 増田 安井 森﨑 三浦
礼拝当番
(今週)増田 裕子
(次週)菊池 晴子
献金当番
(今週)青木 節子 草野 恵
(次週)森﨑 千恵 越智 まり子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
週 報78巻22号 2023.5.28
すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話し出した。 使徒言行録2章4節
主 日 礼 拝 午前 10:30
<ペンテコステ礼拝・聖餐式>
奏楽 田 中 愛
<神の招き>
招 詞 ヨエル書3章1節
1その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
*讃 詠 545A
父の御神に、み子に、きよき御霊に、
むかしながらのみさかえあれや、
ときわに、アーメン、アーメン
*罪の告白と赦し 交読詩編143編1節~6節
1 主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
2 あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
3 敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
4 わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
5 わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
6 あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
*讃美歌 61(1-4)
1.かがやくみとのよ ながとをひらけ、
よろこびいさみて わがたましいは、
きみのきみなる 主をまちのぞむ。
2.ひかりとめぐみと へいわのみてる
わが主のみとのは うるわしきかな。
みまえはいかに したわしきかな。
3.わが神、わが主よ みまえにいでぬ、
主もまた下りて こころのうちを
みやいとなして ましましたまえ。
4.いのれるしもべに 主よ、語りませ。
いのちのいずみは ここにわきいで、
こころの痛み こころにいやされん。
<神の言葉>
聖 書 創世記11章1〜9節 (旧約P.13)
1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
6 言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
9こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
使徒言行録2章1節~13節 (新約P.214)
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
祈 り
*讃美歌 183(1、3、4)
1.主のみたま くだりまし、
わがこころ うごかして、
よわきみを つよくなし、
主よ愛せしめたまえ。
3.主よ、つねに ともにまし、
わがたまを ささえつつ、
うたがいを とりさりて、
みむね知らしめたまえ
4.主のふかき みくるしみ
わがうちに せまりきて、
愛の火を もえたたせ、
主を愛せしめたまえ。
説 教 「聖霊の降臨」 鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 191(1、3、4)
1.いともとうとき 主はくだりて、
血のあたいもて 民をすくい、
きよき住まいを つくりたてて、
そのいしずえと なりたまえり。
3.さわのあらそい み民をさき
よびとそしりて なやむれども
かみはたえざる いのりをきき
なみだにかえて 歌をたまわん
4.世にのこる民 去りし民と
ともにまじわり 神を仰ぎ
とわのやすきを まちのぞみて
君の来ますを せつにいのる。
*日本キリスト教会 信仰の告白
わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。
主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。
また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
聖餐式 II 179(1-3)
1.みまえにわれらつどい
ともにわかつみ糧を
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
2.み招きにこたえつつ
あずかるさかずきをも
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
3.みわざをたたえうたい
みまえにつどう民を
世の光なる主のことばもて
祝したまえ。
公 告
*献金感謝
*主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
*頌 栄 542
世をこぞりて
ほめたたえよ、
みさかえつきせぬ
あまつかみを。
アーメン
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 増田 安井 森﨑 三浦
礼拝当番
(今週)増田 裕子
(次週)菊池 晴子
献金当番
(今週)青木 節子 草野 恵
(次週)森﨑 千恵 越智 まり子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
2023.5.28~2023.6.3 の集会案内
2023.5.28~2023.6.3 の集会案内
本 日 の 集 会
〇日曜学校 合同礼拝
〇朝カフェ 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇礼拝堂の清掃(有志) 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「心身に疲れを覚える方のため」
〇聖書の学びと祈りの会 6月1日(木) 10:00
エゼキエル書2章 (担当 鈴木 美津子) 司会 野 田 昭 子
次 週 礼 拝
説教「信じる者すべてに義をもたらすために」 鈴木 美津子
詩編40編1節~12節
ローマの信徒への手紙 10章1節~4節
讃美歌 545 B、9(1-3)、354(1-3)、332、202、543 板 垣 玲 子
日曜学校説教 「パウロ、エルサレムへ行く 岩 本 道 子
使徒言行録21章7~14節
本 日 の 集 会
〇日曜学校 合同礼拝
〇朝カフェ 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇礼拝堂の清掃(有志) 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「心身に疲れを覚える方のため」
〇聖書の学びと祈りの会 6月1日(木) 10:00
エゼキエル書2章 (担当 鈴木 美津子) 司会 野 田 昭 子
次 週 礼 拝
説教「信じる者すべてに義をもたらすために」 鈴木 美津子
詩編40編1節~12節
ローマの信徒への手紙 10章1節~4節
讃美歌 545 B、9(1-3)、354(1-3)、332、202、543 板 垣 玲 子
日曜学校説教 「パウロ、エルサレムへ行く 岩 本 道 子
使徒言行録21章7~14節
2023.5.28 週報 教会からのお知らせ
2023.5.28 週報 教会からのお知らせ
◇本日、信仰50年を迎えられた岩本道子さんに、
教会からお祝いの品を贈呈いたします。
◇本日9:00から地域の清掃に有志の方が参加いたします。
ご協力感謝致します。
◇本日礼拝後、花壇の雑草除去と手入れを行いますので、
ご都合の宜しい方は、ご協力宜しくお願いいたします。
【大会応援伝道のお知らせ】
・志木北伝道所伝道礼拝 6月18日(日)10:15~11:30
礼拝説教:「憐みの池のほとりで」
講演会:「伝道所と独立教会について」 同日11:40~12:40
説教者、講演者:真田 泉(東京主僕教会牧師 東京中会議長)
・袋井愛野めぐみ教会記念礼拝 6月25日(日)10:00~
礼拝説教:「人生を新たに」 黒田浩史(近畿中会 住吉教会牧師)
*暑くなりましたので、礼拝前後の水分補給をお忘れなく!
◇本日、信仰50年を迎えられた岩本道子さんに、
教会からお祝いの品を贈呈いたします。
◇本日9:00から地域の清掃に有志の方が参加いたします。
ご協力感謝致します。
◇本日礼拝後、花壇の雑草除去と手入れを行いますので、
ご都合の宜しい方は、ご協力宜しくお願いいたします。
【大会応援伝道のお知らせ】
・志木北伝道所伝道礼拝 6月18日(日)10:15~11:30
礼拝説教:「憐みの池のほとりで」
講演会:「伝道所と独立教会について」 同日11:40~12:40
説教者、講演者:真田 泉(東京主僕教会牧師 東京中会議長)
・袋井愛野めぐみ教会記念礼拝 6月25日(日)10:00~
礼拝説教:「人生を新たに」 黒田浩史(近畿中会 住吉教会牧師)
*暑くなりましたので、礼拝前後の水分補給をお忘れなく!
NEW! 2023.5.28 の週報掲載の説教
2023.5.28 の週報掲載の説教
<2023年4月2日の説教から>
『覆すことのできない神の恵み』
ローマの信徒への手紙8章31~34節
牧 師 鈴木 美津子
この手紙を書き送っているパウロは、当時の公の裁判制度の下で幾度となく訴えられている人物である。その被告人である彼が、なぜ誰にはばかることなく「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33a)」、などと言えるか。それは「人を義としてくださるのは神(33b)」のゆえである。パウロは三度に及ぶ伝道旅行中に苦心して集めた献金をささげるために帰ったエルサレムで、逮捕された。その後、彼は殉教の死が与えられるまで囚人という立場で生活した。この世的には被告人、囚人、それがパウロの最終的な身分であった。その現実の中で、「人を義としてくださるのは神」であることを真実に証したのがパウロであった。
彼は、先にローマの教会にこの手紙を書き送った数年後ローマの地に囚人として上陸した。その彼の姿は、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33)」の正反対であった。しかし、訴えられて、囚人として連行されても尚十字架の福音を雄々しく語り続けた彼の姿ほど「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです」との御言葉を雄弁に証したものはない。神が味方である以上、惨めな一人の囚人には、万軍の主が共におられるからである。囚人としてローマに上陸したこの伝道者のみすぼらしい姿は、ローマのキリスト者にどれだけの勇気を与えたであろうか。「神に選ばれた者たち」であるキリスト教徒が、何時訴えられても不思議ではない暗黒の時代の先駆けに、パウロは訴えられても、殉教しても尚、「人を義としてくださるのは神」であるという信仰を一歩も譲らないことで、この御言葉の真理を証したのである。
「だれがわたしたちに敵対できますか(31)」、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33)」「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう(34)」と「だれが」という言葉が繰り返されるが、これは、この世において、だれも私たちに敵対しないとか、だれも訴えたりしないとか、だれも私たちを罪に定めるようなことなどしない、ということではない。むしろだれでも、私たちの敵となりうる。それどころか、「だれがわたしたちに敵対できますか」と御言葉が語られる只中で、私たちは、信仰者に敵対する勢力に囲まれている、これが現実である。しかし、その現実の中で尚「だれがわたしたちに敵対できますか」と賛美することがキリスト教信仰ではないだろうか。
<2023年4月2日の説教から>
『覆すことのできない神の恵み』
ローマの信徒への手紙8章31~34節
牧 師 鈴木 美津子
この手紙を書き送っているパウロは、当時の公の裁判制度の下で幾度となく訴えられている人物である。その被告人である彼が、なぜ誰にはばかることなく「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33a)」、などと言えるか。それは「人を義としてくださるのは神(33b)」のゆえである。パウロは三度に及ぶ伝道旅行中に苦心して集めた献金をささげるために帰ったエルサレムで、逮捕された。その後、彼は殉教の死が与えられるまで囚人という立場で生活した。この世的には被告人、囚人、それがパウロの最終的な身分であった。その現実の中で、「人を義としてくださるのは神」であることを真実に証したのがパウロであった。
彼は、先にローマの教会にこの手紙を書き送った数年後ローマの地に囚人として上陸した。その彼の姿は、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33)」の正反対であった。しかし、訴えられて、囚人として連行されても尚十字架の福音を雄々しく語り続けた彼の姿ほど「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです」との御言葉を雄弁に証したものはない。神が味方である以上、惨めな一人の囚人には、万軍の主が共におられるからである。囚人としてローマに上陸したこの伝道者のみすぼらしい姿は、ローマのキリスト者にどれだけの勇気を与えたであろうか。「神に選ばれた者たち」であるキリスト教徒が、何時訴えられても不思議ではない暗黒の時代の先駆けに、パウロは訴えられても、殉教しても尚、「人を義としてくださるのは神」であるという信仰を一歩も譲らないことで、この御言葉の真理を証したのである。
「だれがわたしたちに敵対できますか(31)」、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう(33)」「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう(34)」と「だれが」という言葉が繰り返されるが、これは、この世において、だれも私たちに敵対しないとか、だれも訴えたりしないとか、だれも私たちを罪に定めるようなことなどしない、ということではない。むしろだれでも、私たちの敵となりうる。それどころか、「だれがわたしたちに敵対できますか」と御言葉が語られる只中で、私たちは、信仰者に敵対する勢力に囲まれている、これが現実である。しかし、その現実の中で尚「だれがわたしたちに敵対できますか」と賛美することがキリスト教信仰ではないだろうか。