本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:30
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(休会)
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「一年の恵みへの感謝」
「新しい年の歩みが守られるように」
〇聖書の学びと祈りの会 1月2日(木)午前・午後休会。
初週祈祷会は午前・午後とも1月9日(木)に行います。
2019.12.29 週報掲載の説教
<2019年4月14日の説教から>
『イエスを三度知らないという』
マルコによる福音書14章66節~72節
牧師 三輪地塩
この箇所は、レントや受難週の時期になると、何度も読む機会があるため、教会に長く来ている方々は、そらんじる事も出来るほど聞いてきただろう。弟子ペトロが、大祭司の邸宅の庭で、イエスとの関係を三度否定したのであるが、その理由は「周りが敵だらけの中、イエスとの関係を肯定してしまうと、自分の命が危うかったから」、つまり「恐怖が彼を否定させた」と解釈されうる。だが、ヨハネ福音書18章15節以下には、「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は~~」と書かれており、イエスの「もう一人の弟子」と言われる人物が大祭司カイアファと知り合いであったことが示される。そうであるならば、この「三度の否認」は「命の危険」によるものではなく、他の蓋然性の高い理由を考えるならば「恥ずかしかったから否認した」ということにでもなり得るだろうか。遠藤周作の『沈黙』のテーマにもなるが、(踏絵の)キリストは、命の危険を押して殉教の道を行こうとする宣教師に対し「わたしを踏め」と迫る。このことについての信仰的判断については当該の小説に譲ることとして、もしペトロに命の危険が生じていなかったとすれば、情状酌量の余地はなくなる。ペトロは思ったのかもしれない。「今、目の前で裁かれようとしている、この犯罪者(とされている)、イエスの仲間であると思われるのは恥ずかしい」と。或いは「ガリラヤの片田舎から出てきたおのぼりさんが、意気揚々とエルサレムに入城してきたが、今や見る影もなく弱々しく、惨めに立たされ、尋問されている、あの人の仲間であると見られることが「恥ずかしい」と。少々極端な言い方をするならば、ここで起こっている出来事は、キリシタンの「踏み絵」のような信仰の戦いではなく、「クリスチャンであることを友人やご近所さんに隠そうとしてしまう、私たちの心の中の「それ」なのである。ペトロの三度の否認は、ペトロの「高尚な信仰の戦い」ではない。私たちの「日常に溢れている信仰者の内的な戦い」なのである。
『イエスを三度知らないという』
マルコによる福音書14章66節~72節
牧師 三輪地塩
この箇所は、レントや受難週の時期になると、何度も読む機会があるため、教会に長く来ている方々は、そらんじる事も出来るほど聞いてきただろう。弟子ペトロが、大祭司の邸宅の庭で、イエスとの関係を三度否定したのであるが、その理由は「周りが敵だらけの中、イエスとの関係を肯定してしまうと、自分の命が危うかったから」、つまり「恐怖が彼を否定させた」と解釈されうる。だが、ヨハネ福音書18章15節以下には、「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は~~」と書かれており、イエスの「もう一人の弟子」と言われる人物が大祭司カイアファと知り合いであったことが示される。そうであるならば、この「三度の否認」は「命の危険」によるものではなく、他の蓋然性の高い理由を考えるならば「恥ずかしかったから否認した」ということにでもなり得るだろうか。遠藤周作の『沈黙』のテーマにもなるが、(踏絵の)キリストは、命の危険を押して殉教の道を行こうとする宣教師に対し「わたしを踏め」と迫る。このことについての信仰的判断については当該の小説に譲ることとして、もしペトロに命の危険が生じていなかったとすれば、情状酌量の余地はなくなる。ペトロは思ったのかもしれない。「今、目の前で裁かれようとしている、この犯罪者(とされている)、イエスの仲間であると思われるのは恥ずかしい」と。或いは「ガリラヤの片田舎から出てきたおのぼりさんが、意気揚々とエルサレムに入城してきたが、今や見る影もなく弱々しく、惨めに立たされ、尋問されている、あの人の仲間であると見られることが「恥ずかしい」と。少々極端な言い方をするならば、ここで起こっている出来事は、キリシタンの「踏み絵」のような信仰の戦いではなく、「クリスチャンであることを友人やご近所さんに隠そうとしてしまう、私たちの心の中の「それ」なのである。ペトロの三度の否認は、ペトロの「高尚な信仰の戦い」ではない。私たちの「日常に溢れている信仰者の内的な戦い」なのである。
2019.12.24のクリスマスメッセージ 三 輪 地 塩
聖書 マタイによる福音書2:1~12
クリスマスメッセージ 三 輪 地 塩
クリスマスメッセージ 三 輪 地 塩
2019年 浦和教会のクリスマス
2512月21日(土)こどもクリスマス会(トレインキッズ)11:00~14:30
12月22日(日)クリスマス礼拝 10:30~14:30
12月24日(火)クリスマス・イブ礼拝・コンサート 17:00~18:30
浦和教会のクリスマスは盛沢山!
この機会にぜひ、一緒にお祝いいたしましょう!


2019.12.22の説 教 三 輪 地 塩
聖 書 イザヤ書11章1節~5節 (旧約 P.1078)
ルカによる福音書2章1節~21節 (新約 P.102)
説 教 「神には栄光、地に平和」 三 輪 地 塩
ルカによる福音書2章1節~21節 (新約 P.102)
説 教 「神には栄光、地に平和」 三 輪 地 塩
2019.12.22 の礼拝案内
週 報 74巻50号 2019.12.22
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
(ルカによる福音書2章節~14節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<アドベントⅣ・クリスマス合同礼拝>
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 イザヤ書7章14節
*讃 詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編 4編7節~9節
*讃美歌 (21)256〔1-3〕
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書11章1節~5節 (旧約 P.1078)
ルカによる福音書2章1節~21節 (新約 P.102)
祈 り
*讃美歌 (21)258
説 教 「神には栄光、地に平和」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)259
*日本キリスト教会 信仰の告白
聖餐式 (21)268
公 告
*献金感謝 (21)265 クワイア
*主の祈り
*頌 栄 (21)46
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 森﨑、伊木、加藤、安井
「*この箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方はお座りのままでどうぞ。
**********************************************************************************
礼拝当番(今週)増田、薄田、鈴木惠、安井英 新来会者受付:安井国
(次週)松谷、島口、角野和、須田
******************************************************************************
掃除当番(今週)深沢、阿部、岡野、松沢、小出和、室橋、田﨑
(次週)入江、増田、塩澤、岩本、吉田耕、吉田さ、石井ひ
☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
(ルカによる福音書2章節~14節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<アドベントⅣ・クリスマス合同礼拝>
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 イザヤ書7章14節
*讃 詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編 4編7節~9節
*讃美歌 (21)256〔1-3〕
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書11章1節~5節 (旧約 P.1078)
ルカによる福音書2章1節~21節 (新約 P.102)
祈 り
*讃美歌 (21)258
説 教 「神には栄光、地に平和」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)259
*日本キリスト教会 信仰の告白
聖餐式 (21)268
公 告
*献金感謝 (21)265 クワイア
*主の祈り
*頌 栄 (21)46
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 森﨑、伊木、加藤、安井
「*この箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方はお座りのままでどうぞ。
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礼拝当番(今週)増田、薄田、鈴木惠、安井英 新来会者受付:安井国
(次週)松谷、島口、角野和、須田
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掃除当番(今週)深沢、阿部、岡野、松沢、小出和、室橋、田﨑
(次週)入江、増田、塩澤、岩本、吉田耕、吉田さ、石井ひ
☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。