死ぬべきものが、死なないものを着る

2010.4.4  Ⅰコリント15:42-58  牧師 中家 誠

 今日は、待ち望まれていたイースター(キリスト復活)の日である。キリスト教は、このキリスト復活から始っている。キリストの十字架の死は、罪の贖いのかけがえのない保証なのであるが、それは「キリストの復活」によって保証される。キリストの復活はまた、わたしたちの復活の保証でもある。

 ところで「復活」とは、人が死ねば、自然に新しい命に生き返るといった「自然の変容」ではない。それは神の救いのみわざそのものなのである。「一瞬のうちに変えられる」(15:52)という表現も、全能の神の力強さと、その恵みであることを物語っている。

 更に「朽ちるべきものが、朽ちないものを着、死ぬべきものが、死なないものを着る」というとき、それは身体にまとう「着物」になぞらえられている。即ち、それは憐れみ深い神の「恩寵の衣」を着せていただくことに他ならない。

 神は、御子イエス・キリストの贖いにより、わたしたち背く者をも赦し受入れ、神の子としてくださる。その最終的な賜物が復活の身体であり、永遠の命なのである。それは高価な(キリストのいのちの代償を払っての)贈り物なのである。わたしたちは深い感謝と信頼の心をもって、これを受取る者である。