2017.10.01の説教から

 

2017101日の説教から>

        『荒れ野の誘惑』

     マルコによる福音書112節~15

               牧師 三輪地塩

 

エスは「40日間の誘惑」に勝利した。「40日」は聖書において、「最も重要な事件が起こる時の象徴的な意味」を持っている。「4」は東西南北の4方向という意味を持ち、「世界全体」を示している。「10」は人間全体を表しており、例えば「十戒」が人間全体に関わる完全なる教え、という意味を持つとも思われる。つまり、410の「40日間」の「誘惑」とは、人間とその世界全体に関わる「悪」「誘惑」を表わす象徴である。イエスが40日間誘惑を受け、それに打ち勝ったのは、「サタンへの打ち勝ち、誘惑からの勝利の力が、我々にも及んでいる」ことを示しているのであり、我々はただ主イエスと共にいることによって、誘惑に抵抗し打ち勝つ得るのである。

 イエスがサタンに勝ったのは「神と悪との戦い」が「神の勝利」に終わったことを示しており、ここに我々は希望を見出すのである。罪に汚れた自らでは誘惑の力を退ける事は出来ないけれども、神の御子イエス・キリストと共に歩むならば、打ち勝つことが出来るのである。

続いて「ヨハネが捕らえられた後、イエスは~~時は満ち、神の国は近づいた。」と聖書は語る。洗礼者ヨハネが捕らえられたのならば、宣教の良い時ではなく、むしろ「悪い時」と言える。だがイエスは「宣教の良いとき」「チャンス」であると考えている。第二テモテ42節で「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」と言われる通り、神の国の宣教は、どのようなときにでも「時は十分満ちている」と伝えている。我々人間の目には「折が悪い」「希望がない」と感じられても、神の福音は常に希望であり続けるからである。福音はどのような時にも失望しない。「人間に対する失望」はあるかもしれないが、神の福音(キリスト)に失望する事はない。神の福音それ自体は常に希望に満ちている。我々は、様々な状況や環境の中に生きている。混乱した人間関係や日々の苦しさの只中にあるが、このような中でこそ福音は強い光を放つのである