2018.10.24 説教

  
              <1014日の説教から>
         『ホサナ。主の名によって来られる方に』
          マルコによる福音書111節~11
                           牧師 三輪地塩
 イエスはエルサレムに入城するための準備の場面。「二人が子ロバを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉のついた枝を切って来て道に敷いた」。おそらく王の戴冠式をモチーフにしているのであろう。当時の各国の王はこのようにして国に凱旋していた。
 「馬に乗らずロバに乗る」という行為は、イエスのへりくだりを示している。そしてロバにはもう一つの意味がある。当時ロバは決して蔑まれていた動物ではなく、柔和で力のある動物として好まれていたようであった。そのためロバは「平和の象徴である」と言われていたのである。つまりイエスは、「へりくだり」と「平和」を携えてエルサレムに入ってきたのだ。暴動を起こそうとしていたわけでも、革命を起こそうとしていたわけでもない。本来の「神の国の福音」を伝えるため、信仰の中心地であるエルサレムに来たのである。
 イエスを大歓迎で迎えた人々は歓喜の声を上げ「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」という。「ホサナ」は「救ってください」という意味である。歓喜の声を上げた人々は、イエスが自分たちを救うメシアである事を直感していた。
 皮肉にも、大歓迎の民衆を含むであろう「全ての人」が、イエスの十字架を阻止できなかった。「その時」が来たら、12弟子は逃げ出し、民衆もバラバを釈放し、イエスを十字架につけることを求めた。
神の独り子イエス・キリストは、その死において、へりくだりの主であり、平和の主であることを、誰の目にも明らかに分かるように示された。
我々はイエスに従う者たちであると同時に、裏切る罪をも孕む二律背反的な者たちであるこの二心を持つ我々は、高ぶらず、へりくだりる、平和の主に対して、何をすべきなのであろうか。信仰者一人ひとりにかかっている。