2020.2.23 の礼拝案内

週 報 75巻8号 2020.2.23
 
「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」                                      (ルカによる福音書4章34節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
奏楽  三 輪 志 都

<神の招き>
招 詞  ヨブ記19章25節

*讃 詠   (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編14編1節~7節

*讃美歌  (21)7〔1-3〕

<神の言葉>
聖 書  イザヤ書57章14節~21節(旧約P.1155)

ルカによる福音書4章31節~37節

(新約P.108)

祈 り     森 﨑 千 恵

*讃美歌  (21)466

説  教   「その言葉には権威がある」     三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  (21)475

*十 戒

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

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礼拝当番 (今週) 松谷、新畑、石井ひ、板垣

(次週) 三浦、薄田、入江、内村

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掃除当番 (今週) 松本、浜田、佐藤真、加藤ヨ

板垣、草野、古賀

(次週) 薄田、青木、志賀洋、越智

加藤純、平野、白川

☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

 

2020.2.23 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

< 聖 餐 式 >

説教 「人々はイエスに頼んだ」      三 輪 地 塩

詩編86編11節~17節

ルカによる福音書4章38節~44節

讃美歌 (21)83、3〔1-3〕、471、451、46    岩 本 道 子

 
日曜学校説教「悪魔の誘惑に打ち勝ったイエスさま」

岩 本 道 子

ルカによる福音書4章1〜13節

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【東京中会靖国神社問題特別委員会の今後のあり方を考える協議会】

日時・場所:2月24日(月・休) 14:00~16:00

「委員会の名称変更案と今後のあり方」を考える上記の会を横浜海岸教会で開催する予定でしたが、コロナウィルスの被害が広がり続けている状況を踏まえて検討の結果、今回の集会は中止することになりました。

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【新刊書のお知らせ】

題「殉教の記憶・記録・伝承」 (4200円+税)

著者 三輪地塩

2020.2.16~2020.2.22 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)        9:45

〇クワイア練習               礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

〇日曜学校教師会                 礼 拝 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「中会議長・書記の健康が守られるため」

〇聖書の学びと祈りの会      27日(木)10:00

歴代誌下24章(担当 三輪地塩)  司会 増 田 裕 子

〇聖書の学びと祈りの会      27日(木)14:00

ヨブ記1章             担当 大 和 文 彦

【牧師予定】

〇2月~3月『中会議事資料』作成、第69回中会準備

2020.2.23 週報掲載の説教

<2019年5月26日説教から>

『アリマタヤのヨセフの奉仕』
マルコによる福音書15章42節~47節

牧師 三輪地塩

アリマタヤ出身のヨセフは「身分の高い議員」つまり「最高法院」メンバーあった。真夜中に秘密裏にイエス捕え、十字架刑に持ち込むために総督ピラトに引き渡した「あの」最高法院のメンバーであった。ヨセフはイエスの処刑に反対することはできなかった。自分の身の安全を考えたのだろう。マタイ福音書では彼のことを「アリマタヤ出身の金持ち」と述べ、ヨハネ福音書では「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ」と伝えている。ヨセフは地位も財産も持っていたユダヤの中心的な議員であった。その特権を取り上げられてしまう危険を冒してまでイエスを弁護することはできなかったのだろう。彼はイエスの十字架に表立って賛成はしなかったものの、「反対をしない」という「賛成」をしたのである。沈黙という是認である。

たが彼は「神の国の到来」を待ち望んでいた人であったとあり、イエス・キリストの救いを信じ、希望をもち、神の国を見据えて生きていた人物であった。しかし保身のためにイエスの保釈を主張できなかった。それゆえに彼は自分に失望していたと思われる。何も出来ず、尻込みする信仰。立場的に十字架回避を主張できたにもかかわらず、自分かわいさに負けてしまった、いわば「ヘタレの信仰」であった。

彼は、イエスの遺骸を前に、せめてもの償いを行なった。神の国に希望を持つ者として、「勇気を出して」「受け身にならず」「保身に走らず」、ピラトのところへ行き、遺体を渡してくれるようにと、評判が悪くなることを覚悟の上で、願い出たのであった。

トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』という本の中で、彼は次のように言う。

「今や、イエスの天国を慕う者は多くある。しかし彼の十字架を負う者は少ない。彼の慰めを求める者は多い。しかし彼の苦難を願う者は少ない。「私たちは皆、彼と共に喜ぶ事を願う。しかし彼のために多少でも苦しむ事を望む者は稀である。」

このとき、ヨセフは多少なりとも「苦しみを望んだ」と言える。自分の罪を省みて、自らの為すべきことを考え、自らの罪の赦しを求めつつ、キリストの死に、ほんの少しだけ関わった。