2020.10.04 主日礼拝の案内

週 報 75巻 30号 2020.10.4

すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。(ルカによる福音書9章16‐17節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  加 藤 純 子

<神の招き>
招 詞 イザヤ書41章10節

*讃 詠  546

*罪の告白と赦し 交読詩編5編1節~4節

聖 書 列王記上3章1〜15節

日曜学校説教「聞き分ける心を願う」

岡 野 庸 子

*讃美歌 312〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 エレミヤ書15章16節 (旧約P.1206)

ルカによる福音書9章10節ー17節     (新約P.121)

祈 り

*讃美歌 Ⅱ188〔1-2〕

説  教 「五つのパンと二匹の魚」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 534〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄  543

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

 

2020.10.4 週報 教会からのお知らせ

【第70回大会について】

通常は一つの会場に200人近くが集まり開催される日本キリスト教会大会ですが、本年は現在の状況に鑑み、「対面による開催」ではなく、「書面による開催」と致しました(大会常置委員会の決定)。正議員が提出した議決書をもとに、常置委員会が第70回大会の議決と記録の確認をし、これをもって大会の成立とします。

2020.10.04~10.10 集会案内

      集 会

〇「教会員の生活」による学びの会  休  会

〇朝カフェ             休  会

〇入門の会             休  会

〇クワイア練習           中  止

〇コイノニア            中  止

〇礼拝堂の消毒・清掃(有志)    礼 拝 後

〇定期小会            12:00

今 週 の 集 会

◎祈祷題「第70回大会のため」

〇聖書の学びと祈りの会  8日(木)10:00

ヨハネの黙示録10章(担当 三輪地塩)

司会  板 垣 玲 子

〇聖書の学びと祈りの会  8日(木) 14:00

使徒言行録20章17節~38節  担当  安 井 国 雄

次 週 礼 拝

説教 「わたしを何者と言うのか」  三 輪 地 塩

ミカ書7章8節

ルカによる福音書9章18節ー20節

讃美歌 545A、354(1-2)、Ⅱ182(1-2)、533(1-2)、544

板 垣 玲 子

日曜学校説教「神の名がとどまるところ」薄 田 東 正

列王記上8章22節〜26節

2020.10.04の週報掲載の説教

<2019年7月7日の説教から>

変わることのない生きた言葉
ペトロの手紙一122節~25
              牧師 三輪地塩

先週の箇所では、終末論が語られていた。その流れを受けて、ペトロは言う。「真理を受け入れて、魂を清めて、偽りの無い兄弟愛を頂くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい」。ここで言われる「真理」とは、「神」と置き換えて良い。

この手紙の背景には「迫害」がある。この手紙の読者教会の信徒たちは、周囲・近所の人たちから、キリスト者という理由だけで迫害を受けていた。重苦しい状況ではあるが、注意深く読むと、この箇所には希望が見えてくる。「真理を受け入れて、魂を清めて、偽りの無い兄弟愛を頂くようになったのですから」とあるように、あなた方は既にそうなってる、と断定形で語っている。既にこれらの小アジアの教会では、教会員同士、力を合わせて、「兄弟愛を既に抱いている」状況であった。兄弟愛。つまり「共同体内における愛」が、既に「ある」と言っている。

この兄弟愛がどこに由来するのか、が22節以下のテーマである。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わる事のない、生きた言葉によって新たに生まれたのです」(23節)。つまり我々の愛は、神から出ていると述べる。最も重要なことは、この神の言葉が、「朽ちない種である」ということにある。ペトロはイザヤ書40章を引用し、「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」と語っている。ここには、人間のものは朽ちる、ということと、神から出るものは朽ちない、という二つのことが同時に語られる。神から出るもの、つまり共同体の中に既にあるもの、「兄弟愛」「神の愛」は朽ちるものではない。第一コリント13章13節で、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と言われている通りである。

つまりこの著者は、キリストの愛が本物の愛だったように、あなた方の愛もそれに倣いなさい、と言っている。その愛が全ての人間関係を作る。教会コミュニティも同様に、全ては「愛」が作り出すのだと著者は語る。