2021.6.13 主日礼拝の案内

NEW! 2021.6.13 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 24 号 2021.6.13
宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

(ルカによる福音書14章13節-14節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 板 垣 玲 子

司式 安 井 国 雄

<神の招き>
招 詞 ローマの信徒への手紙12章1節

*讃 詠  545B

<神の言葉>
聖 書 箴言25章6節~7a節(旧約P.1024)

ルカによる福音書14章1節~14節

(新約P.136)

祈 り

*讃美歌 74〔1〕

説  教

「高ぶる者は低くされ, へりくだる者は高められる」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 122〔1〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 539

*後 奏

礼拝当番(今週)野田昭子

(次週)増田裕子

ライブ配信当番

(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

 

2021.6.13 週報 教会からのお知らせ

2021.6.13 週報 教会からのお知らせ
◇5月の小会報告でもお知らせしました通り、本日予定して
おりました防災訓練は、密になる懸念がありますので、

9月19日に延期いたしました。

 
◇本日礼拝後、ペンテコステに行えなかった「信仰50年」
を迎えられた方々への祝い品の贈呈を行います。

対象の方は板垣玲子さんと岡野庸子さんです。

 
◇東京中会「神学生支援資金」の浦和教会としての募金目標

額は60,000円です。(5月末現在36,000円)

6月末まで個人献金を受付けますので、お志のある方は

どうぞご協力お願い致します。

神学生は現在6名です。その内北海道中会3名、東京中会

は、安彦晴樹さん(4年生) 武田巌さん(2年生)

大石啓介さん(2年生)の3名です。

2021.6.13~6.19 集会案内

    2021.6.13    集 会
〇「教会員の生活」による学びの会    休 会

〇朝カフェ               休 会

〇入門の会               休 会

〇クワイア練習             中 止

〇コイノニア              中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)      礼 拝 後

今 週 2021.6.13~6.19  の 集 会
◎祈祷題 「心の疲れが癒されるように」

〇聖書の学びと祈りの会 6月17日(木) 10:00

エズラ記3章(担当 三輪地塩)司会 野 田 昭 子

*ラインで行います。

次 週 礼 拝
説教 「神の国の食卓」       三 輪 地 塩

イザヤ書25章6節~10節

ルカによる福音書14章15節~24節

讃美歌 546、312(1)、312(2)、540  三輪 志 都

 
*日曜学校礼拝は6月27(日)まで休会とします。

2021.6.13 の週報掲載の説教

<2020年1月26日の説教から>

『イエスの系図』

     ルカによる福音書3章23節~38節

牧師 三輪地塩

この系図に記された名前はほとんど分からないと思う。聞いたことはあっても、有名な「あの人」とは限らない。例えば3章24節の「ヨセフ」は、我々の知っているどのヨセフとも違う人である。25節の「アモス」も預言者ではない。29節の「ヨシュア」もモーセの後継者ではないし、30節のシメオン、ユダ、ヨセフは、ヤコブの息子達ではない。つまりこの系図に書かれている名前は知らない人たちばかりなのだ。

だが後半の31節以下になって「ダビデ、エッサイ、オベド、ボアズ」など、聞いたことのある名前が出てくる。ダビデはあのダビデ王、エッサイはあのエッサイである。

マタイ福音書にも似た系図が掲載されているが、比較するとヨセフからダビデに至る14代にわたる名前が全く違っていることに気付く。だがそこはさほど問題とはならない。どちらも「ダビデ」に行き着いており、それが待ちわびてきたメシアの証拠となるからだ。

系図は34節でアブラハムが出て来る。「信仰の父」アブラハムは、創世記11章以降に登場する。彼は「行き先も知らず」約束の地カナンに向かった。「行き先を知らない」という不安な気持ちを乗り越えて、神の言葉に聞き従うことを優先した生涯だった。系図は旧約の義人ノアを経て、最後には「神に至る」。神の子イエス・キリストの系図は、非の打ち所のない立派なもののように見えるがそうではない。例えば33節の「ユダ」と「ペレツ」は創世記38章で大きな罪を犯している。

ルカとマタイの決定的な違いは、家系図を下るのか、遡るのかの違いである。マタイ福音書はアブラハムから下り、ダビデを通ってイエスに至るという時系列、ルカはその逆である。イエスから遡って、ダビデに至り、最後に「アダム」に続く。神は自分の姿に似せてアダムを造り、鼻に息を吹き入れて彼を生きる者とされた。「それは甚だ良かった」と、神の創造の素晴らしさが語られた。キリストはここに繋がっているとルカは言う。罪を犯したアダムではあるが、同時に「甚だ良かった」神の創造まで遡る。この罪の代表者アダムは、人間全体を象徴している。このアダムの(つまり我々の)罪を背負い、神の「甚だ良かった」ことを成し遂げたのがキリストだった。この意味を込めてルカの系図はアダムまで遡るのである。