2025.5.25 週報掲載の説教

2025.5.25 週報掲載の説教

<2025年3月16日の説教から>

『アブラハムが生まれる前から』

ヨハネによる福音書8章49節〜59節

牧師 鈴木美津子

はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』(58)」

『わたしはある』という言葉が二重括弧にいれられているのは、旧約聖書出エジプト記3章で神がモーセに語られた言葉であることを表している。主イエスもまた、時間を超え、歴史を超えて『わたしはある』というお方である。決していないものではなく、ある、おられるお方である。

アブラハムを約束の地へと導き出した父なる神について、主イエスは、「あなたたちユダヤ人はそのお方を知らない」と言い切る。ユダヤ人たちは旧約聖書に記されている神の民であり、アブラハムの子孫である。にも関わらず、主イエスは、あなたたちはその父なる神を本当には知らないと言われた。なぜなら、彼らは主イエスが神の御子であることを断固として受け入れないからでる。主イエスの父であり、天地万物の造り主である神ご自身が、その独り子である主イエスを世にお遣わしになられた、このことを抜きにして、天の父なる神について本当に知ったとは言えない。主イエスが神であることを悟らずして、本当の意味で聖書の神を知ったということにはならない。

わたしたちは、ユダヤ教の神も、イスラム教の神も実は同じお方だ、わたしたちは共通の神を信じているという言い方を時々する。けれども、彼らの神は、主イエス・キリストの父である神ではないと言う点で、わたしたちが信じている神とは違っているということをはっきりと知らなければならない。わたしたちの信じる神は、主イエスの父なる神である。御子を世に遣わし、罪の償いとなさる、そのような仕方で、わたしたちを愛し救ってくださるお方である。

わたしたちは、神の御子である主イエスを受けいれない者ではなく、受け入れる者になりたいと願う。主イエスの恵みによって、新しい命を頂いて、死の苦しみ、不安、恐れから解き離される平安と喜びをいただきたいと願う。そうであるからこそ、私たちは歴史を超えて生きて働かれる神にのみ栄光を帰し、この世の人々にではなく、神から賜る恵みに心を向けて歩むのである。