2025.6.8 週報掲載の説教

2025.6.8 週報掲載の説教

<2025年4月27日の説教から>

『神のもとから来られた方』

ヨハネによる福音ヨハネによる福音書9章13節〜34節

牧師 鈴木 美津子

 
あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。(25)

生まれつき目が見えなかった男の人にとって知っているただ一つのことは、「目の見えなかったわたしが今は見える」ということであった。そして、これは主イエスを通して神が生きて働いておられることが見えるということでもある。5章17節で、主イエスは、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」と言われた。この生まれつき目が見えなかった男の人は、主イエスに目を開けていただいた者として、主イエスの祈りを神が聞いてくださり、主イエスを通して神が生きて働いておられることを見ることができたのである。そして、そのことは主イエスを信じる私たち一人一人においても言えることである。主イエスの御名においてささげられる礼拝を通して神と出会い、神が生きて働いておられることを見るまなざしを私たちも与えられるからである。聖霊によって開かれた心の目によって、主イエスの十字架に、私たちに対する神の愛を見ることができる者とされたのである。

私たちが知っているただ一つのこと、それは主イエスの十字架の死が、わたしに対する神の愛の確かなしるしであるということ。私たちはそのことをもはや疑うことができないほどに、聖霊によって証印を押されている。それゆえ、私たちは主イエスが神のもとから遣わされた救い主であることを公に言い表さずにはいられない。

ユダヤ人たちは「神に栄光を帰しなさい」と言って、かつて盲人であった男の人を再び尋問した。その彼は自分の目を開けてくれた主イエスというお方が、神のもとから来られたことを公に言い表すことによって神に栄光を帰したのである。私たちも聖霊によって心の目を開けていただいた者として、主イエスを神のもとから来られた救い主であると公に言い表し、神に栄光を帰すことが求められている。神がお遣わしになった主イエスを神から遣わされた者として信じ、自分の口で言い表すこと。それが神に栄光を帰すことである。