2025.6.29 週報掲載の説教

2025.6.29 週報掲載の説教

<2025年5月11日の説教から

『良い羊飼い』

ヨハネによる福音書10章1節〜21節

牧師  鈴木美津子

主イエスは「羊飼いのたとえ」の中で、「羊はその声を聞き分ける」と言われ、さらには「羊はその声を知っているので、ついて行く」と言われた。まさに、9章で主イエスの御声を聞いて、「主よ、信じます」と言ってひざまずいた生まれつきの盲人であった人は、主イエスの羊であったのだ。主イエスはこのたとえを通して、ユダヤの指導者であるファリサイ派の人々ではなく、御自分こそが門を通って入ってきた真の羊飼いであると言われる。そして、そのことはファリサイ派の人々と主イエスの、生まれつきの盲人であった人に対して接した態度で明らかである。自分たちを牧者、羊飼いと自認していたファリサイ派の人々はかつて盲人であった人の証言を信じようとはしなかった。彼らはかつて盲人であった人が、主イエスを神のもとから来られた方と証言したため、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と外に追い出した。彼をユダヤ人の社会から追放したのだ。

では門から入ってきた羊飼いである主イエスはどうであったか。この人が「イエスはメシアである」と公に言い表したことによって、会堂から追放されたと聞き、この人を探し出して出会って、御自分が神の救いをもたらす人の子であることを示された。ファリサイ派の人々は、自分たちがかつて盲人であった人を追い出したと思っているのであるが、主イエスに言わせればそうではなく、主イエスに名前を呼ばれて、主イエスのもとへと連れ出されたのである。

つまり彼は、主イエスの羊なのである。

私たちも主イエスを主と信じるがゆえに、社会から除け者にされて寂しい思いをするということがあるかも知れない。しかし、主イエスはそのようにして、私たちの名前を呼んでくださり、私たちを御自分の群れであるキリストの教会へと迎え入れてくださる。そのようにしてイエス・キリストは私たちの羊飼いとなってくださる。私たちは、自分が主イエスに名前を呼んでいただき、主イエスに導かれて歩んでいる羊であることを見出すとき、このたとえをはっきりと聞き取ることができるのである。