2025.9.7 週報掲載の説教
<2025年7月27日説教から>
「ナルドの香油」
ヨハネによる福音書11章54節~12章11節
牧師 鈴木美津子
ラザロの復活は人々に大きな驚きを与え、「救い主が来られた」との大きな期待が生まれた。しかしユダヤ当局は、ローマからの報復を恐れ、主イエスを殺すことを決議した。ラザロもまた、多くの人を主イエスに導いたとされて命を狙われることになった。過越祭を前にエルサレム全体が異常な緊張に包まれていた。
そのただ中でベタニアの家では、静かで温かい食卓が囲まれていた。マルタは給仕として仕え、ラザロは復活した者として生きていること自体が証しであった。そしてマリアは、純粋で高価なナルドの香油を惜しみなく主イエスの足に注ぎ、自分の髪でぬぐった。その香りは家中に広がった。
その価値は一年分の賃金に相当するほどであり、弟子ユダは「貧しい人々に施すべきだった」と批判した。ユダの言葉は、もっともらしく聞こえるが、彼の心は主ではなく金に向いていた。主イエスは「そのままにしておきなさい。これはわたしの葬りの日のためである」と語り、マリアの献身を受け入れた。
さらに主イエスは「貧しい人々はいつも共にいる。しかしわたしはいつもいるわけではない」と言われた。これは申命記にある「苦しむ者に手を大きく開け」という命令を前提とした言葉である。日常において貧しい人を助けるのは当然の務めである。その上で、今この時に主イエスに仕えることのかけがえのなさが強調されたのである。
マリアの献身は決して無駄ではなく、家を満たした香りとなり、やがて全世界に伝えられる証しとなった。それは今日の教会にまで続く「献身の香り」である。私たちもまた、主イエスに生かされている存在そのものを証しし、マリアのように惜しみなく愛を注ぐ者でありたいと願いたい。
不安と緊張に満ちた時代のただ中で、私たちの生活もまた
容易ではない。けれどもマリアがそうしたように、主に心を
注ぎ、与えられたものを感謝をもってささげるなら、その場
はキリストの香りに満ちる。だから、今週もまたこれからも
私たちの小さな歩みがその香りを放つものとなることを願う
のである。