2025.10.5 週報掲載の説教

2025.10.5 週報掲載の説教

<2025年8月24日説教から>

「光の子となるために」

ヨハネによる福音書12章27節~36節a

牧師  鈴木美津子

私たちは闇を恐れ、光を求める存在である。真っ暗な夜道や心の不安の中で、光は私たちに安心と希望を与える。旧約の預言者イザヤは「死の陰の地に住む者の上に光が輝く」と告げ、未来に来る救いと希望の光を示した。この光は単なる慰めではなく、神ご自身がもたらす救いのしるしであり、新約においてイエス・キリストにより成就した。

十字架を目前にした主イエスは「今、わたしは心騒ぐ」と語り、人としての苦悩を経験された。しかし主イエスは神の御心にゆだね、「御名の栄光を現してください」と祈られた。十字架を通してこそ、世界に命と光がもたらされ、人々を神へと引き寄せる救いが成し遂げられるのだ。主イエスの苦悩は、私たちの孤独や不安、痛みと重なる。だからこそ、主は私たちに寄り添い、光の道へ導いてくださる。

けれども人々は神の声を聞いても理解できず、期待との違いに戸惑った。私たちもまた、自分の思い通りの救いを望んでしまう。しかし神の救いは私たちの理解を超えて現れる。だからこそ、「光のあるうちに」光を信じ、身を委ねて歩むことが求められているのである。信仰とは、単なる知識ではなく、主イエスという光に自らをゆだね、導かれる方向へ歩み出すことにある。

主イエスを信じる者は「光の子」とされ、闇に支配されず、周囲に希望を照らす使命を担う。日々の思いやりの言葉や行動、弱い人を支える姿勢が光を放つ。どんなに暗い世界でも、光の子としての歩みは希望をもたらし、闇は決して光に勝てない。この光は特別なものではなく、私たちの生活の中に現れ、導き、周囲を照らす。

この光を信じ、小さな選択や行動に表すとき、世の中に希望の輪が広がる。私たちは今、世の光である主イエスを信じ、神に愛される「光の子」として歩むよう招かれている。光を信じて実践することこそ、私たちの喜びであり生きる力となる。光を信じて歩むとき、私たちは闇に怯えるのではなく、希望を抱いて前へ進むことができるのである。