2025.11.2 週報掲載の説教
『悲しみの中にある希望 』
マタイによる福音書5章4節
鈴木 美津子
*本日の説教の要約です。
本日は召天者記念礼拝です。私たちは先に天に召された方々を思い起こし、その生涯を覚え、神さまに感謝します。
主イエスは「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」と語られました。悲しみは大切な絆を思い出させます。涙が流れることも、あまりに大きな悲しみのために涙すら出ないこともあります。沈黙もまた愛の表れであり、神はそのすべてをご存じです。
召された方々はそれぞれ賜物を与えられ、祈りや奉仕を担い、教会や家庭を支えました。その働きは神の御手に覚えられています。悲しみと共に感謝があふれ、その感謝は私たちが信仰を受け継ぐ力ともなります。
聖書は「死」は終わりではなく、神に迎え入れられる入り口だと語ります。やがて私たちも、神の定められた良き日に新しい命に生きるときが来ます。そのとき、先に召された方々と再会できるのです。これは願望ではなく、復活の主イエス・キリストの勝利に基づく確かな約束です。
ご遺族の皆さま、神は流された涙をすべてご存じです。その歩みは孤独ではありません。神が共におられ、私たちも共にあります。どうかこの希望に支えられて、これからの日々を歩んでいただきたいと願います。
