2026.3.8 週報掲載の説教
<2026年1月18日説教から>
『友と呼ばれる恵み』
ヨハネによる福音書15章11節〜17節
鈴木美津子
本日の御言葉は、イエス・キリストが十字架を前にした最後の夜、弟子たちに語られた言葉である。ここで主イエスは、弟子たちに厳しい命令を与えるのではなく、「喜び」「愛」「友」「選び」という言葉を通して、彼らがどこに立たされているのかを示された。
主イエスが語られる「喜び」とは、弟子たちが主イエスを喜ばせることではなく、父なる神との愛の交わりに根差した主イエスご自身の喜びに、弟子たちがあずかるという福音である。その喜びは、十字架を前にしても失われるものではなかった。
続いて語られる「掟」も、弟子たちに重荷を課す命令ではない。「わたしがあなたがたを愛したように(12)」という言葉が示すように、すでに与えられた愛を前提とする掟である。その愛がどこまで徹底したものかを示すのが、「友のために自分の命を捨てる(13)」という言葉であり、主イエスの十字架の死である。
主イエスは、弟子たちがこの後つまずき、逃げ、主を知らないと言うことをすでにご存じであった。それでもなお、彼らを「友」と呼ばれるのである。この「友」とは、対等な仲間という意味ではなく、父なる神の御心を知らされ、その御心の中で主イエスのなさることに巻き込まれていく者として招かれる関係である。
その根拠は、弟子たちの忠実さや理解にあるのではない。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ(16)」という主イエスの言葉にこそその根拠がある。この主イエスの言葉は、人の誇りを退けると同時に、不安を取り除く言葉でもある。十字架前夜に語られたこの御言葉は、今も私たちを揺るがない場所に立たせる言葉である。心にしっかりと留め置きたいと願う。
