2026.3.29 週報掲載の説教
『静かに包まれた愛―新しい朝を待つ夜―』
ルカによる福音書23章44~56節
鈴木 美津子
*本日の説教の要約です。
本日は受難週のはじまりに、ルカによる福音書23章44〜56節から、イエス・キリストの十字架の出来事を聴きます。エルサレム入城の時、人々は歓声をあげてイエス様を迎えました。しかし数日のうちに状況は一変し、イエス様は捕らえられ、十字架につけられます。期待は怒号そして沈黙へと変わり、弟子たちは散らされ、十字架の下にはわずかな人々しか残りませんでした。受難週は、この大きな落差の中を歩く一週間です。
昼なのに暗くなり、神殿の垂れ幕が裂けた出来事は、当時の人々にとって恐ろしく、落ち着かない出来事でした。イエス様は罪のないお方でありながら、罪人として処刑され、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈って息を引き取られました。これは現実に起きた出来事であり、どの時代の人々とも、そして今の私たちとも深く結びついています。十字架は、神様が私たちのところまで来てくださったことを示す出来事です。
十字架の下には、百人隊長、群衆、そして従ってきた女性たちなど、さまざまな人がいました。だれもが同じ受け止め方をしたわけではありませんが、何も感じずに帰れた人はいなかったでしょう。その夜は、すぐに意味が分かる「良い知らせ」ではなく、不安と戸惑いの夜でした。
アリマタヤ出身のヨセフは、イエス様の遺体を引き取り葬りました。一方、女性たちは安息日のため、香料を用意しながらも何もできず、ただ待つ夜を過ごしました。人の手では何も動かせない夜でしたが、神様の時は止まっていませんでした。旧約聖書の哀歌の言葉が語るように、主の慈しみと憐れみは、この夜にも尽きることがありません。
受難週は、主の十字架を思うと、心が揺れ、言葉にならない気持ちを抱えたまま歩む一週間です。それでも、イエス様は私たちのそばに共にいてくださいます。たとえ、気持ちが整わないままでも、この一週間を歩み、神様が備えてくださる復活の朝を、静かに待ち望みたいと思います。
