次 週 礼 拝 2019.11.3
< 聖 餐 式 >
説教「義の道を知っている者」 三 輪 地 塩
箴言26章11節~12節
ペテロの手紙二 2章1節~22節
讃美歌(21)83、3[1-3]、352、378、79、46 岩 本 道 子
日曜学校説教「希望の人生に旅立とう」 岩 本 道 子
使徒言行録7章1節~16節
【大森講座のお知らせ】
日時・場所 11月17日(日)14:00~17:00 大森教会
主題 教会政治の神学 ―改革派の教会政治原理とは―
講師 吉岡(よしおか)契(けい)典(すけ)(日本キリスト改革派 板宿教会牧師)
◇昨年同様クリスマスのお菓子の献品を募ります。
賞味期限が2020年1月末までのものをお願いします。
◇福音時報の購読の申込み封筒を配布致しました。封筒に
購読料を入れ、11月17日までにお申込みください。
この機会に新しい方もご購読ください。(担当 國見照子)
【おはなし会のお知らせ】
11月17日(日)13:00~13:30 南浦和教会
語り手:国岡晶子(銀座教文館ナルニア国お話し会チーフ)
2019.10.27~11.2 今週の集会
本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日本軍『慰安婦』問題と取り組む会
主催の集会のため」(11月4日)
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)10:00
歴代誌10章 (担当 三輪地塩) 司会 吉田 さとみ
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)14:00
ヘブライ書7章1節~10節 担当 岡 野 庸 子
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日本軍『慰安婦』問題と取り組む会
主催の集会のため」(11月4日)
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)10:00
歴代誌10章 (担当 三輪地塩) 司会 吉田 さとみ
〇聖書の学びと祈りの会 31日(木)14:00
ヘブライ書7章1節~10節 担当 岡 野 庸 子
2019.10.27 週報掲載の説教
<2019年3月10日説教から>
『最後の晩餐』
マルコによる福音書14章22節~26節
牧師 三輪地塩
イエスが十字架にかかる前夜の「最後の晩餐」での出来事。イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と発言し、弟子たちはショックを受けた。彼らは代わる代わる「まさか、わたしのことでは」と言い始めた。この弟子たちの姿勢は悪くない。なぜなら、「それは私ではありません」ではなく「それは私かもしれません」と言っているからである。人は罪を犯す。それが前提である。どんな立派な人間であっても、どんなに社会的地位が高くても、「聖人」と呼ばれるような者であっても、みんな罪人である。それ故に、「まさか私のことでは」と尋ねる姿勢は正しい。
この衝撃発言の後でも、イエスは晩餐を続け、これが十字架前の最後の晩餐となったのである。我々の礼拝においても、次の言葉は聖餐式でお馴染みである。「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」。この言葉は重要だ。キリストの十字架の血が、個人の罪ではなく「多く人の罪のために流されたものである」と書かれているからである。ユダは明らかな「裏切り者」のレッテルを貼られる人物になったが、この罪をユダのみに着せることはできない。我々の内に「ユダ性」が秘められており、「ユダ的に」罪を犯す可能性から目を背けてはならない。ユダは我々人間界の彼岸に存在するのではなく、まったく我々と同じ此岸の存在である。それは、他の弟子たちが、それぞれの仕方でイエスを裏切った事にも示される。例えばマルコ福音書14章50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあり、続く51節には「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。とある。また同14章71節には「するとペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」とある。ユダ以外の弟子たちもイエスを裏切っている。それは我々人間全ての姿だ。そこに言い訳も弁明も釈明もできない。我々に残されている行為は、この罪を赦し得るのは、「多くの人の罪のために流された」「キリストの十字架以外にない」と告白することのみである。
『最後の晩餐』
マルコによる福音書14章22節~26節
牧師 三輪地塩
イエスが十字架にかかる前夜の「最後の晩餐」での出来事。イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と発言し、弟子たちはショックを受けた。彼らは代わる代わる「まさか、わたしのことでは」と言い始めた。この弟子たちの姿勢は悪くない。なぜなら、「それは私ではありません」ではなく「それは私かもしれません」と言っているからである。人は罪を犯す。それが前提である。どんな立派な人間であっても、どんなに社会的地位が高くても、「聖人」と呼ばれるような者であっても、みんな罪人である。それ故に、「まさか私のことでは」と尋ねる姿勢は正しい。
この衝撃発言の後でも、イエスは晩餐を続け、これが十字架前の最後の晩餐となったのである。我々の礼拝においても、次の言葉は聖餐式でお馴染みである。「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」。この言葉は重要だ。キリストの十字架の血が、個人の罪ではなく「多く人の罪のために流されたものである」と書かれているからである。ユダは明らかな「裏切り者」のレッテルを貼られる人物になったが、この罪をユダのみに着せることはできない。我々の内に「ユダ性」が秘められており、「ユダ的に」罪を犯す可能性から目を背けてはならない。ユダは我々人間界の彼岸に存在するのではなく、まったく我々と同じ此岸の存在である。それは、他の弟子たちが、それぞれの仕方でイエスを裏切った事にも示される。例えばマルコ福音書14章50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあり、続く51節には「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。とある。また同14章71節には「するとペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」とある。ユダ以外の弟子たちもイエスを裏切っている。それは我々人間全ての姿だ。そこに言い訳も弁明も釈明もできない。我々に残されている行為は、この罪を赦し得るのは、「多くの人の罪のために流された」「キリストの十字架以外にない」と告白することのみである。
2019.10.20の説 教 三 輪 地 塩
聖 書 出エジプト記12章21節~28節 (旧約P.112)
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩
音声プレーヤー
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩
音声プレーヤー
全国青年の集いに参加して 新畑 信
全国青年の集いのために祈り、ご支援いただきました教会員の皆さまに深く御礼申し上げます。私も交通費の援助を受け、参加させていただくことがかないました。ありがとうございます。さっそく下記に全国青年の集いの参加報告をさせていただきます。
私は2日目からの参加で、フィールドワーク神戸Eグループの皆さんと、夙川教会の礼拝から合流しました。Eコースを第一希望にしたのは、フィールドワーク先がアンネのバラ教会であったことと、沖縄抗議ツアーで石束岳士牧師とご一緒したことがあったためです。夙川教会で礼拝をまもり、礼拝後には教会員の皆さんからカレーをご馳走になりました。鈴木攻平牧師ゆかりの教会ということで、教会員に鈴木牧師のご親族がおられ、さらには参加青年にも親族がおり、さながら他人の親戚の集まりにでも来てしまったかのような感覚に陥りました。教会や礼拝の話などいろいろと話題は尽きませんでしたが、「6割くらいの信仰心でも教会生活を送ることができる」、「神様がいると半分くらい信じている」と述べる教会員もおられて大変興味深く、若い信徒への励ましと受け止めました。
フィールドワーク先はアンネのバラ教会でした。急斜面の坂道を登りきったところに、教会はあります。アンネ・フランクが隠れ家としていた場所そっくりにつくられたという教会は、ややこぢんまりとした印象の教会です。アンネのバラ教会の牧師からユダヤ人迫害の歴史、アンネ・フランクのこと、アンネのバラ教会のことを、わかりやすくスライドや映像を通して教えていただきました。目や耳を覆いたくなるような暴力の数々を目の当たりにし参加者はみな絶句していました。もちろん知識として既にあったことですが、五感を働かせて知るということの大切さを改めて覚える機会となりました。アンネのバラ教会をフィールドワーク先に選んだ前段として、今年8月14日に女たちの戦争と平和資料館(WAM)で例年おこなわれている追悼の集いに参加し伺った話が深く印象に残っていたため、ここにしたいと決めた経緯がありました。アンネ・フランクはベルゲン・ベルゼン強制収容所で最期を迎えましたが、その強制収容所に送られる前に留め置かれた場所がオランダにあります。そこから各強制収容所に連行されていった10万2千人にものぼる人の名前を呼び、語る集いを6日間で116時間かけてその地でおこなうと伺いました。そのことから着想を得て、WAMでは追悼の集いを毎年執り行うことにしていると聞いたのです。一人一人の生に思いを馳せ、記憶していくことがいかに重要なことか、このフィールドワークでも学ばせていただきました。教会には小さなバラ園があり、その一角にアンネ・フランクの像が建てられています。なぜ教会の一角に像が建てられているのかたずねてみたところ、彼女の生を覚えておくためだということでした。像の存在を平和の碑(作品名は「平和の少女像」)に重ねました。他の参加者に日本の加害の歴史についてどう思うか聞いてみたかったのですが、そこで学んだことを咀嚼するだけでいっぱいでした。
2日目夜から3日目午前は、グループトークでした。私自身は今回、家族・パートナーのテーマでファシリテーターを担いましたが、あまりその役を果たせなかったと反省しています。なぜなら、あまりにも話があちこち飛んでしまって、まとめきれなかったからです。グループトークでとても良かったのは、それぞれの悩みを打ち明け皆で傾聴することができた点ではなかったかと思います。特に2日目夜に割り当てられたメンバーは、少人数だったためにそれができたのかもしれません。かなり込み入った個人的な話も出て、何か結論が出そうもないことでしたが、とにかくよく聴くように心がけました。3日目のグループトークではメンバー半分以上が入れ替わり、家族・パートナーの話をしました。家族に同じ信仰を持つ親や兄弟姉妹がいるという青年がほとんどで、私にとっては興味深い話ばかりでした。家族でひとりだけキリスト者だからです。家族での信仰継承のあり方、パートナーとの関係、心の拠り所としての家族、教会の家族性、社会制度のこと、いろいろと話題があがりました。一応のまとめとしては、親子の関係を縦軸にとって過去から未来の関係とし、パートナーの関係を横軸にとって現在(いま)の関係とする見取り図をつくって十字架のようにし、中心に「神・愛・礼拝」があるということで報告を終えました。「ともにある」ということを「家族」を通して、上記見取り図から空間的・時間的にもみていきたかったのですが、それをするには力量不足でした。それでも違う時間を生きている者同士が、親密な関係性を形づくっていく不思議さにもっと学びを深めたいと思わされるグループトークでした。また、もう少し参加された方のお話を聞いてみたかったと振り返ります。
主にフィールドワークとグループトークを中心に振り返りました。久しぶりに再会できた人、初めてお目にかかる人、これまであまり話す機会のなかった人たちと、フィールドワークやグループトークを通して交わりを深めることができました。今後もこのような集いが続けられることを願ってやみません。
私は2日目からの参加で、フィールドワーク神戸Eグループの皆さんと、夙川教会の礼拝から合流しました。Eコースを第一希望にしたのは、フィールドワーク先がアンネのバラ教会であったことと、沖縄抗議ツアーで石束岳士牧師とご一緒したことがあったためです。夙川教会で礼拝をまもり、礼拝後には教会員の皆さんからカレーをご馳走になりました。鈴木攻平牧師ゆかりの教会ということで、教会員に鈴木牧師のご親族がおられ、さらには参加青年にも親族がおり、さながら他人の親戚の集まりにでも来てしまったかのような感覚に陥りました。教会や礼拝の話などいろいろと話題は尽きませんでしたが、「6割くらいの信仰心でも教会生活を送ることができる」、「神様がいると半分くらい信じている」と述べる教会員もおられて大変興味深く、若い信徒への励ましと受け止めました。
フィールドワーク先はアンネのバラ教会でした。急斜面の坂道を登りきったところに、教会はあります。アンネ・フランクが隠れ家としていた場所そっくりにつくられたという教会は、ややこぢんまりとした印象の教会です。アンネのバラ教会の牧師からユダヤ人迫害の歴史、アンネ・フランクのこと、アンネのバラ教会のことを、わかりやすくスライドや映像を通して教えていただきました。目や耳を覆いたくなるような暴力の数々を目の当たりにし参加者はみな絶句していました。もちろん知識として既にあったことですが、五感を働かせて知るということの大切さを改めて覚える機会となりました。アンネのバラ教会をフィールドワーク先に選んだ前段として、今年8月14日に女たちの戦争と平和資料館(WAM)で例年おこなわれている追悼の集いに参加し伺った話が深く印象に残っていたため、ここにしたいと決めた経緯がありました。アンネ・フランクはベルゲン・ベルゼン強制収容所で最期を迎えましたが、その強制収容所に送られる前に留め置かれた場所がオランダにあります。そこから各強制収容所に連行されていった10万2千人にものぼる人の名前を呼び、語る集いを6日間で116時間かけてその地でおこなうと伺いました。そのことから着想を得て、WAMでは追悼の集いを毎年執り行うことにしていると聞いたのです。一人一人の生に思いを馳せ、記憶していくことがいかに重要なことか、このフィールドワークでも学ばせていただきました。教会には小さなバラ園があり、その一角にアンネ・フランクの像が建てられています。なぜ教会の一角に像が建てられているのかたずねてみたところ、彼女の生を覚えておくためだということでした。像の存在を平和の碑(作品名は「平和の少女像」)に重ねました。他の参加者に日本の加害の歴史についてどう思うか聞いてみたかったのですが、そこで学んだことを咀嚼するだけでいっぱいでした。
2日目夜から3日目午前は、グループトークでした。私自身は今回、家族・パートナーのテーマでファシリテーターを担いましたが、あまりその役を果たせなかったと反省しています。なぜなら、あまりにも話があちこち飛んでしまって、まとめきれなかったからです。グループトークでとても良かったのは、それぞれの悩みを打ち明け皆で傾聴することができた点ではなかったかと思います。特に2日目夜に割り当てられたメンバーは、少人数だったためにそれができたのかもしれません。かなり込み入った個人的な話も出て、何か結論が出そうもないことでしたが、とにかくよく聴くように心がけました。3日目のグループトークではメンバー半分以上が入れ替わり、家族・パートナーの話をしました。家族に同じ信仰を持つ親や兄弟姉妹がいるという青年がほとんどで、私にとっては興味深い話ばかりでした。家族でひとりだけキリスト者だからです。家族での信仰継承のあり方、パートナーとの関係、心の拠り所としての家族、教会の家族性、社会制度のこと、いろいろと話題があがりました。一応のまとめとしては、親子の関係を縦軸にとって過去から未来の関係とし、パートナーの関係を横軸にとって現在(いま)の関係とする見取り図をつくって十字架のようにし、中心に「神・愛・礼拝」があるということで報告を終えました。「ともにある」ということを「家族」を通して、上記見取り図から空間的・時間的にもみていきたかったのですが、それをするには力量不足でした。それでも違う時間を生きている者同士が、親密な関係性を形づくっていく不思議さにもっと学びを深めたいと思わされるグループトークでした。また、もう少し参加された方のお話を聞いてみたかったと振り返ります。
主にフィールドワークとグループトークを中心に振り返りました。久しぶりに再会できた人、初めてお目にかかる人、これまであまり話す機会のなかった人たちと、フィールドワークやグループトークを通して交わりを深めることができました。今後もこのような集いが続けられることを願ってやみません。
2019.10.20 週報の礼拝案内
週 報 74巻42号 2019. 10.20
また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」(出エジプト記12章26節~27節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<秋のオープンチャーチ・合同礼拝>
奏楽 加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書57章15節
*讃 詠 546
*罪の告白と赦し 交読詩編147編12節~14節
*讃美歌 68
<神の言葉>
聖 書 出エジプト記12章21節~28節 (旧約P.112)
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
祈 り 安 井 国 雄
*讃美歌 312
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 Ⅱ157
*使徒信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 539
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)松谷、薄田、入江、越智
(次週)森﨑、野田、大嶋、岡野
掃除当番(今週)福永真、松谷、伊木、須田
國見、河野武子、佐藤允
(次週)済陽、森﨑、國久、新畑
鈴木惠、小出勝、武政み
*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」(出エジプト記12章26節~27節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<秋のオープンチャーチ・合同礼拝>
奏楽 加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書57章15節
*讃 詠 546
*罪の告白と赦し 交読詩編147編12節~14節
*讃美歌 68
<神の言葉>
聖 書 出エジプト記12章21節~28節 (旧約P.112)
ヘブライ人への手紙11章28節 (新約P. 416)
祈 り 安 井 国 雄
*讃美歌 312
説 教 「救いのしるし」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 Ⅱ157
*使徒信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 539
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)松谷、薄田、入江、越智
(次週)森﨑、野田、大嶋、岡野
掃除当番(今週)福永真、松谷、伊木、須田
國見、河野武子、佐藤允
(次週)済陽、森﨑、國久、新畑
鈴木惠、小出勝、武政み
*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。