主 日 礼 拝 午前 10:30 <レントⅢ> 奏楽 岩 本 道 子 <神の招き> 招 詞 ヨブ記19章25節 *讃 詠 545B *罪の告白と赦し 交読詩編135編1節~3節 *讃美歌 26 <神の言葉> 聖 書 詩編42編2節~7節 (旧約P. 875) マルコによる福音書14章32節~42節 (新約P.92) 祈 り 森 千 恵 *讃美歌 285 <神への応答> *讃美歌 365 *十 戒 公 告 *献金感謝 *主の祈り (座席前そなえつけ) *頌 栄 541 *派遣と祝福 *後 奏 「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は お座りのままでどうぞ。 礼拝当番(今週)松谷、済陽、武政み、須田 (次週)森、岩本、中山、浜田 掃除当番(今週)薄田、青木、志賀、越智 藤沢、加藤純 (次週)河野武郎、安井、大嶋、菊池 栗原、島口 ☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。 |
2019.03.17~23 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日本キリスト教会の無牧の教会のため」
〇教師試補試験(東京中会) 18日(月)
〇日本基督教学会(白百合女子大学) 19日(火)13時〜
〇東京中会教職者会(鶴見教会) 19日(火)14時〜
〇第68回東京中会(横浜海岸教会) 20日(水)〜21日(木)
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)10:00
ヘブライ人への手紙6章1〜12節 担当 薄 田 東 正
司会 野 田 昭 子
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)14:00
詩編42編 担当 大 和 文 彦2019.03.17礼拝予定
主 日 礼 拝 午前 10:30 <こどもとおとなの合同礼拝・レントⅡ> 奏楽 岩 本 道 子 <神の招き> 招 詞 ヨブ記19章25節 * 讃 詠 545A * 罪の告白と赦し 交読詩編134編1節~3節 * 讃美歌 19 <神の言葉> 聖 書 ゼカリヤ書13章7節~9節 (旧約P. 1493) マルコによる福音書14章27節~31節 (新約P.92) 祈 り 松 谷 信 司 * 讃美歌 239 三 輪 地 塩 <神への応答> * 讃美歌 133 * ニカイア信条 公 告 * 献金感謝 * 主の祈り (座席前そなえつけ) * 頌 栄 540 * 派遣と祝福 * 後 奏 「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は お座りのままでどうぞ。 礼拝当番(今週)加藤、野田、鈴木美、鈴木惠 (次週)松谷、済陽、武政、須田 掃除当番(今週)菊地、松本、浜田、佐藤真 加藤ヨシ、板垣、草野 (次週)薄田、青木、志賀、 越智、藤沢、加藤純 ☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください |
2019.03.10~16 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「第68回定期中会のため」3/20~21日」横浜海岸
〇聖書の学びと祈りの会 14日(木)10:00
歴代誌上17:16~18章(担当 三輪地塩) 司会 野田 昭子
○「生と死」の学び 同 上 後
(三浦綾子著『泉への招待』P.193~204 担当 岡野 庸子
〇聖書の学びと祈りの会 14日(木)14:00
ヘブル書3章1節~6節 担当 岡野 庸子
2019.03.10 礼拝予定
主 日 礼 拝 午前 10:30
<こどもとおとなの合同礼拝・レントⅠ>
奏楽 加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 ヨブ記19章25節
*讃 詠 546
*罪の告白と赦し 交読詩編133編1節~3節
*讃美歌 16
<神の言葉>
聖 書 エレミヤ書31章31節~34節 (旧約P. 1237)
マルコによる福音書14章22節~26節
(新約P.91)
*讃美歌 269
<神への応答>
*讃美歌 276
*使徒信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 539
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)増田、新畑、佐藤真、志賀
(
次週)加藤、野田、鈴木美、鈴木惠
次週)加藤、野田、鈴木美、鈴木惠
掃除当番(今週)入江、増田、塩澤、岩本
吉田耕、吉田さ、武政明
(次週)菊地、松本、浜田、佐藤真
加藤ヨシ、板垣、草野
☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
2018.07.29の説教から
<7月29日の説教から>
『一杯の水を飲ませてくれる者は』
マルコによる福音書9章38節~41節
牧師 三輪地塩
イエスの名前を使って悪霊を追い出している人を見たヨハネは「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」と憤慨して言った。ヨハネは「主イエスに」ではなく「わたしたちに従わないので」と言っている。ヨハネは「イエスの名を使うなら、専売特許を持つ「我々12弟子に」許可を取る必要があるのだ」と言っているようでさえある。この自負心は「キリスト教会」にも起こりうる。これまでやって来た苦労、経緯、誇り、努力などが重なるほど、我々には自負心が生まれる。「我々はクリスマスに年に一度しか現れない、にわか信者とは違うのだ」とか、「教会のイベントやコンサートなどの時にしか来ない人たちとは違うのだ」という「誇り」や「自負心」が我々を取り囲みやすい。このようなヨハネ、ひいては我々に対して、イエスは「やめさせてはならない」「にわかファンでもいいじゃないか」と語るのである。
我々は、何かの集団を作るとき、内側と外側という領域を作り、イエスの名だけを語る偽物と、正統な我々、という構図を明確にしたがる。だがイエスは「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言う。この思いが極端になるとき、「自分たちに従わないので、私たちの基準に達しないので「排除」しましょう」という思考になる。まさにイエスの十字架はそのような思考構造の中で起きたことであった。
今から2年半前に、フランス「シャルリー・エブド社」が、ムハンマドの強烈な風刺画を掲載したことで社員数名が射殺されるというテロ事件が起こった。単純に語る事は出来ないが、しかし一つだけ言えることは、この事件には深すぎる「自己(中心的)愛」があるということだ。「自己偏愛」と言ってもよい。自己や、自己の集団・信仰を愛するがあまり、その枠を超える言説を認めることができなくなる。それがこの事件に繋がったのではないかと思う。
イエスの「逆らわない者は味方である」という言葉は、人間が、自己中心的偏愛から解き放たれ、自己と他者の垣根を越える世の構築を予期させるのである。