使徒言行録8章26節-40節

 使徒言行録8章26節-40節 『手引きしてくれる人がいなければ』 2010年10月10日

  人種の坩堝と言われる現代社会において、様々な国の人たちと出会うのは稀なことではありません。東アジア諸国のような、私たち日本人と殆ど見分けのつかない外国人から、人目でそれと分かるヨーロッパ・アフリカの外国人まで、日常的に出会っております。

 今日の箇所では、フィリポがある外国人と出会うことによるエピソードが記されております。前の箇所でフィリポは、魔術師シモンへ洗礼を授け、北イスラエルであるサマリア人に対して宣教活動を行なっておりましたが、今日の箇所で彼は、「エルサレムからガザへ下る寂しい道へ行きなさい」という主の言葉を聞いて、それに従うことから話は始まります。前はサマリア人全体に対する宣教でしたけれども、今日はたった一人の異邦人への宣教であります。その一人への救いのために、心を砕き、思いをもって、主は人をお遣わしになるのであります。

 そこへ現れたのが、「エチオピアの女王カンダケの高官で女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官」でありました。彼がなぜユダヤ地方に来ていたのかということですが、27節には「エルサレムに礼拝にきて、帰る途中であった」と書かれております。ですから彼自身はもともとユダヤ教の信仰を持ち、長い巡礼の旅を厭わずに行なう、篤い信仰者であったことが分かります。

 エチオピアという名前は、もともとギリシャの「イティオプス」に由来します。この「イティオプス」は「日に焼けた人々」という意味でありまして、黒人の肌の色に対する驚きがそのような名前をつけたのでありました。

 黒人に対して「日焼けした」という言い方は、今の私たちにとって、侮蔑的な言葉であるように感じるかもしれません。私たちはキング牧師や、ネルソン・マンデラの黒人解放運動をよく知る者として、黒人が差別の対象であるという歴史からそのように感じてしまうのであります。しかしそれは、アフリカ黒人が奴隷として新大陸で売買されてから顕著になって行った概念であるように感じます。しかし使徒言行録の書かれた当時、その黒い肌は、侮蔑の対象などでは決してなく、むしろユダヤ人やローマ人の間で驚きと賞賛の対象ですらあったという事であります。さらに、現代社会問題の一つである南北問題などもあるはずもなく、彼らは貧困地域の人ではありません。彼は女王の側近であり、女王の全財産を任せられた高官なのであって、高い位につく重要人物であります。

 この彼が、エルサレム神殿での礼拝の帰りに馬車に乗りながらイザヤ書を読んでおりました。その朗読の声を聞き、フィリポは彼に「読んでいることがお分かりになりますか」と話しかけるのです。

 エチオピアの宦官は大変素直に、そして謙虚に「分かりません」と答えるのです。その分からなかった聖書が、イザヤ書53章7節~8節の、いわゆる「苦難の僕」の箇所であります。「彼は羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行なわれなかった。誰が、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ」。このような御言葉であります。

 これに対してフィリポは、これこそが十字架のキリストの事である、と指し示し、この解き明かしに感銘を受けた宦官は「洗礼を受けたい」という意思を表明いたします。37節「宦官は言った。ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。そして車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた」。このようにして彼は洗礼に満たされながらエチオピアに帰って行くのであります。

 これは異邦人が洗礼を受け、神の民の一員とされる印象的な場面でありますが、実はこの洗礼に関して、今日の箇所では全く触れられておりませんが、大きな難問を抱えておりました。それは彼が、「去勢された宦官である」ということであります。宦官というのは、もともと、女王に仕えるという職務上、去勢されていなければならず、また王の側近となるわけですから、権力の世襲を防ぐためにこのような制度が始まったと言われております。

 しかし先ほどお読みいたしました。申命記23章2節以下には、「去勢された者は、主の会衆に加わることは出来ない。混血の人は主の会衆に加わることは出来ない」と書かれております。これが律法で定められた、ユダヤ教徒であるための条件であったのです。ですから「エチオピア人」の、しかも「宦官」ということであれば、彼がユダヤ人の主の会衆に加わることなど到底許されるはずもなく、どんなに信仰が篤くても、彼は部外者以外の何者でもなく、ユダヤ教に興味のある、非ユダヤ人であったのであります。
 このような彼の境遇は、彼自身を悩ませていたに違いありません。信仰の有無ではなく、人種の違いや、体の機能の違い、また、その人の選んだ人生による結果によって、つまり外面的特長によってその人の全人格が決定されてしまうという律法だったのであります。

 しかしここで宦官は苦難の僕についてフィリポに質問を投げ掛けるのであります。ここでは「イエスについて福音を告げ知らせた」とだけ書かれておりますが、フィリポはおそらくイエス・キリストという方の救いの本質を語ったのであろうと思います。それはキリストこそが、全ての人のために苦しんだ方である、という使信であります。「十字架の受難は、全ての人の十字架であり、それは『異邦人』であり、『去勢された宦官』でもある、あなたへの救いです」と、恐らくそう話したのではないかと思います。この救いの使信を聞いた宦官は、二つ返事で「ここに水があります。どうか洗礼を受けさせてください。」と洗礼を懇願したのです。
 
 旧約の律法は、イスラエル人たちの信仰を守るためのものであります。異邦人を仲間として認めることによって、宗教混交の危険が伴うでしょうし、去勢を受けた者が会衆となることによって、男色の問題や、子孫への受け継ぎが立たれている、という問題があったのかもしれません。いずれにしてもネコの額ほどのちっぽけなユダヤ地方の弱小国家である、ユダヤ人たちを異教の脅威から守り、子孫へ未来永劫に信仰を存続させることから考えて、申命
記23章のような律法が必要であったのかもしれません。ですから私たちは、一概にこの律法の偏狭さを批判的に捉えてはならないのであります。

 もっとも、イザヤ書56章3節~5節にはこのように書かれております。1153ページです。「主のもとに集ってきた異邦人は言うな。主はご自分の民とわたしを区別されると。宦官も言うな。見よ、わたしは枯れ木に過ぎない、と。なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集ってきた異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに、連なることを許す。」

 このように書かれております。恐らくこの宦官は、律法の重要さと厳格さによって、受け入れて貰えないということで、悲しさを心に刻み込んでいたと考えられます。しかし律法の書とは別に、イザヤ書には異邦人への慰めの言葉が記されていることに親しみを持って、イザヤ書を愛読していたのでありましょう。この彼がキリストの福音に導かれたことは、至極当然の事でありました。

 さて、今日の箇所を紐解く上で、注目すべきことは、このエピソードの主人公は誰であるのか、ということであります。ここにはフィリポ、エチオピアの宦官、名前だけなら女王カンダケ、なども出てきますが、フィリポと宦官の対話にのみ注目してしまうと思います。しかし、結論から言いますならば、この箇所は徹頭徹尾、神の見えない力によって導かれているのであります。事の発端は「主の天使はフィリポに言葉を掛けた」ことから始まっておりまして、29節で「“主の霊”」が語り掛けたのも、また偶然にもフィリポが追いかけることの出来る程度の速さで馬車が動いていたのも、宦官が声に出してイザヤ書を「朗読」していたことも、道を進んで行くうちに、水のあるところに来たことも、それは主によって準備が整えられていることを示しているのであります。また洗礼を授けたフィリポが、主の霊によって連れ去ってしまうことも、このエピソードの主人公が、主であることを示しているのです。洗礼に導いたフィリポという人間の力に注目してしまうことの多い私たちですが、しかしその後すぐにフィリポは宦官との関係を絶たれてしまいます。それは決して残念なことでもなく、むしろ洗礼によってそれを受けた者は、人間同士の関係の中にではなく、神との関係性の中で生きるという事を表しているのではないでしょうか。 この後エチオピアの宦官がどのような人生を送ったのかを聖書は記しておりません。しかしエウセビオスによれば、彼はエチオピアに帰り、宣教師になったと報告しております。その真偽のほどは分かりませんけれども、しかし私たちは、この生き生きとした回心の出来事を、私たちの信仰的事柄として素直に受け取るならば、このエピソードが単なる物語ではなく、私たちの歩みそのものと関連づけて読まれるべきものとなるのであります。
 つまり私たちは、人生を歩む中で、また信仰を貫く中で、様々な障壁や障害、課題や問題に突き当たります。それはエチオピアの宦官が異邦人であることや、律法では去勢者が認められていなかったという事に示されているとおり、自分ではどうすることも出来ない外面的な障壁、束縛、人生の呪縛を抱えるのです。それは自分ではどうすることも出来ず、ただ密かに神に自らを問うだけであります。この宦官がたった一人でイザヤ書を読んでいたのは、このような悶々とした思いの中での神への問い掛けだったのかもしれません。
 そうであるならば、今日の箇所は全き恵みとなって私たちに答えます。それは「あなたの障壁は、キリストによって取り払われた」という救いです。人間の力を遥かに超えたところに存在する、神の力と導きが、私たちを取り囲んでいる。このことを信じて生きることき、全ての障害が、また恵みとなり、全ての困難が、主の導きへの礎となるのであります。このことを心に留めて、今週も主に導かれて歩んで生きましょう。

使徒言行録7章1節-53節

使徒言行録7章1節-53節 『ステファノの説教』 2010年9月5日

 使徒言行録にはたくさんの説教があります。その中でも最も大きなスケールで相当な分量で書かれているのがこのステファノの説教です。今日の箇所を簡単に整理して見ますと、2節から8節まではアブラハムの事について話されています。9節から16節まではヨセフ物語。そして17節から43節はモーセと律法について。44節から50節までは幕屋と神殿。51節から53節は聴衆に対する言葉。これがまとめの言葉ということになっているわけです。この区分から分かるように、量の多さから言って最も力点が置かれているのが、モーセについてです。ここが今日の焦点になっていきます。私たちは、ステファノの躍動する肉声を聴く思いをもって、この御言葉に聞きたいと思うのです。

 1節に「大祭司が訴えの通りかと尋ねた」とありますが、では何が訴えの通りなのかということですが、先週の箇所でが6章11節でステファノを告訴するユダヤ人たちはこのように言っていました。「私たちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」。この告発の言葉に答えるためにも、彼はモーセについて積極的に言及したのでしょう。

 19節にはこうあります。「この王は、私たちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。この時にモーセが生まれたのです」。21節「その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです」。つまりモーセはその出生から幼年期に掛けて、既にモーセ自身の特徴、つまり彼は「捨てられ」そして「拾い上げられた」が含まれているということです。この線に立ってステファノはモーセを語ります。

 23節以下、26節以下、そして34節以下でモーセは、捨てられる者として書かれています。けれども彼は「誰が指導者、裁判官にしたのか」と言われた彼が、神に任命されているのです。モーセははじめの頃から同胞のユダヤ人たちに拒絶されていた、という事を、ステファノは様々な聖書箇所を例証して語っているのです。あなた方が律法を受けとったあのモーセにさえも、あなた方が大切にしているあのモーセをも、あなた方自身が拒絶したではないか。そのことにちゃんと目を向けなさいと、ステファノは言います。27節で『誰がお前を指導者や裁判官にしたのか』といっているのが単数の「男」であると書かれています。。しかし35節では「人々が」と複数になっているのです。つまりここではモーセを拒否するのが単数から複数になっている。ここにステファノの、また著者ルカの巧みな語りかけがあります。拒絶するのが個人から民のレベルに広がっている、ということです。それは一人ひとりの罪が増大し、イスラエル全体の神への拒絶になっているのだ、ということなのです。

 イスラエルの民たちがエジプト脱出を果たした後「命の言葉」(律法)を受けます。しかし39節「けれども先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトを懐かしく思い、アロンに言いました。『私たちの先に立って導いてくれる神々を造って下さい。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で作ったものをまつって楽しんでいました。そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました」

 その後ステファノの説教は、幕屋と神殿の事について説明します。その結論が48節にあります。「けれども、いと高き方は、人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っている通りです」。つまりイスラエル人たちが大切にしているその神殿は、神が元々住まわれるような場所ではなく、人間の手によって作られた人工物に過ぎないのだ、とステファノは言います。それはイスラエル人の信仰に対しての否でありました。あなた方の守ってきたもの、すなわち神殿の絶対化、そしてそこにしがみつく宗教システム。それは残念ながら意味を成さないものであるのだ。このようにいうのです。これを裏付ける言葉として49節以下の、イザヤ書66章1節~2節の言葉が引用されております。「お前たちは私に、どんな家を建ててくれるというのか。私の憩う場所はどこにあるのか。これらは全て、私の手が造ったものではないか」。この言葉を引用し、裏づけにするのです。

 そしてステファノの説教は最終的な段階に入ります。それは彼がこの長い説教の中で最も言おうとしたものです。それが51節以下です。「かたくなで、心を耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったいあなた方の先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなた方が、その方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした」。これがステファノの最終的な宣言であり、警告でした。

 それを聞いた人々はどうしたかと言いますと、54節「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向って歯ぎしりした」とあります。この「怒り」を石に込めて襲い掛かった、というのです。この後ステファノは殉教の死を遂げていくことになります。このように真の御言葉を語った者が殉教の死を遂げていく。

 今日の言葉は大変に厳い言葉であります。これまでペトロの説教を見てきましたけれども、ステファノのそれはペトロの語るような優しさではなく、辛辣に、激しく語るのです。しかし彼は前の箇所でも言われておりますように、彼は「信仰と聖霊に満ちている人であった」と言われている言葉からはこの辛辣さは想像できません。その彼がなぜこのように辛辣にそして激しく語り得たのか、ということが疑問に残るわけでありますが、しかしそれは、彼でなければ語りえなかった、と言う方がただしいかもしれません。つまりステファノはヘレニスト、ギリシャ語を話すユダヤ人であったのです。神殿宗教の体質を、大祭司たちに操られて形骸化したこの体質を温存したままで主イエスを受け入れたとしても、キリストの福音とは相容れぬものであると見
たのでしょう。それはヘブライ人であったペトロには出来ないことでした。そしてこのような事を語ると、迫害され死に至ることを彼は十分に承知していました。しかし主は真の御言葉としてこれを語らしめたのであります。それはアブラハムがハランから出発したときとの信仰的決断と同じように、また、モーセが主の真実な御言葉に応答するために、口下手を自認していた自分自身を奮い立たせた決断をしたようなに、一見無謀にも見えるステファノの決断は、信仰から生まれたものであったのです。そして彼はこれを語ることによって殉教することにはなりますが、しかしこの後福音を世に広めていく大きな力となっていくのであります。神は、このように言葉を用いて、優しい言葉、辛辣な言葉、真そして人を用いて、神の業を実現させるのであります。

 とにかくこのステファノの説教を聞くとき、大変に重苦しく論争的で、敵対感溢れた論調であるように感じます。先ほども言いましたけれども、ペテロの説教を思い起こして頂きますと、例えば2章38節では「悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を許して頂きなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」。3章19節「だから自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち返りなさい」。このように悔い改めが語られているのです。しかし今日の箇所では、ステファノの説教においてそれは見られません。最後まで論争的であり、敵対的であるこの説教から、私たちは何を御言葉として聞けば良いのでしょうか。

 まず私たちが考えねばならないことは、今日の箇所全体を通して語られていることが、神の救済の歴史である、ということです。アブラハムから始まり、ヨセフ、モーセ、と繋がっていくこの説教ですが、聖書に語られた救済の歴史をステファノは語っているのです。

 しかし私たちはこの救済の歴史に対してどうやって応答してきたであろうか。それは拒絶という形をもって応答であったのです。私たちは心かたくなに、いつも聖霊に逆らっていることを今日の箇所から汲み取ることができるのです。人類は、モーセに対して拒絶したように、イエス・キリストに対しても拒絶してきたのです。

 今日の箇所を私たちは、一見すると客観的に読みがちであろうと思います。ユダヤ人とステファノの対話。論争的な言葉。そして最終的には殉教の死を遂げていく。そのような客観的な読み方をしてしまいがちではないかと思います。けれどももしそのように第三者としてこれに聞くならば、そこにあるのは「頑なで、聖霊に逆らう私たちの姿」ではないでしょうか。

 つまり、もし私たちがこれをユダヤ人の出来事として自分から切り離して聖書から聞くならば、それはステファノの言葉に耳を貸さない者と同様であるということです。ここに出てくるのは、ユダヤ人であるとか、ギリシャ人であるというような、どの人種に対して何を拒絶したのかではなく、私たちが主の言葉を拒絶したということ、その罪の中に私たちは入れられるのです。今日のステファノの説教の言葉を聞き、あなたも同じですよねという彼の言葉を聞きます。その彼の問い掛けに対し、「いいえ私たちはそうではありません」と答えるならば、これを聞いて「歯ぎしりして激しく怒る」イスラエル人と同じ拒絶をしているも同然です。

 しかしひとたびこの言葉を聞いて、アーメン、その通りです。それこそ私の姿、私の罪です、と告白するならば、そこには「悔い改めなさい」というペテロのあの優しく語りかける言葉が含まれてくるのです。この言葉は私たちを辛辣に罵倒するのではなく、また苦しめるために語られたのではなく、私たちを救いに導く悔い改めのために与えられた言葉となるということです。ステファノの言葉は裁きの言葉です。けれども良く考えてみて下さい。裁きとは一体何か。裁きは神の怒りであるでしょうか。確かにそのような一面もあるかもしれません。けれども、その怒りは、私たちを神の方に向けるための怒りでもあります。私たちを真の道に歩ませるための裁きです。私たちに祝福を与えよう与えようと何度も何度もあの預言者たちを送ったように、そして最終的にはイエス・キリストを私たちに送って下さったような恵みの裁きであるのです。つまりステファノの説教に隠されているのは、私たちに悔い改めよという真の救いの御言葉である、ということです。ここにある豊かさに私たちは気付き、ここにある恵みに気付くとき、私たちの心はかたくなではなく、主に対し、開き、そして心に洗礼を、心に割礼を受ける者として主に向って真の福音に従って歩む者となるのです。   

主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節

主日礼拝説教使徒言行録6章8節-15節  『その顔は天使の顔のように見えた』  2010年8月29日

 先週私たちは、初代教会の人たちの中で起こった、問題についてみてまいりました。それはギリシャ語を話すユダヤ人、いわゆるヘレニストと、ヘブライ語を話すユダヤ人、いわゆるヘブライ人との間に起こった問題でした。社会的弱者としてのやもめへの配慮が欠けているという事で苦情が出たため、初代教会は「霊と知恵に満ちた人物」を7名選び、それに按手をして教会の働きに就けた、という内容でありました。
 この時選ばれた7人は、ヘレニストとヘブライ人の代表者をそれぞれ選んだというのではなく全員がヘレニストでありました。つまり教会という場所とその教えは、社会的弱者、弱い人、苦しむ人に対して、神の愛と施しを行なうために建てられ、存在している場所だということなのです。私たちの教会は、強い者に迎合し、強い者に味方して生きることではなく、弱く苦しんでいる者たちのために、神の言葉を語り、具体的な奉仕をするように促されているのであります。その事を前回の箇所から聞くことができました。

 しかし今日の箇所では、そのヘレニストたちが問題になっています。ステファノは、選ばれた7人の「霊と知恵に満ちた人たち」の一人でしたから、その言葉においても、信仰においても、人を惹き付け、説得力を持っていたのでしょう。8節には「ステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行なっていた」と書かれております。彼の働きは民衆の心を打ち、また弱る者たちを強め、困る者たちを助ける善き働いをしていた、ということであります。

 しかしそのステファノと真っ向から対立する人々が現われました。「キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々」であります。彼らはが「立ち上がり、ステファノと議論した」とあります。この「解放された奴隷の会堂に属する人々」というのには、云われがあります。古代ローマ帝国時代、紀元前63年にポンペイウスがエルサレムを攻め滅ぼしたことがありました。そのときユダヤ人の捕虜をローマに連れ帰り、奴隷としたのですが、その後間もなく彼らは解放されました。その自由の身となった人たちが、エルサレムに戻ってきて自分たちのシナゴーグ、すなわち「ユダヤ人の会堂」をつくりました。それがここに出てくる「解放された奴隷の会堂」というわけです。また、そこに集まった人々の中には、「キレネとアレクサンドリアの出身者と、キリキア州とアジア州の出身者がいた」と書かれていることから想像しますと、この会堂に属する人たちは「ヘレニスト」であったことが分かります。ヘレニストということは、あの初代教会の中で弱者の立場にあった、やもめたちの立場、ということです。つまり前の箇所では「弱者」として登場したヘレニストが、今度は「強者」「敵対者」として登場してくるわけです。

 そしてこのステファノも同じくヘレニストでありましたから、同じギリシャ語を語る仲間に対して、キリストを伝えるという使命感に燃えていたのでしょう。その情熱を持って多くの議論が交わされたと言います。しかし結果は「知恵と霊によって語った」ステファノに、ヘレニストたちは完全に歯が立たず、太刀打ちできませんでした。主イエスこそ、キリストであるという事を理路整然と語ったことにより、ヘレニストたちは全く反論できなかったということでありましょう。

 しかしこのステファノの言葉は、単なる理論や理詰めの論争、ということではなく、「知恵と霊に満ちた」という言葉から分かりますように、彼の言葉には真実があり、誠実があり、神の義と、神の愛に満ちて

8月15日 敗戦記念日集会 講演

 8月15日 敗戦記念日集会 講演会  朴寿吉(パク・スギル)氏(在日大韓基督教会牧師)

『世界の平和を願って』 ― 在日大韓基督教会の平和教育と関連して ―


はじめに
 1910年8月は韓国が日本の植民地になった時で、今年が丁度100周年になる。特に、今日は太平洋戦争で日本が敗戦して65周年の年にもなる。戦後の日本は平和憲法のもとで今まで平和的に過ごし、経済的な発展を遂げて来た。
 21世紀に入り、また科学技術も想像を超えるように進歩して来たと言えるであろう。しかし、人間の社会が進歩して来たのかと問われたら、答えに迷う人がいるかも知れない。確かに、古代の奴隷社会よりも、現代の資本主義社会の方が人間の平等と福祉をより実現している面は認めなければならないであろう。だが、現代の社会がどのような人間をも公平に扱っていると断言する人はいないであろう。
 今日、科学と技術の発展と共に教育環境に革命的な変化を与えている分野が情報化技術である。「マルチ・メディア」によって、もっと本格的に吹いてくる、ポストモダン(Post-modern)の世界は我々の日常生活をすでに深刻に揺さぶっている。

1.平和をつくり出す教会の教育
 先ず教育とは何かという定義をして見る必要性があると思う。定義は理解を明確にし、思想や行動に方向を与え、相互関係のために共通の基盤を提供して、意見の不一致がある中でも人々が共に考えることを可能にする。
コロサイの信徒への手紙・3章9~10節に「あなたがたは、古い人をその行いと一緒に脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」と記され、第二コリントの信徒への手紙二・3章18節に「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」と記されている。
人間の内にキリストのかたちを形成するのは神の業である。即ち神の恩寵の業であり、奇蹟である。神は聖霊を通して人間の内にキリストのかたちを形成される。そのキリストの仲保媒介性において、聖霊を通して行われる人間形成の業が平和をつくり出す教会の教育なのである。
 私たちが教育の根本目的を考える時、個人と社会は決して分離して考えることはできない。 教育は個人を主体にし、社会をその場とすることによって成される作用である。学ぶ喜びを体験し、継承することなしに、教育を具体的に考え、それに取り組むことはできないと思う。
 また、寛容は決して真理に対する無関心を意味しない。確固たる確信を持つことは、寛容の必要条件である。自分と対立思想の持ち主に対し、無関心を装うことが寛容なのではない。対立を対立と認めながら自分自身の立場に潜む相対性と不完全を率直に認め、学問の多元性を維持しようと努める時、私たちは寛容の精神を現実化できるのではなかろうか。

2.在日大韓基督教会の平和教育宣教
 在日社会は、戦前・戦後を通してその大半は苦節の生活を強いられてきた時代であった。1970年代からの在日の生活権確立と人間の尊厳への取り組みは、在日をはじめそれまでの外国人に対する閉鎖的な日本社会において、外国人の人権問題がすでに避けて通れない社会的な課題となった。この間徐々にではあるが、法的・制度的及び社会的差別が解消され、在日の生活の安定にも大きな影響を与えてきた。その延長線上に「多民族・多文化共生社会」という21世紀へのビジョンが明確にされてきた。
 また、在日社会は今日多様化に直面している。在日社会の構成員の多様化やアイデンティティーの多様化である。在日社会の世代交代が進み、一世はごく少数となり、日本生まれの世代に中心が移り、すでに五世も生まれている。国際結婚による多国籍家族、日本籍取得者、また80年代以降来日した新一世及びその二世も増加している。後者はそれぞれの世代、地域性や生活環境、民族教育の有無、母語の使用、民族名使用の有無等を背景としての民族的アイデンティティーの多様化である。これらの多様化は在日コリアンのライフ・スタイルにも関係している。
 21世紀における日本社会の目指すビジョンは「多民族・多文化共生社会」の実現である。日本社会は外国人と日本人の「共生」を達成し、新しい時代を迎えるために、新しい価値観が必要である。外国人の人権と民族的・文化的独自性、そして地域社会の住民としての地位と権利を包括的に保障することが不可欠である。同時に在日社会においてもそれに向けたライフ・スタイルの変化、すなわち責任をもって自らの住む地域社会に参画し、その発展を共に切り拓くことが求められている。
 ここで、在日の歴史や現況を確実に捉えて、宣教戦略の可能性を共に見出して行きたい。それには今までの情報や経験を生かしながら、その具体的な戦略を話し合って行くことが望ましい。在日大韓基督教会は、2008年に宣教100周年を迎え、自らの方向性をもう一度確かめながらその信仰継承をして行くために、どのような教会の教育をして行くべきかを考えて見た。過去の歴史を振り返る必要性と100周年を記念し、多元的な教育宣教について共に取り組んで行きたい次第である。


3. 教会の教育的使命
 教会は、全ての人間が神御自身の姿に似せて造られたから人間を神と対話する「神の子ども」(ヨハネによる福音書・1章12節)として、あるいは「神の家族」(エフェソの信徒への手紙・2章19節)として見ている。「神の家族」形成はただ他者の「ために」ではなく、生命あるものと「共に」という視点を持っている。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」(ローマの信徒への手紙・12章15節)教会である。
 また、教会はキリストの十字架と復活を通して神と人間との霊的であり、人格的関係の出来事が発生する信仰共同体である。教会は永遠と時間が交差する神の啓示的な出来事と人間の応答が出会って、絶えず創造していく神秘的共同体である。
 その共同体の中で、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」とキリストは痛みをもつ者に対して、語っておられるのである。そして、弱さと痛みの極限にいる者と痛みを共にして下さるという恵み、これが福音なのである。
 このように、教会は、この世にあって様々な痛みを持つ人々に対し
て、特に、愛する者と死別し、悲嘆の過程にいる人に対して、キリストの愛、「神の痛みに基礎づけられし愛」を示すために奉仕をするという役割があるのである。
 この意味で教会はいつも社会より一歩先立てて行くべきである。これは神的命令である。そしてこのような状況が教会をもっと教育する教会に要請しているのである。
 生活と仕事の教育的意味の解明を通して、我々が整理してみることができる確かな教訓は、教会が教育的使命を正しく遂行するために、学校の教育理解と教育方法を無反省的に受容することを中止しようとする事実である。
主イエスは12弟子と共に生活しながら教えられた。教育と生活が分離されていなかった。教えと生活と仕事が一つであった。教育の本質である生活と仕事を教会が回復していく事が今日の教会の教育的使命なのである。

終わりに:共に生き、共に生かし合う社会を
 「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(ペトロの手紙一・2章9節)
 ここにはペテロの驚きがある。「驚くべき光」の中に招き入れられている。我々の教会は「驚くべき光」の中に、暗闇を照らす光、否定を肯定に変える光の中に包まれている。この光のゆえに自分の弱さが誇り(コリントの信徒への手紙二・12章9節)となる世界の中に生かされている。このキリストの光に包まれて、否定的なことも肯定して受け入れ、しかも、それを今生きる力にしてしまう。こんな明るい心を育て合う教会になれたらと思う。

 2004年の8月、第24回世界改革教会連盟(WARC)総会がアフリカ・ガーナにて開催され、代議員として出席する機会が与えられた。全世界107カ国の218教団・教派からキリスト者が1,000名程集まる世界会議であった。
 その時、“巡礼の旅”と称したフィールド・トリップがもたれ、15世紀末頃からアフリカの人々を奴隷としてヨーロッパやアメリカ大陸に運ばれた拠点であったCape Coastとエルミナ港にある奴隷城なども訪ねた。暗い奴隷地下牢で、韓国から参加された女性神学者とある黒人の方は500年前の黒人奴隷のつらさを思いすすり泣きをし、ある白人の方は涙して告白した。それは、自分たち白人は宗教改革の頃、教会の教理に対しては命をかけて戦っていたが、実はその時にも、目の前にいる、最も汚くつらい仕事をさせられ、最も虐げられている黒人奴隷のことは全く眼中にもなく、むしろ彼らが奴隷でいるのは当然であると考えていたのではないかという点であった。この黒人奴隷の問題に対しても共に戦い、黒人達は奴隷から解放されるべきであるのに、そのようなことには全く気付かなかったという自分たち白人の罪を告白し、悔い改めて泣いていたのであった。
 その会議では、主に南北の経済格差について話し合われた。私自身も、現在においてはアメリカ、ヨーロッパ諸国、日本同様、経済的には北側の豊かな国に属しているものである。そして日頃の生活の中で自分の豊かさに慣れ、貧しい南に属する人々を顧みていない罪を示され、悔い改めた。私がその時、見てきたアフリカの現状や、今なお貧しい国々に対する正しい理解と支援などを伝えていき、いと小さき者と共に生きるという平和教育をしていく事も、我々の使命の一つであると考える。

 私は、自分が住む周辺の兄弟姉妹が負わされてきた歴史に対峙する姿勢が必要であると思う。最近までのイラク戦争を見ても、強力な軍事力によって人々は決して動かされないことが、悲しい形で証明されていた。力によって人に強制するものではなく、魅力によって人を引き付けるものを提示する平和教育が求められる。
平和とは、ただ戦争がない状態であればいいのかというとそれはむしろ消極的平和である。本当の平和とは、一人一人が安全であり、人権が保障されている状態であると言える。そしてその様な状態を作り出す者もまた私たち一人一人なのである。そのために自らを教育し、教育されていく必要があるのではないかと思う。
また、社会的弱者、すなわち、少数者(Minority)、難民、障害者、日雇い労働者、いじめや家庭内暴力等の問題を抱える者、引きこもりや自殺願望のある者、エイズやアルコール中毒者の問題などと係わることを通しても成熟していく面もあり、そこのような社会と共に歩む平和教育が今切実に求められている時である。

使徒言行録3章11節-26節 主日礼拝説教 2010年6月27日

使徒言行録3章11節-26節
『悔い改めて立ち帰りなさい』

 ギリシャ哲学の祖である、ソクラテスは、「無知の知」という事を言いました。それは「自分の無知を自覚する事から全ての知への探求が始まるのだ」ということであります。確かに自分は何でも知っている、という人ほど、怪しいものはありません。それは「私は神の使いである」と言ってのける怪しい宗教者も同じでありましょう。自分には力が無い、そのことから人間は謙虚さを学び、真理の追究が始まるのでしょう。

 さて、今日の箇所でペトロとヨハネは、12節でこう言います。’「イスラエルの人たち。なぜこのことに驚くのですか。また、私たちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたように、なぜ、私たちを見つめるのですか」‘。これは前の箇所からの続きとして語られています。つまり3章1節~10節の出来事、「生まれながら足の不自由な男性」が「立ち歩き出した」という奇跡を目の当たりにした民衆が、ペトロたちの起した奇跡に感心し、驚いていたことによって、12節で彼らは言っているのです。しかし奇跡は自分の力ではなく、神の力によるものだ、と強調いたします。つまり「ソクラテスの無知の知」ではありませんが、「自分に力が無いことを認め、力は神のみにあることを認める」という立場で宣教に臨んでいるのです。

 しかし彼らの興味関心は、「奇跡を実現させた力の所在」ではなく「この民の罪の責任」に強調点がおかれているのです。13節から14節までで語られているペトロの言葉は、十字架の出来事を具体的に言い表した、鋭い言葉であります。本来ならば命に導くはずの「命の主イエス」を殺した、それは自分の命を殺したのも同然の愚かなことであった、という事を鋭く暴き出しております。

 しかしペトロは、17節で、’「あなた方があんなことをしてしまったのは、指導者たちを同様に無知のためであったと私には分かっています」‘と、ユダヤ人の行なった所業に関して情状酌量を認めているように言われています。それはペトロという人物が、同じ民族、同胞であるユダヤ人に対して、その回心を求めているからでありましょう。今日の箇所を全体通して見てみますと、ペトロはユダヤ人に悔い改めを求め、出来ることならユダヤ人がキリストを信じる者として立ち帰ってほしい、という強い願いが示されているように読み取れます。もちろん私たちも、同じ日本人の回心を求める者たちとして、このペトロの気持ちは良くわかります。けれども聖書があらゆる箇所で、ユダヤ人の回心に関して語るとき、第一義的にユダヤ人、次に異邦人、というニュアンスで語られているように感じてしまいます。

 例えばローマ書2章9節にあるような’「ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも」‘という言葉に出会いますとき、私自身、本当に引っかかりを感じておりました。何故かといいますと、ヤハウェの神がユダヤ人の神であり、ギリシャ人もしくは異邦人はそのおこぼれに預かる者として、第二義的な救いの余り物を頂いているように読めてしまうからであります。私自身そう感じてならなかったのです。それは完全な民族主義でありますし、ユダヤ民族の宗教から脱し得ない「選民思想の最たるものだ」と、そのように感じてきたのであります。ですから今日の箇所のような、ユダヤ人に回心を求める箇所には、聊かならぬ抵抗を感じておりました。

 けれども、今日の御言葉に接し、この長い箇所全体を通し紐解いてみて、まったく違ったことを感じて聖書を読むことが出来たのであります。それは私自身の「バカの壁」が、取り払われる瞬間でありました。つまり今日の箇所で語られていることは、確かにユダヤ人を対象として語られているけれども、このユダヤ人とは民族主義的なユダヤ人のことではなく、’「罪ある全ての霊的なユダヤ人」‘ということではないか。’「ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも」‘と聖書が言う「ユダヤ人」とは、文字通りのユダヤ人を指しているのではなく全ての罪人、すなわち私たちのことだ、ということであります。神を信じているが、しかし神の約束を信じきることの出来ない者たち。つまり私たち。キリストの言葉に心開かれるがしかし、最終的には「そんな人は知らない」と三度に渡って神の御子を否んでしまう罪を持つ私たち。「十字架につけろ、十字架につけろ」と民衆意識を煽り立て、感情的に周りの人々に巻き込まれるようにしてこの独り子を十字架に追いやってしまった私たち。それがここで言われている「ユダヤ人」であり、ひいてはここにいる私たち姿なのではないだろうか。と、そう感じたのであります。

 私たちが聖書に書かれている「ユダヤ人」という言葉を聞きますとき、どうしても他人事のように感じてしまうのではないでしょうか。ヘロデに掛け合って主イエスを裁判に仕向けたのも、ピラトに詰め寄って「バラバを解放せよ」と叫び続けたのも、自分たちとは何の関係もない、あのユダヤ人の成した所業である、と、心のどこかで主イエスを十字架につけた罪を、他人の責任にし、客観視している自分が、心のどこかにいるのではないでしょうか。自分はキリストを十字架に掛けていない。欠けたのはユダヤ人だ。もし私がゴルゴタに居たら、キリストを十字架から引き摺り下ろして、力ずくでもキリストをお救い申し上げたのに。と、そう考えることがありはしませんでしょうか。しかしもしそう思っているならば、その人こそがキリストを十字架に掛けた、あるいは銀貨30枚でキリストを引き渡した張本人であると言えるのです。「無知の知」ならぬ「無知の罪」であります。自分は罪を犯していない、と思い込んでいる罪、なのです。

 つまり私たちこそがキリストの十字架の罪と最も関係の深い者たちなのだ、このことに気付かなければ、私たちの信仰も信仰生活も、全くの徒労に終わってしまうのです。このユダヤ人の罪こそが自分の罪。この裏切りこそが私たちの裏切り。そう認識することから、全ての救いが始まるのであります。「私は知らないという事を知ることから知ることが始まる」ように「自分が罪人であると知ることから、救いへの道が始まる」のであります。

 今日の箇所をもう一度良くみてみましょう。23節’「この預言者に耳を傾けない者は皆、サムエルをはじめそののちに預言した者も、今の時について告げています。あなたがたは預言者の子孫であ
り、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です」
‘。このように言われております。つまりこの十字架の罪に直接的に関わった者たちに対して、「あなた方こそが神さまの契約の子である」と認められているのです。契約の子とはすなわち「神の救いの中に入れられた、救いを確証された者」であります。「もう二度と滅ぼすことは無い」と言って、救いの虹を見せて下さったあの契約。シナイ山で神の救いの律法を与え下さったあの契約であります。十字架につけた張本人であるこの私が。そのあなたが。救いを確証された契約の子その者である、と聖書は言うのです。

 今日の箇所は、ユダヤ人に対する糾弾と言いうるほどの厳しい言葉に溢れています。特に13節’「ところがあなた方は、このイエスを引渡し、ピラトが釈放しようと決めているのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで人殺しの男を赦すように要求したのです。」‘このような言葉に、厳しいユダヤ人への責めと糾弾が込められているように感じてなりません。しかしよく読んでみますと、実はそれを遥かに凌ぐ恵に満ち溢れている箇所であることに気が付きます。それは26節です’「それで神は、ご自分のしもべを立て、まず、あなたがたのもとに遣わして下さったのです」‘。この言葉であります。このどこが恵みに満ちているのか、ということですが、それは’「まず」‘という小さな言葉であります。神は’「まず」‘主イエスをあなた方のところに遣わした、ということです。「まず」というのは「最初に」と言い換えても良いかも知れません。神は最初に、ユダヤ人のところに主イエスをお遣わしになった。神は一番最初に、最も罪深いユダヤ人のところに主イエスをお遣わしになった。ということだからであります。つまり、神は誰よりも先に、最も罪深い私たちのところに、十字架と無縁ではなく、むしろ最も身近なところで十字架の処刑に関与したこの私たちの罪のところに、御子イエス・キリストを、「まず」お遣わしになったのだ。これが神さまの私たちへのメッセージなのであります。罪あるところにキリストを派遣なされた。罪の最も深い場所に、キリストの贖いを与えて下さった。これこそが、今日の箇所で語られる、神の恵みの言葉なのであります。19節’「だから自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」‘。この言葉に導かれて、悔い改めの生活と共に、歩もうではありませんか。

ルカによる福音書22章35節-38節 『平和の剣を備えなさい』 2010年6月20日

ルカによる福音書22章35節-38節
『平和の剣を備えなさい』‘ ’(特別伝道礼拝説教)

日本人に初めてキリスト教を伝えたのはイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルでありますが、彼らが伝道した当時の日本は戦国時代の最中にあり、時の権力者織田信長の下に庇護を受け、順調に宣教活動を行っていきます。当時のクリスチャン人口は50万人とも80万人とも言われ、全人口の割合としては、2~3%ものクリスチャンがいたと推定されています。つまり、日本においてキリスト教が最も栄えた時代であるといえます。 信長がキリスト教を保護した理由については諸説あるにせよ、日本のキリスト教にとっては良い時代であったことには間違いありません。

 けれども、豊臣秀吉が政権を奪い、それまで保護されていたクリスチャンたちは一転して受難の時を迎えます。1587年、「伴天連追放令」が発布され、キリシタンたちは弾圧されるわけです。それまで全国各地で敬われ、歓迎され、親切にもてなされていた宣教師たちは、一転して禁教令政策の槍玉に挙げられたのであります。それは手のひらを返すような出来事であり、全く違う時が訪れた瞬間でもあったわけです。徳川家光の時代には、「寺請け制度」によって、全ての日本人が仏教徒として登録されました。また踏み絵による「キリシタン狩り」も行われました。1639年以降は、後に「鎖国」と呼ばれるようになりますが、外国との貿易を徹底的に制限する政策が取られていくわけです。そこからキリシタン弾圧がさらに激しくなっていくことは歴史が証言している通りであります。

 かつては受け入れられる時代があり、それが一変してしまう。その中にあって、当時のキリシタンたちは、所謂「カクレ・キリシタン」と呼ばれる、地下組織的な信仰の継承を余儀なくされていきます。それは信仰というものが、国家や権力などに左右されやすく、それによって状況が如何様にも変わり得ることの最たる出来事でありました。それまでは町の人々に歓迎され、敬われ、親切にもてなされていた宣教師たちに、今や全く異なる時代が訪れたことを知らせる瞬間でありました。
 
 さて、今日の箇所を見てみましょう。35節’「それからイエスは使徒たちに言われた。『財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか』。彼らが、『いいえ、何もありませんでした』と言うと」‘と、このように言われています。弟子たちはかつて受け入れられた状況にありました。ルカ福音書9章1節を見てみますと、12人の弟子たちが宣教のために派遣されたことが記されております。9章3節にはこのように書かれています。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」このように言われておりました。それは当時の町の人々が、弟子たちの携える宣教の言葉に耳を傾ける時代であったことが分かります。それはちょうど「日本におけるキリスト教の世紀」と呼ばれた時代のように、宣教する者は歓迎され、敬われ、親しい交わりに預かっていたのであります。

 けれども今日の箇所で主イエスは言います。36節’「イエスは言われた。『しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。言っておくが「その人は犯罪人の一人に数えられた」‘と書かれていることは、私の身に必ず実現する。私に関わることは実現するからである』」。かつては受け入れられた時代があった。しかし今は全く違う時が訪れようとしている。このことを主イエスはおっしゃるのであります。それは国家において権力を持つものが、福音を保護するか否かによっているのです。どのような状況であれ、国家がこれを保護する時は、民衆もこれを歓迎する。しかし政治的権力を持つものがこれに睨みを利かせ、弾圧しようと目論むなら、信仰共同体はひとたまりもなく弱者へと変わっていってしまうのであります。それがこの時の主イエスの状況であり、弟子たちを取り囲む状況であったのです。

 今日の箇所は「それに対して備えをせよ」という主イエスの勧告であります。’『しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい』。‘このようにイエス様はおっしゃいます。これまでは皆、歓迎されてきた。けれども今は全く違う状況になった。ということであります。
この36節を読む限りにおいては、’「財布を持っていくこと」「袋を持っていくこと」「剣を備えること」‘の3つが’「備えるべきもの」‘として要求されているように感じます。しかし正確には、こういう文章です「持っている人は財布を取りなさい。袋も同じように。財布を持っていない人は服を売りなさい。そしてその代金で『剣を買いなさい』」、こういう意味であります。つまりこれらの行動の目的は’「剣を準備すること」‘に掛かっている言葉であるのです。

それに対して弟子たちの用意は周到でした。38節’「そこで彼らが『主よ、剣なら、この通りここに二振りあります』と言うと、イエスは『それでよい』と言われた」‘このようにあります。弟子たちは主イエスから要求されるであろう剣の用意を既にしていたのです。これまで間違いばかりの弟子たちでありましたが、最後の最後で主イエスの要求を前もって知ることが出来た、そのように読み取ることが出来るでしょう。イエス様に対して無理解であった弟子たちも、ようやく弟子としての役目を果たすことが出来た。良かったよかった、ということであります。

しかし、本当にそうなのでしょうか。日本語の聖書、とりわけ口語訳や新共同訳聖書では、イエス様のお答えになった’「それでよい」‘の言葉の意味が曖昧でありますから、弟子たちの行為を肯定しているように受け取ることが出来ます。しかし他の訳文を見てみますと、この言葉の意味が良く分かります。岩波訳の聖書ではここを’「それで十分なのか?」‘と訳します。またミュンデルという注解者は’「もうたくさんだ」‘と訳し、F.B.クラドックという注解者は’「この話はもう充分だ。この話題はここまででやめよう」‘。と意訳しています。つまり弟子たちはイエス様の真意を汲み取って二振りの剣を用意していたのではなく、この期に及んでも、やはり弟子たちは無理解だった、ということが示されて
いる、そのような主イエスの言葉なのであります。
「剣を備える」‘ということは何を意味するのでしょうか。剣とは、言わずと知れた「戦いの道具」であり「戦争の象徴」であります。それを準備するということは、弟子たちに臨戦態勢に入りなさい、という要求に他なりません。しかしこれまでイエス様の教えの中に、「戦争に備えなさい」というものはありませんでした。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と言われましたが、決して「右の分もやり返しなさい」とは言われませんでした。「上着を取られたら下着をも差し出しなさい」と言われましたが、「上着の分も仕返ししなさい」とは言われませんでした。つまり、イエス様の福音には、愛の教えはあっても、憎しみの教えはない。攻撃や暴力の教えはないということであります。ですからここで「剣を用意しなさい」と言われているのは、実際の剣のことではなく、何かを譬えて語られているに相違ないと思うのです。

 私が感銘を受けた本の一つ、ウォルター・ウィンクという神学者が著した’『イエスと非暴力 第三の道』‘という本があります。その中で、一般的に悪に対する対処法は、人間の歴史上、二種類あると言われています。一つ目は無抵抗(すなわち悪を受け入れて為されるがままに任せること)。二つ目は暴力的対抗(暴力に対して暴力を持って対抗するということ)。であります。そして人間の歴史が私たちに提示してきたのは、「逃げるか戦うか」という2択だけであったというのです。しかしイエス・キリストは、この選択肢とは全く接点を持たない第3の道を示された。積極的に悪に立ち向かい、それでいて暴力を用いない戦い方、それこそが’「非暴力的闘争」‘という道であった、と言うのです。

 ルカ福音書22章50節で、弟子たちは、主イエスが連行されそうになったとき、大祭司の手下に向かって「その右の耳を切り落とした」と書かれております。つまり第二の道である「暴力的対抗」であります。しかし一転して、大祭司の中庭でペトロに嫌疑が掛けられたとき、「私はあの人を知らない」と三度に渡って主イエスとの関係を否定したのです。つまり第一の道である、「無抵抗」「逃げる」という対処の仕方であります。

 では第三の道とはどういう道でしょうか。単に耐え忍ぶという道でもなく、無我の境地に立つ、という道でもありません。インド独立運動の立役者マハトマ・ガンジーは、主イエスの非暴力に感銘を受けて自らそれを実践したといわれますが、彼は非暴力の道を次のように言い表しました。
「武器を取る勇気のない者や、自分は暴力を用いる抵抗運動はできないと考える者は、非暴力運動はできない。非暴力は、死ぬことを恐れるような者や抵抗する力を持たない者には教えることが出来ないものである」「非暴力においては、かつて自分がそれに熟練していた武器よりも、はるかに勝る、非暴力の力を身につけたと実感できない限り、その者は非暴力とは何の関係もない者でしかなく、結局は武器に戻ってしまうだろう」‘。
 このように言いました。すなわちガンジーは、主イエスの言葉の真意を汲み取ってこのように言ったのであります。「剣のない者は服を売ってでもそれを用意しなさい」という主イエスの言葉は、自らが十字架に向かうという予告であるばかりでなく、弟子たちに戦う勇気があるか、と問う信仰の告白を求める言葉に他ならないのであります。「私がこれから追うべき十字架を、あなたも負う勇気があるか。確かに今の状況は、歓迎された、喜ばしいものではない。迫害を受けつつあるかもしれない。しかしその中で、悪に対して、悪に立ち向かう気概を持ち、剣ではなく、剣よりもはるかにまさる剣を持って戦う意思があるか」、と、弟子たちにそして私たちに問うているのであります。

 剣に勝る剣、それこそが福音に他なりません。その剣を、服を売り払ってでも買いなさい、用意しなさいと主は言われます。服とは必需品のことであります。なくてはならない、なくなったら困る、大切なもの。しかしそれを売り払ってでも、つまり自分がこれまで大切にしてきた全ての物や事柄を捨て去ってでも、剣に勝る剣を準備しなさい。といわれているのです。
 キリストの福音とは、「神の愛の力」であります。その福音をもって、自分に悪を行う者に対して、愛を行えるか。自分を罵倒し、迫害する者に対して、愛を行えるか。そのことを弟子たちに、そして私たち迫っているのであります。「平和の剣を備えなさい」主はそうおっしゃいます。それはあなたのうちに、第三の道である、福音による剣が備わっているか、ということであります。敵を愛すること、自分を憎む者を赦すことは決して容易いことではありません。しかしイエス・キリストの十字架が私たちの前に聳え立つのであるならば、それを私たちの平和の剣として、愛しうる者となれるのであります。悪に対し、逃げることではなく、暴力によってでもなく、ただ只管に第三の道である、福音を力とする道に突き進みたいのであります。この世の中は混沌としています。暴力も悪も絶えることがありません。しかしキリストの福音に聞き従うことが出来るならば、この世に愛の実を実らせることが出来るのであります。平和の剣を備えなさい。このキリストの要求に、従ってまいりたいと思うものであります。