2022.4.10 の週報掲載の説教
「復活のキリストの光が輝く」 教師 鈴木 美津子
“起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に輝く。” (イザヤ書60章1-2節)
この言葉の中に「愛」という語は用いられていません。しかし、この言葉の中には、光と闇という表象を通して「愛」が、暗示されています。「光」が愛を意味しているということです。
では、闇は何を表しているのでしょう。この聖書の言葉が語られた背景を踏まえると、不安や混乱を意味していると思われます。この言葉が向けられた先には、これから何処へ向かうのか大きな不安を抱えた人々がいました。更に、そこには人々の悲しみや失望といった、より複雑な感情も入り混じっていました。
他方、光については二つのことが言及されています。第一は神様のことです。これは、世界が暗闇に覆われていると思える時であってもあなたは一人ではない、神様があなたと共にいる、どんなに孤独に思える時であってもあなたは、愛されるべき存在であるということです。
第二には「起きよ、光を放て」との呼びかけは、この預言の聴衆に対してです。これは、人に不可能なことを告げているわけではありません。いかに暗い道を歩んでいる時であっても、人は光となることができる、あなたたち自身が世の暗闇を照らす光であるということなのです。
わたしたちは、生きていく上で自分に何ができるのかと戸惑うことがあります。自分がこれから何処へ向かうのか、不安の中を歩むことがあります。誰かと対立の只中にいるときもあります。そのような暗闇の中でも輝きうるものが愛です。誰かを愛すること、自分が愛されている存在であることを探すこと、このことはどのような場合でも、わたしたちには可能なことであり、その可能性が失われることは決してないのです。
わたしたちは、キリストを信じる者として、この暗闇の世界にあって神様を信じ、祈る教会の姿を示すことができます。孤独な人、寄る辺のない人、病に悩む人などを慰め励ます者、共に喜ぶ者として、復活の希望の光を灯す者として歩むことができます。
今、世界の闇のなかに復活のキリストの光が輝いています。
2022.4.3 主日礼拝の録画映像
2022年4月3日(日) 10時30分~
スマホおよびPADでも視聴できます!

URL; https://youtu.be/EJUoxU72yHY
上記,下線の部分をクリックしてください。
YouTubeが立ち上がります。
スマホおよびPADでも視聴できます!
************************************2022.4.3 主日礼拝の案内
主 日 礼 拝 午前 10:30
< レントⅤ・聖餐式> 奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 546
罪の告白と赦し 交読詩編138編4節~8節
*讃美歌 26(1-2)
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書54章4節~10節 (旧約P. 1151)
ルカによる福音書22章54節~62節(新約P.156)
祈 り
*讃美歌 234A(1-2)
説 教 「わたしはあの人を知らない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 502(1−2)
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 Ⅱ179(1-3)
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 543
*派遣と祝福
*後 奏
************************************
今こそ私たちの祈りを結集させ、主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に、
2022.4.3 主日礼拝の案内
2022.4.3 主日礼拝の案内
週 報 77 巻 13 号 2022.4.3
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。(ルカによる福音書22章60節~61節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
< レントⅤ・聖餐式> 奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 546
罪の告白と赦し 交読詩編138編4節~8節
*讃美歌 26(1-2)
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書54章4節~10節 (旧約P. 1151)
ルカによる福音書22章54節~62節(新約P.156)
54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。 61主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。 62そして外に出て、激しく泣いた。
祈 り
*讃美歌 234A(1-2)
説 教 「わたしはあの人を知らない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 502(1−2)
*日本キリスト教会信仰の告白
「わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。 主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、 完全な犠牲をささげて、贖いをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、 救いの完成される日までわたしたちのために執り成してくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、 功績なしに罪を赦され、神の子とされます。 また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。 この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、 神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕らかに示し、 信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、 主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、 終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。 わたしたちもまた、使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
(使徒信条)わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。 わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受(う)け、 十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死者のうちから復活し、 天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。 そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。わたしは、聖霊を信じます。 聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン」
聖餐式 Ⅱ179(1-3)
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 543
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐
三浦、森﨑、安井、伊木、松谷
礼拝当番
(今週)増田裕子
(次週)伊木美穂子
献金当番
(今週)加藤純子 大嶋幸子
(次週)岩本道子 青木節子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
週 報 77 巻 13 号 2022.4.3
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。(ルカによる福音書22章60節~61節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
< レントⅤ・聖餐式> 奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 546
罪の告白と赦し 交読詩編138編4節~8節
*讃美歌 26(1-2)
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書54章4節~10節 (旧約P. 1151)
4 恐れるな、もはや恥を受けることはないから。
うろたえるな、もはや辱められることはないから。
若いときの恥を忘れよ。
やもめのときの屈辱を再び思い出すな。
5 あなたの造り主があなたの夫となられる。
その御名は万軍の主。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
全地の神と呼ばれる方。
6 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若いときの妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。
7 わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
8 ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
あなたを贖う主は言われる。
9 これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
10 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
ルカによる福音書22章54節~62節(新約P.156)
54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。 61主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。 62そして外に出て、激しく泣いた。
祈 り
*讃美歌 234A(1-2)
説 教 「わたしはあの人を知らない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 502(1−2)
*日本キリスト教会信仰の告白
「わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。 主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、 完全な犠牲をささげて、贖いをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、 救いの完成される日までわたしたちのために執り成してくださいます。
神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、 功績なしに罪を赦され、神の子とされます。 また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。 この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、 神の国に入ることはできません。
旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕らかに示し、 信仰と生活との誤りのない審判者です。
教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、 主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、 終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。
古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。 わたしたちもまた、使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。
(使徒信条)わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。 わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受(う)け、 十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死者のうちから復活し、 天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。 そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。わたしは、聖霊を信じます。 聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン」
聖餐式 Ⅱ179(1-3)
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 543
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐
三浦、森﨑、安井、伊木、松谷
礼拝当番
(今週)増田裕子
(次週)伊木美穂子
献金当番
(今週)加藤純子 大嶋幸子
(次週)岩本道子 青木節子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
2022.4.3~2022.4.9の集会案内
2022.4.3~2022.4.9の集会案内
本 日 の 集 会
〇朝の勉強会 (1階会議室) 9:30
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇日曜学校進級式 礼 拝 後
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「浦和教会の新しい歩みのため」
〇聖書の学びと祈りの会
4月7日(木) 10:00 司会 森 﨑 千 恵
ヨブ記1章(担当 鈴木 美津子)
※対面とラインの両方で行います。
次 週 礼 拝
<レントⅥ>
説教 「十字架への道」 鈴木 美津子
イザヤ書50章4節~7節
ヨハネによる福音書18章1〜14節
讃美歌
545A、312(1-2)、504(1-2)、136、544
板 垣 玲 子
日曜学校礼拝説教
「わが神、わが神、なぜ」 済 陽 高 志
マルコによる福音書15章33節~41節
本 日 の 集 会
〇朝の勉強会 (1階会議室) 9:30
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇日曜学校進級式 礼 拝 後
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「浦和教会の新しい歩みのため」
〇聖書の学びと祈りの会
4月7日(木) 10:00 司会 森 﨑 千 恵
ヨブ記1章(担当 鈴木 美津子)
※対面とラインの両方で行います。
次 週 礼 拝
<レントⅥ>
説教 「十字架への道」 鈴木 美津子
イザヤ書50章4節~7節
ヨハネによる福音書18章1〜14節
讃美歌
545A、312(1-2)、504(1-2)、136、544
板 垣 玲 子
日曜学校礼拝説教
「わが神、わが神、なぜ」 済 陽 高 志
マルコによる福音書15章33節~41節
2022.4.3 週報 教会からのお知らせ
2022.4.3 週報 教会からのお知らせ
【神学校始業礼拝のお知らせ】
*2022年は入学者がありませんので、以下のように始業
礼拝をもって新しい年度の歩みを始めます。
4月4日(月) 13時
説教「招きに相応しく歩みなさい」
小野寺ほさな(荻窪北教会牧師)
*始業礼拝の模様をオンライン配信の予定です。視聴方法は
卒業式と同様です。配信URLは三輪先生または増田まで
【イースター献金のお願い】
イースターの献金袋を3月27日(日)に週報ボックスに
配布いたしました。週報ボックスをご確認ください。
【神学校始業礼拝のお知らせ】
*2022年は入学者がありませんので、以下のように始業
礼拝をもって新しい年度の歩みを始めます。
4月4日(月) 13時
説教「招きに相応しく歩みなさい」
小野寺ほさな(荻窪北教会牧師)
*始業礼拝の模様をオンライン配信の予定です。視聴方法は
卒業式と同様です。配信URLは三輪先生または増田まで
【イースター献金のお願い】
イースターの献金袋を3月27日(日)に週報ボックスに
配布いたしました。週報ボックスをご確認ください。
2022.4.3 の週報掲載の説教
2022.4.3 の週報掲載の説教
<2020年9月6日の説教から>
ルカによる福音書8章40節~48節
『安心して行きなさい』 牧師 三輪地塩
イエスは、12年間も出血が止まらない病気を患った女性に遭遇した。この類の出血は、レビ記15章25節以下によれば、宗教的な汚れを持つと考えられており、出血のある女性と接触した人は誰でも汚れる、と考えられていた。レビ記15章が適用されて社会から排除されていたようで、これが婦人病であるならば、思春期かそれ以降にこの病を発症し、多感な時期からそれ以降を闘病してきたことになる。まさに彼女は心身共に痛みの人生を歩んできたのであった。
この女性は、12年も医者の治療を受けたが一向に治らないばかりか「全財産を使い果たした」と述べられている。このことは、12年間社会生活から排除され、深い恥に貶められ、孤独と絶望の中に生きてきたと言える。更に言うと、悪い医者たちに“ぼったくられた”可能性も捨てきれない。つまり、肉体的苦痛のみならず、精神的苦痛と、経済的貧困を同時に受けていたのであった。旧約聖書の続編に「シラの書」38章には、当時の医者がどれだけ尊敬されていたかが記されている。「医者をその仕事のゆえに敬え。主が医者を造られたのだから」「過ちを犯すな。手をけがすな。あらゆる罪から心を清めよ。~。その上で医者にも助けを求めよ。主が医者を作られたのだから」。この当時のユダヤ社会では、信仰と医療が密接に繋がっていたことが分かる。だがこの女性は、信頼していた全ての者たちから裏切られていたのであった。
しかしこのような時にこそ、主の力と恵みは勢いよく激しく降り注がれる。全ての力を使い果たしたとき、全てを失ったときにこそ、神の力が備わるのだ。人間が自らの限界を知り、自らを虚しうして神の御前に立つとき、我々は真実の救いに触れるのだ。この女性もまた同じであった。長い期間の絶望、孤独、疎外感を闘い抜き、肉体も精神も経済も「無一文」になったとき、主に出会ったのだった。
彼女は群衆の中に紛れ込んでいたが、イエスは彼女を人々の前、日の当たる場所に引き出した。もう隠れて生きる必要はないと。旧約律法において、人々の前に出ることが許されなかった彼女が、イエス・キリストという更新された律法の下で、その命を回復するのである。
<2020年9月6日の説教から>
ルカによる福音書8章40節~48節
『安心して行きなさい』 牧師 三輪地塩
イエスは、12年間も出血が止まらない病気を患った女性に遭遇した。この類の出血は、レビ記15章25節以下によれば、宗教的な汚れを持つと考えられており、出血のある女性と接触した人は誰でも汚れる、と考えられていた。レビ記15章が適用されて社会から排除されていたようで、これが婦人病であるならば、思春期かそれ以降にこの病を発症し、多感な時期からそれ以降を闘病してきたことになる。まさに彼女は心身共に痛みの人生を歩んできたのであった。
この女性は、12年も医者の治療を受けたが一向に治らないばかりか「全財産を使い果たした」と述べられている。このことは、12年間社会生活から排除され、深い恥に貶められ、孤独と絶望の中に生きてきたと言える。更に言うと、悪い医者たちに“ぼったくられた”可能性も捨てきれない。つまり、肉体的苦痛のみならず、精神的苦痛と、経済的貧困を同時に受けていたのであった。旧約聖書の続編に「シラの書」38章には、当時の医者がどれだけ尊敬されていたかが記されている。「医者をその仕事のゆえに敬え。主が医者を造られたのだから」「過ちを犯すな。手をけがすな。あらゆる罪から心を清めよ。~。その上で医者にも助けを求めよ。主が医者を作られたのだから」。この当時のユダヤ社会では、信仰と医療が密接に繋がっていたことが分かる。だがこの女性は、信頼していた全ての者たちから裏切られていたのであった。
しかしこのような時にこそ、主の力と恵みは勢いよく激しく降り注がれる。全ての力を使い果たしたとき、全てを失ったときにこそ、神の力が備わるのだ。人間が自らの限界を知り、自らを虚しうして神の御前に立つとき、我々は真実の救いに触れるのだ。この女性もまた同じであった。長い期間の絶望、孤独、疎外感を闘い抜き、肉体も精神も経済も「無一文」になったとき、主に出会ったのだった。
彼女は群衆の中に紛れ込んでいたが、イエスは彼女を人々の前、日の当たる場所に引き出した。もう隠れて生きる必要はないと。旧約律法において、人々の前に出ることが許されなかった彼女が、イエス・キリストという更新された律法の下で、その命を回復するのである。
