2026.1.4 週報掲載の説教

2026.1.4 週報掲載の説教

 
『光に導かれて』

マタイによる福音書2章1〜12節

鈴木美津子

*本日の説教の要約です。

 
新しい年を迎えると、私たちはこれからの歩みを思い巡らすでしょう。期待と同時に、不安や先の見えなさを覚えることもあります。そのような中で、聖書は、東の国から来た博士たちの姿を通して、神に導かれて歩むとはどういうことかを語ります。

博士たちは、生まれた救い主を求めて旅に出ましたが、行き先のすべてを知っていたわけではありません。彼らを導いたのは、夜空に現れた一つの星でした。星は未来のすべてを照らす光ではありませんでしたが、歩き出し、歩み続けるために十分な「しるし」となりました。神は、完成された地図ではなく、信頼して歩むための光を与えられたのです。

しかし、救い主の誕生の知らせは、喜びだけでなく、不安や揺れも生み出しました。ヘロデ王はその知らせに動揺し、恐れに縛られました。聖書は、人の心の暗さを隠さずに描きます。けれども、救い主は私たちから何かを奪うためではなく、恐れから解き放つために来られました。

やがて、博士たちは聖書の言葉によって、救い主がベツレヘムに生まれることを知ります。しるしである星と、確かな御言葉とが重なり、彼らの歩みは導かれていきました。再び現れた星を見て、博士たちは大いに喜びます。神の導きは、途中で途切れることがないのです。博士たちは幼子イエスに出会い、ひれ伏して拝み、贈り物をささげました。それは功績の証ではなく、救い主に出会った喜びの応答でした。そして彼らは「別の道」を通って帰っていきます。救い主に出会うことは、歩みの向きそのものが変えられることでもあるのです。

教会は知っています。私たちを本当に導く光は、「しるし」そのものではなく、御言葉に示される救い主キリストご自身であるということを。神は、かつて出エジプトの民を雲と火で導かれ、博士たちを星で導かれました。そして今、聖書の言葉によって、キリストご自身によって、私たちを導いておられます。新年、私たちは「すべてを見せてください」と願うのではなく、「今日の一歩を照らしてください」と祈りつつ、御言葉の光に導かれて歩み出します。