<2019年9月1日の説教から>
『良いことに熱心であれ』
ペトロの手紙一3章13節~22節
牧師 三輪地塩
「主は悪を放置しない」と言われる。我々は、悪人が罪の意識に苛まれ、最終的には改心し、良識ある人として立ち直ってもらうという願望を持つ。我々は『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように、劇的に心を入れ替えてもらうことを望んでいる。しかし実際はそう甘くない。悪人は悪人のままであることが多いように感じる。たとえば「特殊詐欺」の実行犯は、善良な市民からお金をむしり取ることを「正義である」と思い込み、その歪な論理の中で自らの行為を正当化し、それが恰も「経済活動」であるかのように主張し、罪の意識を持たない。「悪人が、自らの悪に苦しんでいつか改心する」というのは、我々の願望であり、思い描く理想に過ぎないのかもしれない。
当該箇所では、この「悪の現実」についてノアの箱舟の物語を例に挙げる。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました」とある。
ノアの洪水を免れて救われたのは、箱舟に乗った8名だけであった。他の民衆は、神の言葉をないがしろにしてノアを馬鹿にしあざ笑った。その結果自らの罪を顧みることなく滅んで行ったというのがノアの物語である。
「神の言葉から離れた罪人たちは、霊として、救われることなくさまようのだ」という。一見キリスト教的でなさそうなこの言葉には日本人の死生観に近いものがあるかもしれない。
しかし、もし著者ペトロの記す死生観・天国観を受け入れるとするならば、善と悪の問題に少し解決の糸口を見ることができる。「そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」(3:19)。この言葉から分かるのは、キリストが陰府にくだった後、そこで悪人に宣教をするのだということである。御言葉に聞かなかった者たちに、御言葉の宣教を行なう、という意味であろう。この世において改心(回心)しなかった罪深き者たち、悪人たちも、キリストの宣教の言葉を受けるのだ。我々の死生観ではにわかに受入れにくいこの言葉である。だが聖書はそう証言している。
2020.11.22 主日礼拝 録画映像
主日礼拝 2020年 11月 22 日 10時30分~
配信<YouTube録画映像 音声付き>
スマホおよびPADでも視聴できます!

URL; https://youtu.be/4EtbMz6pgKs
上記,下線の部分をクリックしてください。
YouTubeが立ち上がります。
スマホおよびPADでも視聴できます!
************************************主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 詩編115編1節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編40編17節
聖 書
ルカによる福音書20章20節~26節
(新約P.149)
日曜学校説教
「教会は神のもの」 岡 野 庸 子
*讃美歌 461〔1-2〕
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書52章13節~15節(旧約P.1149)
ルカによる福音書9章51節~56節
(新約P.124)
祈 り 松 谷 信 司
*讃美歌 280〔1-2〕
説 教
「サマリア人から歓迎されない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 522〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 544
*派遣と祝福
*後 奏
************************************
今こそ私たちの祈りを結集させ、主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に、世々限りなくありますように。
2020.11.22 主日礼拝の案内
週 報 75巻 37号 2020.11.22
イエスは振り向いて二人を戒められた。(ルカによる福音書9章55節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 詩編115編1節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編40編17節
聖 書
ルカによる福音書20章20節~26節
(新約P.149)
日曜学校説教
「教会は神のもの」 岡 野 庸 子
*讃美歌 461〔1-2〕
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書52章13節~15節(旧約P.1149)
ルカによる福音書9章51節~56節
(新約P.124)
祈 り 松 谷 信 司
*讃美歌 280〔1-2〕
説 教
「サマリア人から歓迎されない」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 522〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 544
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、
立つのが困難の方はお座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)安井国雄 済陽高志
(次週)伊木美穂子 菊地晴子
2020.11.22~11.28 集会案内
本 日 の 集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志) 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「アドベントを覚えて」
〇聖書の学びと祈りの会 26日(木)10:00
ヨハネの黙示録16章(担当 三輪地塩)
司会 野 田 昭 子
*午前の祈祷会後、クリスマスの飾り付けを致します。
お時間のある方は宜しくお願いいたします。
〇聖書の学びと祈りの会 26日(木)14:00
ヨブ記3章 担当 大 和 文 彦
次 週 礼 拝
<アドベントⅠ>
説教 「天の国にふさわしい者」 三 輪 地 塩
ホセア書6章1節~3節
ルカによる福音書9章57節~62節
讃美歌 545B、98(1,3)、94(1-3)、
106(1-2)、539
岩 本 道 子
日曜学校説教
「イエスさまこそ真の王」 薄 田 東 正
ルカによる福音書1章26節~38節
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志) 礼 拝 後
〇日曜学校教師会 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「アドベントを覚えて」
〇聖書の学びと祈りの会 26日(木)10:00
ヨハネの黙示録16章(担当 三輪地塩)
司会 野 田 昭 子
*午前の祈祷会後、クリスマスの飾り付けを致します。
お時間のある方は宜しくお願いいたします。
〇聖書の学びと祈りの会 26日(木)14:00
ヨブ記3章 担当 大 和 文 彦
次 週 礼 拝
<アドベントⅠ>
説教 「天の国にふさわしい者」 三 輪 地 塩
ホセア書6章1節~3節
ルカによる福音書9章57節~62節
讃美歌 545B、98(1,3)、94(1-3)、
106(1-2)、539
岩 本 道 子
日曜学校説教
「イエスさまこそ真の王」 薄 田 東 正
ルカによる福音書1章26節~38節
2020.11.22 週報 教会からのお知らせ
◇今年もクリスマスのお菓子の持ち寄りをお願い致します。
(賞味期限が2021年1月以降まであるもの)
◇今年度の大中会負担金(4500円)の献金がまだの方は
宜しくお願い致します。
◇会員消息
11月14日(土) 西堂 明さんが召天されました。(享年89)
11月16日(月) 15:00~棺前祈祷会三輪牧師と壮年会有志
11月20日(金) 火葬式 家族と三輪地塩牧師
【日本キリスト教会大信仰問答予約募集のお知らせ】
ビジュアル版、スタンダード版どちらも定価1980円の
ところ1600円。受付の申込書でどちらかを記入して
お申込みください。締切は12月6日(日)までです。
(賞味期限が2021年1月以降まであるもの)
◇今年度の大中会負担金(4500円)の献金がまだの方は
宜しくお願い致します。
◇会員消息
11月14日(土) 西堂 明さんが召天されました。(享年89)
11月16日(月) 15:00~棺前祈祷会三輪牧師と壮年会有志
11月20日(金) 火葬式 家族と三輪地塩牧師
【日本キリスト教会大信仰問答予約募集のお知らせ】
ビジュアル版、スタンダード版どちらも定価1980円の
ところ1600円。受付の申込書でどちらかを記入して
お申込みください。締切は12月6日(日)までです。
2020.11.22 の週報掲載の説教
<2019年8月25日の説教から>
『憐れみ深く謙虚になりなさい』
ペトロの手紙一3章8節~12節
牧師 三輪地塩
信仰者にとっての「一致」の意味が語られる。「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」とあるように。「心を一つにすること」「一致すること」が求められている。
これまでキリスト教会の長い歴史は、「一致」によって、分裂や分断を生んできた。信仰を一致させる、という行為によって、「教派」が作られ、神学が発展することになったという正の側面があった。違いを指摘し、違いを考え、違いを分析することは礼拝や神学の発展を推進してきた。
だがひとたび、人間社会における一致を考える時、何を持ってそれを、一致とするかが問題になってくる。
この箇所で示されているのは。「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。」という言葉である。「憐れみと、謙虚である」が求められている。あるいは相手に対する「尊敬の念」、と言い換えても良いかもしれない。キリスト者が「謙虚」を求められるのは、「キリストが謙虚であられたから」である。「キリストは十字架の道に至るまで、へりくだり、神に従順であった」(フィリピ2章6節‐8節)。我々は、それに倣って謙虚であることが求められる、というのです。しかしもう一つ我々が謙虚になる理由があります。それは「我々が神の被造物である」からです。
「一致すること」は必ずしも善ではない。全員が同じ思想になることを振りかざすのは、独裁政治であり帝国主義の萌芽となる。人間の違いを無理に一致させることは、何らの正義ではなく、単に歪な人間を作り出す。 だが当該箇所において、一致するとは、赦しとへりくだりによって成り立つと述べられている。謙遜は、復讐を打ち止めにする。謙遜は、人の命を尊ぶ。そこには愛が現れます。戦い、分裂、憎しむ心を止める。詩編34編に「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」(詩編34編)
『憐れみ深く謙虚になりなさい』
ペトロの手紙一3章8節~12節
牧師 三輪地塩
信仰者にとっての「一致」の意味が語られる。「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」とあるように。「心を一つにすること」「一致すること」が求められている。
これまでキリスト教会の長い歴史は、「一致」によって、分裂や分断を生んできた。信仰を一致させる、という行為によって、「教派」が作られ、神学が発展することになったという正の側面があった。違いを指摘し、違いを考え、違いを分析することは礼拝や神学の発展を推進してきた。
だがひとたび、人間社会における一致を考える時、何を持ってそれを、一致とするかが問題になってくる。
この箇所で示されているのは。「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。」という言葉である。「憐れみと、謙虚である」が求められている。あるいは相手に対する「尊敬の念」、と言い換えても良いかもしれない。キリスト者が「謙虚」を求められるのは、「キリストが謙虚であられたから」である。「キリストは十字架の道に至るまで、へりくだり、神に従順であった」(フィリピ2章6節‐8節)。我々は、それに倣って謙虚であることが求められる、というのです。しかしもう一つ我々が謙虚になる理由があります。それは「我々が神の被造物である」からです。
「一致すること」は必ずしも善ではない。全員が同じ思想になることを振りかざすのは、独裁政治であり帝国主義の萌芽となる。人間の違いを無理に一致させることは、何らの正義ではなく、単に歪な人間を作り出す。 だが当該箇所において、一致するとは、赦しとへりくだりによって成り立つと述べられている。謙遜は、復讐を打ち止めにする。謙遜は、人の命を尊ぶ。そこには愛が現れます。戦い、分裂、憎しむ心を止める。詩編34編に「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。」(詩編34編)
