2020.10.04の週報掲載の説教

<2019年7月7日の説教から>

変わることのない生きた言葉
ペトロの手紙一122節~25
              牧師 三輪地塩

先週の箇所では、終末論が語られていた。その流れを受けて、ペトロは言う。「真理を受け入れて、魂を清めて、偽りの無い兄弟愛を頂くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい」。ここで言われる「真理」とは、「神」と置き換えて良い。

この手紙の背景には「迫害」がある。この手紙の読者教会の信徒たちは、周囲・近所の人たちから、キリスト者という理由だけで迫害を受けていた。重苦しい状況ではあるが、注意深く読むと、この箇所には希望が見えてくる。「真理を受け入れて、魂を清めて、偽りの無い兄弟愛を頂くようになったのですから」とあるように、あなた方は既にそうなってる、と断定形で語っている。既にこれらの小アジアの教会では、教会員同士、力を合わせて、「兄弟愛を既に抱いている」状況であった。兄弟愛。つまり「共同体内における愛」が、既に「ある」と言っている。

この兄弟愛がどこに由来するのか、が22節以下のテーマである。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わる事のない、生きた言葉によって新たに生まれたのです」(23節)。つまり我々の愛は、神から出ていると述べる。最も重要なことは、この神の言葉が、「朽ちない種である」ということにある。ペトロはイザヤ書40章を引用し、「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」と語っている。ここには、人間のものは朽ちる、ということと、神から出るものは朽ちない、という二つのことが同時に語られる。神から出るもの、つまり共同体の中に既にあるもの、「兄弟愛」「神の愛」は朽ちるものではない。第一コリント13章13節で、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と言われている通りである。

つまりこの著者は、キリストの愛が本物の愛だったように、あなた方の愛もそれに倣いなさい、と言っている。その愛が全ての人間関係を作る。教会コミュニティも同様に、全ては「愛」が作り出すのだと著者は語る。

2020.9.27 主日礼拝 録画映像

主日礼拝 2020年 9 月 27 日  10時30分~

配信<YouTube録画映像 音声付き>

      スマホおよびPADでも視聴できます!
YouTube
 
URL;  https://youtu.be/LEYv_S_a0C4
 
浦和教会 礼拝ホール上記,下線の部分をクリックしてください。
YouTubeが立ち上がります。
      スマホおよびPADでも視聴できます!
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主 日 礼 拝        午前 10:30
*                                     奏楽  岩 本 道 子

<神の招き>
招 詞 詩編27編1節

*讃 詠  545B

*罪の告白と赦し 交読詩編4編1節~2節

聖 書 ルカによる福音書15章11〜24節

日曜学校説教「父なる神は待っておられる」

*                                       加 藤 純 子

*讃美歌 454〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 サムエル記下22章32節~35節

*                                       (旧約P.519)

ルカによる福音書9章7節~9節

*                                        (新約P.121)

祈 り         三 浦 勇 二

*讃美歌 177〔1-2〕

説  教 「イエスに会ってみたいと思った」

*                                          三 輪 地 塩

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今こそ私たちの祈りを結集させ、主により頼みつつこの難局を乗り切りましょう。主の守りと支えとが、これまで同様、今も、永遠に、世々限りなくありますように。

2020.9.27 主日礼拝の案内

週 報 75巻 28号 2020.9.27
主 日 礼 拝        午前 10:30
奏楽  岩 本 道 子

<神の招き>
招 詞 詩編27編1節

*讃 詠  545B

*罪の告白と赦し 交読詩編4編1節~2節

聖 書 ルカによる福音書15章11〜24節

日曜学校説教「父なる神は待っておられる」

加 藤 純 子

*讃美歌 454〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 サムエル記下22章32節~35節

(旧約P.519)

ルカによる福音書9章7節~9節

(新約P.121)

祈 り           三 浦 勇 二

*讃美歌 177〔1-2〕

説  教 「イエスに会ってみたいと思った」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 217〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄  542

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

2020.9.27~10.3 集会案内

      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会    休  会

〇朝カフェ               休  会

〇入門の会               休  会

〇クワイア練習             中  止

〇コイノニア              中  止

〇礼拝堂の消毒・清掃(有志)      礼 拝 後

 今 週 の 集 会
◎祈祷題「会堂改修のため」
〇聖書の学びと祈りの会    1日(木)10:00

ヨハネの黙示録9章(担当 三輪地塩)

司会  安 井 英 子

〇「生と死」の学びの会     担当 伊木 美穂子

テキストは『人生の秋に』から「年をとるすべ」

〇聖書の学びと祈りの会   1日(木) 14:00

ヘブライ人への手紙9章1節~10節 担当  岡 野 庸 子

次 週 礼 拝
説教 「五つのパンと二匹の魚」     三 輪 地 塩

エレミヤ書15章16節

ルカによる福音書9章10節ー17節

讃美歌 546、312(1-2)、Ⅱ188(1-2)、534(1-2)、543

加 藤 純 子

日曜学校説教「聞き分ける心を願う」 岡 野 庸 子

列王記上3章1〜15節

<礼拝での注意>
1.飛沫防止の観点から、礼拝堂内での会話は極力お控え

ください。

2.感染防止のため、献金袋を持って席を回りませんので、受付の席上献金袋に入れ、その他の献金と共に献金箱にお入れください。

3.You Tubeのライブ配信は、継続して行います。

4.熱中症対策のため、水分補給の飲み物は各自ご持参

ください。(礼拝中も水分補給してください)

2020.09.27の週報掲載の説教

<2019年6月23日の説教から>
地上に仮住まいする身として
      ペトロの手紙一113節~21
              牧師 三輪地塩

宗教改革者マルティン・ルターは「人の死は終末ではない。人の死は「人生の完成である」」と語る。我々が、教会に来て、本当の意味で終末について考えることがあるとするならば、「我々の人生の完成とは何か」についてである。信仰者は終末に向かって歩む民であるが、死んだ後、実際にどうなるのかは分からない。ただ一つだけ、キリスト者として言えるのは、「人の死は絶望ではなく、希望である」ということ。死んだ後も生き続けることを我々キリスト者は信じている。

そのためにどうすればよいのかについてペトロは、「神を畏れて生活すべきである」(17節)と述べる。神を畏れて、神を覚えて生きよ、と聖書は我々に言う。「この地上に仮住まいする間」(17節)、つまり、我々が生きている今は「仮のとき」であり、本当の国籍が天にあるように、本当の「時」は天にある。神のもとにいる時こそが「本当の時」となる。

天に属し、神に属する我々は、どう生活すれば良いのか。「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい」(15節)とある。

「聖なる者となる」という言葉には戸惑うかもしれないが、「聖なる」は、「道徳的な立派さ」を意味しない。「道徳的」と「天国」はイコールで結ばれない。イエスが「病人に医者はいらない」と言うように、我々の罪には救いが必要だ。「聖なる」は、我々が罪を持っていることを隠さずに告白し、自らそれを認め、その罪の歩みが正されて生きていくことにある。神によって修正・修復・回復されて生きることである。頑張ったから救われるのではなく、自らの罪を知りつつも、その罪と向き合い、神と共に歩み、赦され、修復される歩みを行なうことが大切だ。

人間的に優れた人は、世の中にたくさんいる。だが、人は、自分の思う正しさを、人に押しつけてしまいがちでもある。その反作用として、自分と考えの違う人を糾弾しようともする。人間の正しさがあるとき、そこには、「人間中心の「聖なる」」(と思われる)生活しか存在しなくなる。だから聖書は、神における「聖なる」を求める。つまり神を思い、神と共に歩む歩みを行なう続けることこそ重要であると。