説 教 「ダビデの子」
聖 書 詩編110編1節~4節 (旧約P. 952)
マルコによる福音書12章35節~37節(新約P.87)
2019.01.27 2019年度 浦和教会定期総会が開かれます
【 公 告 】
2019年度 浦和教会定期総会を開催します。
*日 時:1月27日(日)礼拝後 12:30~
*場 所:浦和教会会堂1階
*議 題:2018年度報告、長老・執事・日曜学校長選挙、2019年度計画、予算案、その他
◎万障お繰り合わせの上ご出席ください。
2019.01.13~19 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「定期総会の準備のため」
〇日曜学校教師研修会(横浜海岸教会) 14日(月・休) 10:30
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木) 10:00
歴代誌上12章(担当 三輪地塩) 司会 伊木 美穂子
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木) 14:00
ヘブライ人への手紙2章1~4節 担当 岡 野 庸 子
※午前の祈祷会後、総会議事資料綴じと配布作業を致します。
2019.01.13 礼拝予定
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 詩編119編105節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編126編1節~6節
*讃美歌 7
<神の言葉>
聖 書 詩編110編1節~4節 (旧約P. 952)
マルコによる福音書12章35節~37節
(新約P.87)
祈 り 松 谷 信 司
*讃美歌 151
<神への応答>
*讃美歌 195
*ニカイア信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 542
*派遣と祝福
*後 奏 2019/1/6 説教音声 三輪地塩
説 教 「新しい年が与えられて」
聖 書 創世記12章1節~9節 (旧約P.15)
ヘブライ人への手紙11章8節~12節(新約P.415)
聖 書 創世記12章1節~9節 (旧約P.15)
ヘブライ人への手紙11章8節~12節(新約P.415)
2018.06.24の説教から
<6月24日の説教から>
『私を何者だというのか』
マルコによる福音書8章27節~30節
牧師 三輪地塩
「人々はわたしのことを何者だと言っているのか」この質問は非常に深い。周囲の人々(民衆たち)の客観的な評価ではなく「あなたがたはどうなのか」と、弟子たちの主体的信仰告白を問うている。これは我々への問い掛けでもある。
この問いは、ゲーテ、トルストイ、ニーチェ、太宰治、遠藤周作など多くの文学者たちの関心事でもあった。文学者の関心は、「史実のイエス像」に迫ることではない。彼ら文学者たちが、イエスをどう理解し、どう聖書から読み取るか。また、彼らにとってイエスとは誰なのか、という問いである。あらゆる文学作品には、書く者の人間観、信仰観、人生観などが反映され、ロマンティックな人はロマンティックなイエスを、革命的な人はイエスを革命家として描き出してきた。
だが、この箇所の「私を誰というか」の問いは、必ずしも文学者たちの関心事を言っているのではない。「あなたたちにとって、イエスとは何なのか」である。
我々にとって、人と人との関係はいつも決断的である。例えばこんなことがあるだろう。自分の親友の悪い噂を聞いた時、我々はどうするか。本人に何も確認することなく、その噂話を信じるのか。それとも自分が知っている親友を信じて、噂話を一蹴するのか。そこには、我々の決断がある。「いじめの構造」なんかも、似た構造をしているかもしれないが、重要なのは、その人が(親友)が、あなたにとって誰なのか、あなたにとってどういう存在であるのか、に掛かっている。問題は人の噂ではない。自分の主体性である。人がなんと言おうと、私はその人をどう理解し、どう信じるか、である。
我々の信仰もこれに似ている。あなたにとってキリストとは誰かの問いに対し、ペトロが躊躇せずに「あなたはメシアです」と答えたように、告白したいものである。