説 教 「イエスを三度知らないと言う」
聖 書 イザヤ書53章1節~6節 (旧約P.1149)
マルコによる福音書14章66節~72節(新約P.94)
2019.4.12のお知らせ
🌸4月21日(日)イースター礼拝のご案内
10:30~12:00 礼拝
12:00~13:30 ティ-タイム
(おにぎりの用意があります。)
14:30~15:30 墓前礼拝(青葉園にて) 【牧師就職式のお知らせ・東京中会】4月29日(月・休) 13:00~天満由加里南柏教会牧師就職式5月2日(木・休) 13:00~駒井利則秋田教会牧師就職式5月6日(月・休) 14:00~篠塚予奈横須賀教会牧師就職式【他中会・浦和教会に関わりのある教師】5月2日
an>(木) 13:00~鈴木美津子宝塚売布教会伝道師就職式*就職式に出席できる方は三輪牧師までお申出ください。
2019.04.14~20 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「イースター礼拝・墓前礼拝のため」
「浦和教会建設記念日を覚えて」(4月21日)
〇立教大学講義 16日(火)10:45
〇聖学院大学講義 17日(水)13:00
〇聖書の学びと祈りの会 18日(木)10:00
歴代誌上21章(担当 三輪地塩) 司会 森 千 恵
〇聖書の学びと祈りの会 18日(木)14:00
詩編46編 担当 大 和 文 彦
〇第2回中会常置委員会(柏木教会)18日(木)14:00
〇イースター卵作り 20日(土)10:00
2019/4/7 説教音声 三輪地塩
説 教 「イエスの裁判」
2019/4/7 説教音声 三輪地塩
説 教 「イエスの裁判」
聖 書 ダニエル書7章11節~14節(旧約P.1392)
マルコによる福音書14章53節~65節(新約P.93)
聖 書 ダニエル書7章11節~14節(旧約P.1392)
マルコによる福音書14章53節~65節(新約P.93)
2018.08.26 説教
<8月26日説教から>
『子供を祝福する』
マルコによる福音書10章13節~16節
牧師 三輪地塩
心理学者の河合隼雄の話。
「ある母親が相談に来て、「息子は幼稚園児なのに喋ることが極端に遅れている」と悩んでいた。勿論知能的な障害などはなかった。よくよく話を聞いてみると、母親は、子供を「自立」させるため、出来るだけ親と距離をおいて育てていたと言う。夜寝る時もできるだけ添寝しないようにし、一人で寝かせるようにした。子供は幼い頃から一人でベッドに行くようになって、それを見た親戚の人たちから感心されるほどだった、と言う。それを母親は「子の成長」と喜んでいた。だが、(河合隼雄の分析では)その子の自立は見せかけである。つまり、母親の強さに押されて、辛抱して一人で行動していただけで、本来的な自立をしていたわけでなかった。そのため、言葉の遅れが生じて来たのである。それを母親によく説明し、子供をもっと甘えさせなさいとアドバイスしたところ、その数ヶ月後には、言葉も急激に進歩し、平均的な子供の言語能力に追いついていったのである」。
この河合隼雄の話は、「自立」と「依存」が正反対のことではないことを示している。自立とは「充分な依存の裏打ちがあってこそ生まれてくる」のである。自立は「依存しないこと」ではなく、「然るべき寄って立つところに依存すること」である。人間は、そもそも社会化された生き物であり、孤立して、単体で生きていくことは出来ない。人間は依存を排除して生きることは出来ず、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど出来ないか、を良く認知した上で、感謝して依存すれば良い。その自覚こそが、本当の自立である。このような河合隼雄の分析は、あたかも、我々の信仰の歩みを表わしているかのようでもある。
主イエスは「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と言われた。なぜ神の国は「子供たちのような者のため」のものだと主は言われるのか。それは、子供こそが、親という「然るべき寄って立つ依存先を知っているから」である。それと同じように、我々もまた「神のもとに寄って立つ「子供のような」存在」でありたいものである。
