聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー出エジプト記1章1節-22節 2011年8月11日

祈祷会(木)奨励  出エジプト記1章1節-22節 2011年8月11日
 今日から出エジプト記に入る。これは創世記との断絶ではなく継続の中で語られている。1節~5節で12人のヤコブの息子たちの名前に言及され、その孫が70名にのぼることを事が言われている。そして1章全体でこの数が無数に増え広がっていることが語られる。つまりヤコブの息子たちというイスラエルに限定された民族が世界大へと広がっていることを告げているのである。それはイスラエルの民が世界の民になっていることと同時に、イスラエルの神が世界の神であることを告げているのである。
 1章に7せつ、9節~10節、12節、20節と、増え広がっていることが記されている。この人口増加は星の数のようであり、アブラハム契約(創世記12章等)の成就として、祝福されたことが示される。しかし彼らは虐待される民でもあった。この時のファラオはラメセス2世であると言われている。ヨセフの時代のファラオがヒクソスの王朝であることから異民族に寛容であったが、ラメセスは違っていた。彼はイスラエル人が強くなることを怖れ、拒み、殺す計画を立てた。
 11節の「物資貯蔵の町ピトムとラメセスは」創世記41章45節でヨセフが奨めていた物資貯蔵の町であろう。ナイルは非常に豊かで多くの農作物を産み出していた。しかしこの豊穣の川が、ファラオの命令と共に死の川に様相を呈してしまうのであった。生を産み出すものが死を表す。これが当時のエジプトであった。イスラエル人たちの労働はますますひどくなり、それは過酷を極めた。
 ここに二人のイスラエル人の助産婦(現代的には助産師であるが)が登場する。ファラオは彼女たちに幼児虐殺に加担するように命じている。しかし彼女らは「いずれも神を畏れていた」(17節)とあるように、敬虔な信仰を持っていたことが示されている。彼女たちは機転を利かせ、知恵を絞り、読む者に少なからずユーモアを感じさせる仕方でこの難局を乗り切った。すなわち「ヘブライ人の女性はエジプト人の女性とは違い、体が丈夫なので、助産師である我々が行く前に産んでしまうのだ」と言う。勿論これは嘘である事は間違いなのだが、しかし知恵の利いた嘘の中で神の真実が表されることがあるのだ。助産師たちは「子宝に恵まれた」(21節)。つまり彼女たちは神の祝福を受けているのだ。
 ここで注目したいのは、社会に知られざる者たちの働きが神の目に適う行為者となることである。これは出エジプト記の1章~2章に語られるテーマの一つと言える。特にこのヘブライ人助産師たちには、名前が与えられている。シフラとプアである。このファラオに名前がないのに対し、彼女たちには名があり、ファラオには跡継ぎ、子宝について一切言及されていないのに対し、彼女たちは子宝と共に神の祝福を得ている。この時のファラオはラメセス2世であったのだろうか。とするならば有名な偉大なる為政者である、しかし聖書は彼ではなく、この小さな女性たちを記憶し、この名を留めているのである。ここに聖書のテーマがある。死をもたらす国家権力の中にではなく、神を畏れる態度と敬虔な思い、神の知恵と信仰を、聖書は見逃さないのである。