聖書の学びと祈りの会 聖書研究ー出エジプト記3章1節-22節 2011年9月8日

出エジプト記3章1節-22節 2011年9月8日  
 この燃え尽きない柴が起きた状況は多くの事を知らせる。
 モーセは単なる羊飼いであった。エトロのような祭司でもないし、預言者でもなかった。彼は単なる日常の中に生きていた者であった。
 モーセは彼の好奇心によってこの柴を見届けたいと思った、と書かれてある。好奇心が神との遭遇をさせたのである。動機はどうであれ、いずれにしても彼は神と出会ったのである。ここには宗教的な意図のない通常のありふれた状況があり、そこで神が自らを顕現なさっていることに注目したい。
 彼は召命を受けるが、これに対し11節「わたしは何者なのでしょうか。」と彼は問うのだ。当然である。我々も、もしありふれた日常生活の中で、壮大な出エジプトの計画が語られても何事かと思ってしまうだろう。その召命に対しての問答が3章~4章にある。3章4節から4章17節まで実に13回も神はモーセに語り掛けている。そのうちの二つ3章に書かれている。(11節、12節の問いに対して13節、14-21節が神の答えである)
 「私はある。私はあるという者だ」は不思議な言葉として受け取られる。英語聖書ではI am who Iam.と訳されている。存在としての神の名。神は見えずともその存在の確かさを証言し顕現なさる神のBeingがここにある。LXX(ギリシャ語旧約聖書)では、「エゴー・エイミ」と訳出されている。エゴー・エイミは神学的な神顕現を表している。ガリラヤ湖で船に乗っていた弟子たちに嵐が襲い掛かり、暗闇の中から人影が現れる。恐ろしくなった弟子たちに対し語った言葉が「エゴー・エイミ」であった。つまり神としての主イエスの顕現がここにあるのである。
 さて、3章のモーセの状況について考えてみる。彼はこの時何歳ぐらいであったのだろうか。2章23節では「長い年月がたち」とあり、正確な経過年月が明記されていない。我々はモーセの印象を2章前半の「乳飲み子モーセ」2章後半では妻をめとった「新婚モーセ」の印象で読んでいるため、3章での彼もせいぜい20~30歳代。遅くとも40歳代ぐらいではないかと読むのではないかと思う。
 では彼の年齢を逆算してみよう。彼が申命記34章で死んだのが120歳であったと書かれている。出エジプト記7章7節には彼が80歳。アロンが83歳と書かれてある。つまり荒れ野の40年間、ということを考えると、ちょうどこの後すぐにカナンに向けて出発したとするなら辻褄が合う。そこから3章までを見ていくと、特に長い時間の経過が示されている箇所はない。このように考えるならば、3章の時点、正確に言うと2章23節の「それから長い年月がたち‥」の時点で、既に40年ほどが費やされていると考えてもよいのではないかと思われるのである。すなわち、エトロの家で婿として生きていた彼はかれこれ40年かもの間、羊の群れを飼うという仕事に従事しており、もしかするとモーセはこのまま自分は羊飼いのまま人生を全うすることを考えていたのかもしれないし、ミディアンに骨を埋めるつもりで後半生を生きていたのかもしれない。
 しかし神様の計画はそうではなかったのである。今日の物語は、青年モーセが指導者に任命された物語ではなく、晩年を迎えたモーセが、老いた者がその人生の晩年に突如受けた驚くべき召命物語であるとも考えることもできるのである。
 老齢になってからの旅立ちと解釈するとき、アブラハムのことを思い起こさせる。行先を知らずに旅立ったアブラハムと、行先はここであると示されたモーセには違いがあるが、聖書は晩年を迎えた者たちに多くの示唆を与えるのである。人生の晩年には諦観や死の需要だけがあるのではない。救いと解放がある。それが我々に与えられた物語である。
  (日本キリスト教会 浦和教会 祈祷会奨励)