マタイによる福音書15章29節-39節 『神讃美と感謝の祈り』 2013年5月26日

 マタイによる福音書15章29節-39節 『神讃美と感謝の祈り』① 2013年5月26日

 この箇所を最初に読んで思いますのは、あれ?4000人?5000人じゃなかったっけ?という疑問です。マタイ福音書では14章に5000人の群衆の空腹を満たす奇跡についてすでに語られていました。この箇所はいわゆる5000人の給食、という言い方がされていますが、今日の箇所は4000人です。多くの人はこれを見てマタイは同じ話を間違って2度記したのか、もしくは強調するために似たような話をもう一度書いてみた、と思うかもしれません。聖書をある程度知っている方に「大勢の群衆の空腹を満たす」というキーワードで連想するものは「5000人の給食」であり、決して「4000人の給食」ではないでしょう。試しに「5000人」と「給食」キーワードからインターネットで検索して最初にヒットしたのは、主イエスの5000人の給食であり、5つのパンと2匹の魚に関する事でした。それに対して、「4000人」と「給食」で検索してみると、トップ記事に出てきたのは「トルコの学校給食で無料で牛乳を配布したところ4000人が食中毒になった」という似ても似つかぬ話でした(笑)。

 それが証拠というわけではありませんが、私たちは大勢の人々の空腹を満たすと言えば「5000人」というイメージがあると思うのです。しかしこの話を詳しく読んでいきますと、それがイメージ先行である事が分かり、むしろ私たちはこの4000人の給食の物語の内容の深さに驚くのです。そしてある一面から言うならば、5000人の給食の話よりも、むしろ今日の箇所の方が聖書全体にとって意味のある、主イエスの歩みにおける転換点であると受け取る事も出来るぐらいなのです。今日はその事を考えつつ、共にこの箇所から御言葉に聞きましょう。

 先週の箇所で主イエスは、カナンの女性に対する癒しを行ないました。それはイスラエルのだいぶ北の方であったと思われます。そして今日の箇所ではイエス一行は南下してガリラヤ湖のほとりに帰ってきたのです。そこには多くの群衆が集まってきました。30節「足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。」。すなわちこの時イエス様は多くの群衆たちの、様々な体に癒しを行なっていたのです。

 5000人の給食の話では、時刻は「夕暮れになった」とあるように、群衆を解散する時に行なわれたのが5つのパンと2匹の魚の出来事でした。それは空腹のまま薄暗くなったところを帰らせたくないという思いがあったからです。この時の状況は14章15節にあります。「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

 ここで「食事を与えたいと」という事を申し出て、群衆に配慮したのは「弟子たちであった」と書かれています。しかし今日の箇所15章32節では「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 このように言われており、この時、イエス側から群衆の空腹を満たしてやりたい、と申し出たのです。
 一方は弟子たちが配慮し、もう一方では主イエスが配慮している。それ自体は何ら不思議な事ではありません。主イエスも、弟子たちも、集まってくる群衆を大事に思っているわけですから、むしろこのような配慮をお互いにし合うのは大切な事です。

けれども、ここで弟子たちではなく、主イエスから言い出したのにはわけがありました。それは「籠」であります。5000人の給食の話では12の籠がいっぱいになった、と書かれており、今日の箇所では7つの籠がいっぱいになった、とあります。ですから同じように籠が満杯になるほどに、祝福もいっぱいになったという事が示されているわけです。しかし実はこの籠という言葉、違う単語が使われています。5000人の方では「コフィノス」という言葉、4000人の方では「スピリス」という言葉です。勿論両方共に籠である事には変わりはないのですが、5000人のコフィノスは、ユダヤ人が旅をする時に食べ物を入れるために使っていた籠でありまして、それには覆いが付けられていました。何故おおいが付くかと言うと、ユダヤの律法に従って、異邦人の地にある塵や埃が入らないようにするために蓋をする事が必要だったのです。それに対して4000人の方の籠スピリスにはおおいはありません。かなり柔軟性のある大きなかごで、品減でも入ってしまうほどの大きさであったそうです。そしてこれにおおいが無いのは、異邦人の土地の塵や埃が入っても構わない、つまりそのような律法に従わなくて良い人々が使うものであったからです。ですからこれは、異邦人が使う籠なのです。

 ここにいた群衆とは「異邦人」でした。ガリラヤ湖北部地域は、西側がユダヤ、東側が異邦人が住む土地でありましたから、恐らく東側の山で起こった事なのでありましょう。そこに異邦人の群衆がたくさん集まってきたわけであります。

 新約聖書学的な言い方をすると、12の籠と7つの籠という数についてもそれを表しているとも言われます。12はイスラエル12部族を表しており、これがユダヤ人である事が分かる。それに対して7と言うのは、70の異邦の国々であるとか、使徒言行録にあるような、ギリシャ人への配慮をするために選ばれた7人の執事を示しているとも言われます。つまり7が異邦人の象徴であると考える事が出来るわけです。そもそも5000人の「5」という数はモーセ五書の象徴でユダヤ人を示し、4000人の「4」という数字が、東西南北の方角、四方八方の異邦の国々を示しているのである、と解釈する事が出来ます。エゼキエル書やダニエル書でも4という数字が全世界を表わす幻について語られている通りであります。