<2016年12月4日の説教から>【世に向かって公然と】

<12月4日の説教から>
『世に向かって公然と』
ヨハネによる福音書18章19節~24節
牧師  三輪地塩
 大祭司邸宅に連行されて尋問を受けている主イエスの場面である。夜、薄暗い中でこの尋問が行われている。ヨハネ福音書は、光と闇一つのテーマとして語っており、光は神の栄光を、闇は罪と悪を表している。この時の尋問は薄暗い密室で行われたこと、つまり「罪」と「悪」とが示唆されている。
 イエスは大祭司から「弟子のこと」と「教えについて」を質問されている。「弟子」「教え」についての尋問は、この当時「異端審問」が行われる際の質問と同じであり、ここでイエスは異端審問(宗教裁判)を受けていたことが分かる。実際に審問しているのは隠退した元大祭司アンナスであり正式な役職にはない。つまり非公開で行われた、非公式な裁判に過ぎない。
 イエスはこの場で堂々としている様子が伺える。逃げも隠れもせず、公然と世に向かって語ったのである。マタイによる福音書の5章14節以下には、次のような言葉がある。
 「あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなた方がたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
 イエスが公然と語ったように、弟子たちに対し、公然と語りなさいとイエスは勧める。我々は、主の御言葉によって生き、生かされる者たちであるから、主イエスによる永遠の命の内に生きる者は、隠れる必要がないし、隠される必要もない、と聖書は語るのである。