2017.05.14~20  今週の集会

今 週 の 集 会

祈祷題「新たに無牧となった教会のため」
     
聖書の学びと祈り   18日(木)10::00

  列王記上3章(担当 三輪地塩)  司会  野田昭子

午前の祈祷会後、有志で草取りをします。

聖書の学びと祈り   18日(木)14:00
  
  使徒言行録8章26~40節      担当  安井國男

2017.01.22の説教から

<1月22日の説教から>

『民衆のシュプレヒコール』
ヨハネによる福音書19章8節~16節a
牧師  三輪地塩
 この時彼らが叫んでいた「殺せ、殺せ」というのは、悲惨な出来事を予測させる言葉である。まさに我々人間そのものをを象徴するかのような、悪と憎しみに満ちた要求である。ここにはキリストヘイトが示すのは、人は憎しみに先導され、憎しみに我々の目は眩み、憎しみと殺意が我々の原動力になってしまうことである。残念な事に、善意や、愛の力に勝って、我々人間、はヘイトの力、悪の力、敵意の力に屈してしまう、あるいは、屈し易いと言わねばならない。
 2017年になり、我々人類は大きなチャレンジを受けている。憎悪と偏見と蔑視に扇動される人間の姿が世界各地で確認されているからだ。ヨハネ福音書は、このような、新しい時期を迎えた我々に、今日の箇所を示す。「殺せ、殺せ」と一斉に叫ぶユダヤ人の言葉は、ギリシャ語の原文では「アローン、アローン」である。
「アローン」とは、「殺す」「片づける」「取り除く」という意味の「アイローン」の命令形。
「殺せ、殺せ」と言い、神の子イエスを十字架に架けようとしている。殺してしまって、
この厄介な「神の子を自称する者」を「取り除いて」しまおう、という民衆の心理がこの言葉に示される。
 しかし我々は、ヨハネ福音書1章29節の、洗礼者ヨハネの言葉「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見ていった。見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」に
注目しなければならない。「この世の罪を取り除く」、と宣言されたキリストは、
自分自身が取り除かれるシュプレヒコールと共に人類の罪を取り除かれたのであった。

2017年5月14日主日礼拝予定

2017.05.14       
             主日礼拝  午前 10:30
                           奏楽     三 輪 志 津 
         <神の招き>
 
招 詞  ローマの信徒への手紙12章1節 
*讃 詠   545A
*罪の告白と赦し  交読詩編32編1節~5節
*讃美歌  77
         <神の言葉>
 聖 書  ゼファニヤ書1章14節(旧約P.1471)
       フィリピの信徒への手紙1章3節~11節(新約P.361)
 祈 り        増 田 裕 子
*讃美歌  304
 
 説教    「知る力と見抜く力」     三 輪 地 塩

        
          <神への応答>
*讃美歌  380 

*ニカイア信条
 
 公告

*献金感謝

*主の祈り

*頌 栄  539

*派遣と祝福

*後 奏


                      

2017.05.07~05.13 今週の集会


今 週 の 集 会
     ◎祈祷題「新たに牧師を迎えた教会・伝道所のために」
     〇聖書の学びと祈り       11日(木)10:00
  
       列王記上3章(担当)     司会  冨岡 富士子
     〇生と死の学び 
       
       三浦綾子著 『泉への招待』② 11日(木) 同上後
                ・聖書と私
                ・広き門
                         担当  松本 京子
    〇聖書の学びと祈り       11日(木)14:00
  
      ホセア書7章           担当  角野  託司
    〇全国青年の集い実務委員会(代々木公園〰柏木教会)
                    
                        13日(土)11:30

2017.01.15の説教から

<2017年1月15日の説教から>
『わたしはあの男に何の罪も見いだせない』
ヨハネによる福音書18章38節b~19章7節
                               牧師  三輪地塩


ピラトはユダヤ人たちに問いかけた。「ところで、過越祭にはだれか
一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の
を釈放してほしいか。」

 ピラトははイエスを解放しようとしたがユダヤ人たちの答は「その男だ

ない。バラバを」であった。バラバは十字架の「赦免」の場面にしか出

てこないが、キリスト教界では有名な人物となった。マタイ福音書ではバ

ラバの罪状については触れず、マルコは「暴動時の殺人」と伝える。

ルカ福音書は「殺人」ヨハネ福音書は「強盗」と書かれている。おそらく

は、ローマ帝国への武力抵抗を訴えた熱心党(ゼーロータイ)の一員

だったのではないかと考えられる。

 「バラバ」という名前、「バラッバース」というのが言語での読み方であ

が、「バル」(誰々の子)、「アッパース」(人物名)で「アッパースの子イ

ス」という事になる。

 これは大変興味深いことである。19章7節で「わたしたちには律法があ

ます。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称した

からです。」と言われているように、「神の子と自称した」ことを罪状にし

ているからである。

 つまり、ピラトはユダヤ人に二つの選択を迫っているのである。「アッ

スの子イエスを釈放するか」それとも「神の子イエスを釈放するか」の

選択である。民衆は、神の子と━どこの馬の骨とも分らない輩である━

アッパスの子のうち、後者を選択したのである。何と愚かなチョイスであ

ろうか。

 ピラトはイエスを民衆の前に引き出し、「これで勘弁したらどうだ」という

意味を込めて「見よこの男だ」といった。由木康作詞の121番の讃美歌

は「~この人を見よ」が1~4番の全てでリフレインされる。特に4番は「

この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は、あらわれたる。この人を見
よ、この人こそ、人となりたる、活ける神なれ」と歌われ、「この人を見

よ」何度も繰り返される。「この人」とは、決してアッパスの子などでは

く、真の神の子である、という信仰告白をこの讃美歌の中に見いだす。

2017.05.07主日礼拝予定

           主日礼拝        午前10:30
【聖餐式】
奏楽  板 垣 玲 子
                
<神の招き>
       招 詞  ローマの信徒への手紙 12章1節
      *讃 詠  545B
      *罪の告白と赦し  交読詩編 6編1節~10節
      *讃美歌  74
<神の言葉>
       聖 書  申命記 7章6節~8節(旧約P.292)
             フィリピの信徒への手紙 1章1節~2節(新約P.361)
       祈 り 
     *讃美歌  270
     
     説 教  「イエス・キリストの僕」 
      三 輪 地 塩
<神への応答>
     *讃美歌  495
     *日本キリスト教会信仰の告白
       聖餐式  205
       公告
     *献金感謝  (21)495
     *主の祈り
     *頌 栄  543
     *派遣と祝福
     *後奏