2017.06.04~06.10 今週の集会

             
          今 週 の 集 会

祈祷題  「家庭集会のため」「伝道所を覚えて」
聖書の学びと祈り           8日(木)10:00
  列王記上6章(担当 三輪地塩)  司会 室橋 明子
聖書の学びと祈り           8日(木)14:00
  ホセア書8章              担当 岡野 庸子

東京中会神学講座のお知らせ

       
       東京中会神学講座のお知らせ
*7月3日(月) 19:00~20:30 鶴見教会
  テーマ:旧約聖書:諸書  
               講師:三好明(志木北伝道所)

*7月4日(火)  19:00~20:30 鶴見教会
  テーマ:教理・聖霊論
               講師:有賀文彦(大垣教会)

2017.02.05の説教から

              <2017年.2月.5日の説教から>
               『「渇く」 「成し遂げられた」』
            ヨハネによる福音書19章28節~30節
                                    牧 師   三 輪 地 塩
 「成し遂げられた」とイエスは言う。このギリシャ語「テテレスタイ」の名詞形は
「テロス」である。「テロス」は「終わり」「目的」という意味を併せ持つ単語である。
 
 イエスは地上の生涯を「終えた」のであるが、むしろ我々は「終わりによって始まったこと」を読み解かなければならない。「テロス(テテレスタイ)」とイエスが語る時、第一に、「人間的な事柄の全ての終わり」が意味される。死が人間の生涯を終わらせるように、この世の可能性が終ったことが示される。十字架において、人間は弱い存在として、暴力と痛みと苦しみの中で「終わる」のである。
 
 だが一方で「テロス(テテレスタイ)」には「目的が果たされる」という意味もある。
「終わり」は神の視点から見ると「目的の成就であり、終わりではない」。つまり「目的が果たされる」という意味もある。「終わり」は神の視点から見ると「目的の成就であり、終わりではない」。つまり「人間の可能性」の観点からは終わりを告げるが、神の観点からは終わっておらず、ここから「神の確かな命の開始」が告げられるのである。それが十字架である。
 我々は歴史の中を歩んでいる。歴史は、人間がこの世に生を受けてから死ぬまでの間に「何があったか」「何を成し遂げたか」が記録されるのである。だがどんなに偉大なことをした偉人、有名人、時の権力者であったとしても、人の命には限りがあり、時間と空間の制約を受けた中で、私たちはその命の終焉を迎える。これが肉の限界である。
人間の命、人間の歴史というものは、命から死へ、誕生から死に向かうプロセスを通って、紡がれていく。
 だが、キリストの十字架において起こった事柄は、「死から命へと移っていく」という、歴史の倫理の逆転が起こっている。それがイエスの言葉「テロス(テテレスタイ)」に示されている。我々は、この世の常識、「命から死へ」という順序から、「死から命へ」という神の新しい順序へ開かれている。それは我々の常識的な時間や空間、歴史の秩序を無視した展開である。神学者の深井智朗は次のように言う。「すべてが終わった後に始まったこと、これが福音の論理である。つまり人間のあらゆる可能性が終わり、そこから神の可能性が始まるところに説教者と会衆は立っているのである。」と。

2017.06.04 主日礼拝予定

2017.06.04
           主 日 礼 拝      午前10:30
           <ペンテコステ合同礼拝・聖餐式>
                            奏楽  田 端 誠 治
<神の招き>
 招 詞  マラキ書3章1節
*讃 詠  (21)83
*罪の告白と赦し  交読詩編51編1節~11節
*讃美歌  (21)16 (1~3)
<神の言葉>
 聖 書  申命記16章9節~12節(旧約P.306)
       使徒言行録2章1節~13節(新約P.214)
 祈 り  
*讃美歌 (21)343
 
 説 教  「聖霊降臨」        三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌  (21)346
*日本キリスト教会 信仰の告白
 聖餐式  (21)81
 公告
*献金感謝  (21)343
*主の祈り
*頌 栄    (21)46
*派遣と祝福
*後 奏