2019.04.28~05.04 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「平和憲法を覚えて」5月3日(憲法記念日)
「日曜学校のため」 5月5日(こどもの日)
〇南柏教会天満由加里牧師就職式 29日(月・休)13:00
〇立教大学講義 30日(火)10:45
〇聖書の学びと祈りの会 2日(木)10:00
歴代誌上23章(担当 三輪地塩) 司会 伊木 美穂子
〇「生と死の学び」 担当 志賀 洋子
(三浦綾子著「泉への招待」 P.212~221)
〇聖書の学びと祈りの会 2日(木)14:00
ヘブライ人への手紙4章1~13節 担当 岡野 庸子
〇秋田教会駒井利則牧師就職式 2日(木)13:00
〇宝塚売布教会鈴木美津子伝道師就職式 2日(木)13:00
2019.04.28 主日礼拝
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 板垣 玲子
<神の招き>
招詞 ヨハネによる福音書12章24節
*讃詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編 139編1節~6節
*讃美歌 (21)13〔1-3〕
<神の言葉>
聖書 イザヤ書53章7節~10節(旧約P.1150)
マルコによる福音書15章1節~15節(新約P.94)
祈り 加藤 純子
*讃美歌 (21)297
説教 「イエスとバラバ」 三輪 地塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)298
*十戒
公告
*献金感謝
*主の祈り
*頌栄 (21)46
*派遣と祝福
*後奏
2019/4/28 説教音声 三輪地塩
説 教 「イエスとバラバ」
聖 書 イザヤ書53章7節~10節 (旧約P.1150)
マルコによる福音書15章1節~15節(新約P.94)
聖 書 イザヤ書53章7節~10節 (旧約P.1150)
マルコによる福音書15章1節~15節(新約P.94)
2019/4/21 説教音声 三輪地塩
説 教 「イエスさまの復活を喜び祝おう」
聖 書 コヘレトの言葉3章9節~11節 (旧約P.1037)
マタイによる福音書28章1節~10節(新約P.59)
聖 書 コヘレトの言葉3章9節~11節 (旧約P.1037)
マタイによる福音書28章1節~10節(新約P.59)
2018.09.02 説教
<9月2日の説教から>
『お金持ちの男性』
マルコによる福音書10章17節~22節
牧師 三輪地塩
一人の男がイエスのもとにやって来て言った。「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」。イエスは「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という、十戒の後半6つの戒めを挙げ、これを守るようにと答えた。
しかしこの男は、「そのようなことは子供の時から守ってきました」と答えている。彼の態度は非常に信仰的であると言える。だが「子供の時から」という言葉に少々引っ掛かる。彼の信仰が「子供の延長線上」に見えるからだ。
我々も同じである。子供の頃から教会に親しんだ人が、大人になっても日曜学校レベルの話しか理解出来ないのでは、少々残念に思えてしまうように。
信仰は、我々が人生を歩むに従って、自ずとその段階を踏ませる。幼児の頃の神は、純粋無垢な祈りに、真正面から答えてくれるように思えた。だが大人になると、人生の紆余曲折を経て、必ずしも神が「自分の為だけの神ではない」ことに否応なしに気づかされる。
この男の信仰の稚拙さは、「貰う信仰」「与えられることだけを信じる幼児期の信仰」だったと言えよう。求め、手に入れるだけ。ベクトルが自分にしか向いていないのだ。
イエスは彼に言った。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」と。
彼には欠けがあった。与えない信仰であることだった。神の前にも人の前にも、自分を明け渡すことのない人生を彼は歩んでいた。自分を「捨てること」が出来なかったのだ。「自分自身は保持したいが、永遠の命も欲しい」「しかし一切を捨てたくない」。それが彼だった。しかしイエスの要求は、「得るための欠乏」を求めるものである。「得るためには捨てるのだ」と言う。ヨハネ福音書12章にあるように「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。イエスは可憐、「自分を救うのでは無く、他者を生かすこと」を要求された。それは現代の我々への問い掛けでもある