説 教 「イエスの裁判」
聖 書 ダニエル書7章11節~14節(旧約P.1392)
マルコによる福音書14章53節~65節(新約P.93)
2018.08.26 説教
<8月26日説教から>
『子供を祝福する』
マルコによる福音書10章13節~16節
牧師 三輪地塩
心理学者の河合隼雄の話。
「ある母親が相談に来て、「息子は幼稚園児なのに喋ることが極端に遅れている」と悩んでいた。勿論知能的な障害などはなかった。よくよく話を聞いてみると、母親は、子供を「自立」させるため、出来るだけ親と距離をおいて育てていたと言う。夜寝る時もできるだけ添寝しないようにし、一人で寝かせるようにした。子供は幼い頃から一人でベッドに行くようになって、それを見た親戚の人たちから感心されるほどだった、と言う。それを母親は「子の成長」と喜んでいた。だが、(河合隼雄の分析では)その子の自立は見せかけである。つまり、母親の強さに押されて、辛抱して一人で行動していただけで、本来的な自立をしていたわけでなかった。そのため、言葉の遅れが生じて来たのである。それを母親によく説明し、子供をもっと甘えさせなさいとアドバイスしたところ、その数ヶ月後には、言葉も急激に進歩し、平均的な子供の言語能力に追いついていったのである」。
この河合隼雄の話は、「自立」と「依存」が正反対のことではないことを示している。自立とは「充分な依存の裏打ちがあってこそ生まれてくる」のである。自立は「依存しないこと」ではなく、「然るべき寄って立つところに依存すること」である。人間は、そもそも社会化された生き物であり、孤立して、単体で生きていくことは出来ない。人間は依存を排除して生きることは出来ず、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど出来ないか、を良く認知した上で、感謝して依存すれば良い。その自覚こそが、本当の自立である。このような河合隼雄の分析は、あたかも、我々の信仰の歩みを表わしているかのようでもある。
主イエスは「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と言われた。なぜ神の国は「子供たちのような者のため」のものだと主は言われるのか。それは、子供こそが、親という「然るべき寄って立つ依存先を知っているから」である。それと同じように、我々もまた「神のもとに寄って立つ「子供のような」存在」でありたいものである。
2019.4.5のお知らせ
🌸イースタの卵つくり奉仕者を募集します
受付の用紙にお名前をご記入してお申込みください。
🌸4月21日(日)イースター礼拝のお知らせ
10:30~12:00 礼拝
12:00~13:30 ティータイム
(おにぎりの用意あります)
*教会から青葉園へ移動しますが、教会から乗車を
希望する方はお申出ください。(担当 薄田東正)
◇花壇のお花への募金額は¥12,000でした。感謝致します。
。
2019.04.07~13 今週の集会
今 週 の 集 会
◎祈祷題「新しい任地に赴く教師のため」
「受難週を覚えて」(4月14日~20日)
〇神学校入学式(神学校) 8日(月)13:00
〇始業講演(松田真二) 〃 15:00
〇神学校研修会 〃 17:00
〇聖学院大学講義 10日(水)13:00
〇聖書の学びと祈りの会 11日(木)10:00
歴代誌上20章(担当 三輪地塩) 司会 室 橋 明 子
〇聖書の学びと祈りの会 11日(木)14:00
ヘブライ人への手紙 3章7節~19節 担当 岡 野 庸 子
2019.04.07 礼拝予定
主 日 礼 拝 午前 10:30
< レントⅤ・聖餐式 >
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書12章24節
*讃 詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編138編1節~3節
*讃美歌 (21)16(1-3)
<神の言葉>
聖 書 ダニエル書7章11節~14節 (旧約P.1392)
マルコによる福音書14章53節~65節
(新約P.93)
祈 り
*讃美歌 (21)313
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)303
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 (21)78
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 (21)46
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 伊木、増田、三浦、松谷
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
="margin:0mm 0mm 0pt;text-align:left;text-indent:10pt;">礼拝当番(今週)安井、菊地、浜野、半田理
(次週)増田、小出、半田龍、深沢
掃除当番(今週)福永、松谷、伊木、須田、
國見、河野武子、佐藤允
(次週)済陽、森、国久、新畑
鈴木恵、小出勝、武政み