主 日 礼 拝 午前 10:30
< 聖 餐 式 > 奏楽 岩 本 道 子
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 545B
*罪の告白と赦し 交読詩編143編7節~12節
*讃美歌 29
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書40章6節~8節 (旧約P.1124)
ペトロの手紙一1章22節~25節
(新約P.429)
祈 り *讃美歌 213
説 教 「変わることのない生きた言葉」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 517
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 204
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 541
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 増田 松谷 三浦 伊木
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)安井、野田、國久、國見
(次週)森﨑、済陽、栗原、小出和
掃除当番(今週)河野武郎、安井英、大嶋
菊池淑、栗原、島口
(次週)福永真、松谷、伊木、須田
國見、河野武子、佐藤允
*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。
2019.7.7 本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇コイノニア 礼 拝 後
〇入会試問会 12:30
〇定期小会 13:00
今 週 の 集 会
◎祈祷題「ミッションスクールのため」
「伝道協議会のため」(7月15日 柏木)」
〇聖書の学びと祈りの会 11日(木)10:00
歴代誌下4章(担当 三輪地塩) 司会 室 橋 明 子
〇聖書の学びと祈りの会 11日(木)14:00
ヘブライ人への手紙5章11節~ 担当 岡 野 庸 子
〇大会常置委員会(柏木教会) 11日(木)14:00
【牧師予定】
〇立教大学講義 9日(火)、聖学院大学講義 10日(水)
◇午前・午後の祈祷会は次週7月18日~9月12日まで
休会となります。
◇8月11日(日)午後、かき氷大会後13:30~
平和記念コンサートをいたします。チラシ・ハガキが
出来ておりますので、ご家族・友人・知人をお誘い下さい。
【中会伝道協議会】
7月15日(月・休) 10:30~15:30 柏木教会で開催
長老・執事以外の方もどうぞご参加ください。
【靖国神社スタディツアー】
7月16日(火)
【夏季献金のお願い】
夏季献金は、維持献金の不足を補うためにも大事な献金で
すので、どうぞ宜しくお願いいたします。
<12月2日の説教から>
『皇帝に納める税金』
マルコによる福音書12章13節~17節
牧師 三輪地塩
イエスは「皇帝のものは皇帝に」と答えた。それはユダヤ人たち、特にファリサイ派の人たちにとって衝撃的な答えであった。「刻んだ像」の存在を認め、その価値を認めているかのような答えだったからである。しかしイエスの言葉には続きがある。「神のものは神に返しなさい」と。
そもそも皇帝とはどういう存在であろうか。聖書は権力者に対して中立的である。よく知られている、ローマ書13章の中で使徒パウロは「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。」と語り、「権力者に従え」と述べられている。
デンマークの有名な哲学者キルケゴールは「皇帝のものは皇帝に」という言葉は、「皇帝に対して、イエスが徹底的に無関心であること示している」と言う。キルケゴールが言うのは、「キリスト者は、政治に無関心でよい」と言うことではなく、「皇帝と神を並列関係に置くこと自体がナンセンスだ」という意味である。「皇帝のものは皇帝に」、という言葉は、後半の「神のものは神に返しなさい」という言葉に全てが集約されている。「皇帝」VS「神」という構図は成り立たず、神に拮抗する巨大勢力としてのローマ皇帝など、君臨すべくもない。イエスにおいて「神のものは神に」という言葉には、全てが「神の下にある」という大前提がある。
我々は、「刻んだ像を作ってはならない」という事を知っているが、神は「ご自分の姿を我々人間の姿に刻んでいる」とも聖書は語っている。我々は「神の像」「神の似姿」。我々はすでに神の似姿であると聖書は主張する。創世記1章で「神はご自分に似せて人間を造られた」とある通り、私たちは神の尊厳が刻み込まれていると聖書は伝えている。この罪深い我々が、神の似姿として生きる事を許可されている。「神の似姿として、人間の尊厳として歩みなさい」と命じられるのである。
神の尊厳と、神に託された命を生きる事、それは決して「我々の栄光」のためではなく、神の栄光のために生きる。それが我々の生涯であり、人生である。