週 報 74巻46号 2019. 11.17
それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。(ペトロの手紙二3章17節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<1階で同時にスクリーン礼拝>
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 詩編91編15節~16節
*讃 詠 (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編1編1節~3節
*讃美歌 (21)17
<神の言葉>
聖 書 詩編122編1節~8節 (旧約P.969)
ペトロの手紙二 3章14節~18節 (新約P.439)
祈 り 加 藤 純 子
*讃美歌 (21)394
説 教 「堅固な足場を失わず」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 (21)402
*日本キリスト教会 信仰の告白
入会式 (白川典子)
讃美歌 (21)522
公 告
*献金感謝
*主の祈り (座席前そなえつけ)
*頌 栄 (21)46
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
************************************************
礼拝当番(今週)増田、新畑、菊池、齋藤
(次週)三浦、岩本、國久、栗原
*************************************************
掃除当番(今週)松本、浜田、佐藤真
加藤ヨ、板垣、草野、古賀
(次週)薄田、青木、志賀
越智、加藤、平野、白川
2019.11.17 週報掲載のお知らせ
次 週 礼 拝
説教「洗礼者ヨハネの誕生」 三 輪 地 塩
レビ記16章17節〜19節
ルカによる福音書1章1節~25節
讃美歌 (21)83、12(1-3)、412、290(1-3)、46
岩 本 道 子
日曜学校説教「天におられる主イエスを仰いで」
使徒言行録7章54節~60節 三 輪 地 塩
◇福音時報の購読の申込みは、本日までです。(担当 國見)
◇タビタの会献金は次週24日(日)までです。お志のある
方は宜しくお願いいたします。 (担当 加藤純子)
◇過日の「あしなが育英会」への募金額は¥7,100でした。
バザーの収益金から2万円を加えて送金しました。
入会者紹介と会員住所変更
白川典子さん 日本キリスト教団埼大通り教会から入会
〒330-0074さいたま市浦和区北浦和
齊藤日和さん 〒336-0012さいたま市中央区大戸
詳細は週報(紙版)でご確認ください。
説教「洗礼者ヨハネの誕生」 三 輪 地 塩
レビ記16章17節〜19節
ルカによる福音書1章1節~25節
讃美歌 (21)83、12(1-3)、412、290(1-3)、46
岩 本 道 子
日曜学校説教「天におられる主イエスを仰いで」
使徒言行録7章54節~60節 三 輪 地 塩
◇福音時報の購読の申込みは、本日までです。(担当 國見)
◇タビタの会献金は次週24日(日)までです。お志のある
方は宜しくお願いいたします。 (担当 加藤純子)
◇過日の「あしなが育英会」への募金額は¥7,100でした。
バザーの収益金から2万円を加えて送金しました。
入会者紹介と会員住所変更
白川典子さん 日本キリスト教団埼大通り教会から入会
〒330-0074さいたま市浦和区北浦和
齊藤日和さん 〒336-0012さいたま市中央区大戸
詳細は週報(紙版)でご確認ください。
2019.11.17~11.23 今週の集会
本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇「第2回 全国青年の集い」報告(1階スクリーン) 〃
○第5回執事会 礼 拝 後
〇中会青年部準備会(横浜海岸) 15:00
今 週 の 集 会
◎祈祷題「会堂改修のため」
〇キリスト教懇談会(明治学院) 18日(月)16:00
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)10:00
歴代誌下12章(担当 三輪地塩)司会 佐 藤 允 子
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)14:00
ヘブライ書7章11節~ 担当 岡 野 庸 子
〇〈牧師予定〉聖学院大学講義 20日(水)
〇教会員訪問(3~4名) 22日(金)13:00
〇日曜学校 9:00
〇「教会員の生活」による学びの会 9:15
〇朝カフェ(担当 松谷信司) 9:30
〇入門の会(担当 三浦勇二) 9:45
〇クワイア練習 礼 拝 後
〇「第2回 全国青年の集い」報告(1階スクリーン) 〃
○第5回執事会 礼 拝 後
〇中会青年部準備会(横浜海岸) 15:00
今 週 の 集 会
◎祈祷題「会堂改修のため」
〇キリスト教懇談会(明治学院) 18日(月)16:00
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)10:00
歴代誌下12章(担当 三輪地塩)司会 佐 藤 允 子
〇聖書の学びと祈りの会 21日(木)14:00
ヘブライ書7章11節~ 担当 岡 野 庸 子
〇〈牧師予定〉聖学院大学講義 20日(水)
〇教会員訪問(3~4名) 22日(金)13:00
2019.11.17 週報掲載の説教
<2019年3月17日説教から>
『あなたのことを知らないとは申しません』
マルコによる福音書14章27節~31節
牧師 三輪地塩
イエスはさまざまな奇跡の業を行いながら宣教活動を行ってきた。弟子たちは、その奇跡を間近で見ることによって、自らの経験としたのであった。だが、その経験が、かえって弟子たちの落とし穴になった。彼らは、イエスの救いの業を、自らの力で成し遂げたかのような錯覚に陥っていた。
例えば、アクション映画を見た後に、自分がヒーローになったかのように気持ちが高揚するし、苦難を乗り越える小説を読み終えた後には達成感を抱いてしまう。このときの弟子たちは、「イエスの宣教の主人公」になってしまっていた。
その「勘違い」が明らかとなったのが、イエスの言葉に対する彼らの応答に示される。イエスは自らの逮捕を予告し、あなたたち(弟子たち)は私(イエス)から逃げていくだろう、と伝えた。これに対し、勘違いを起こしている弟子たちは、次のように答える。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」。このように、イエスの予告を否定し、自らの「意思の強さ」を強調したのだった。それは答えたペトロのみならず、他の弟子たち全員の思いの代弁であった。
ここに示されるのは、「人間の過信」である。どんなにイエスと共に歩んでいても、イエスの奇跡を間近で見たとしても、我々人間が、神になることなど出来ないのだ。このペトロの言葉は、あたかも「人間には、何でもできる」と語っているかのようだ。我々人間は高を括ってはならない。我々はそれほど強くはないのだ。
だが、ここには人間の絶望が書かれているのではない。確かに人間の罪のみを見ると「絶望」しかないのかもしれない。だが、ここに希望に照らされた言葉がある。28節「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」。この言葉である。復活の時に語られた天の使いたちの言葉が先取りされている。罪ある我々に、イエスは復活して再会してくださるという祝福の約束である。この後、イエスの逮捕と同時に一目散に逃げてしまう弟子たちに、イエスは「あなた方より先に」、つまり、キリストの恵みが我々に「先行して」待っている――救いは用意されている、と語るのである。
『あなたのことを知らないとは申しません』
マルコによる福音書14章27節~31節
牧師 三輪地塩
イエスはさまざまな奇跡の業を行いながら宣教活動を行ってきた。弟子たちは、その奇跡を間近で見ることによって、自らの経験としたのであった。だが、その経験が、かえって弟子たちの落とし穴になった。彼らは、イエスの救いの業を、自らの力で成し遂げたかのような錯覚に陥っていた。
例えば、アクション映画を見た後に、自分がヒーローになったかのように気持ちが高揚するし、苦難を乗り越える小説を読み終えた後には達成感を抱いてしまう。このときの弟子たちは、「イエスの宣教の主人公」になってしまっていた。
その「勘違い」が明らかとなったのが、イエスの言葉に対する彼らの応答に示される。イエスは自らの逮捕を予告し、あなたたち(弟子たち)は私(イエス)から逃げていくだろう、と伝えた。これに対し、勘違いを起こしている弟子たちは、次のように答える。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」。このように、イエスの予告を否定し、自らの「意思の強さ」を強調したのだった。それは答えたペトロのみならず、他の弟子たち全員の思いの代弁であった。
ここに示されるのは、「人間の過信」である。どんなにイエスと共に歩んでいても、イエスの奇跡を間近で見たとしても、我々人間が、神になることなど出来ないのだ。このペトロの言葉は、あたかも「人間には、何でもできる」と語っているかのようだ。我々人間は高を括ってはならない。我々はそれほど強くはないのだ。
だが、ここには人間の絶望が書かれているのではない。確かに人間の罪のみを見ると「絶望」しかないのかもしれない。だが、ここに希望に照らされた言葉がある。28節「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」。この言葉である。復活の時に語られた天の使いたちの言葉が先取りされている。罪ある我々に、イエスは復活して再会してくださるという祝福の約束である。この後、イエスの逮捕と同時に一目散に逃げてしまう弟子たちに、イエスは「あなた方より先に」、つまり、キリストの恵みが我々に「先行して」待っている――救いは用意されている、と語るのである。