2019.11.3 週報の礼拝案内

週 報 74442019. 11.3
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。(ペトロの手紙二2:1)

主 日 礼 拝  午前 10:30

< 聖 餐 式 >
奏楽  岩 本 道 子

 <神の招き>
招 詞  詩編91編15節~16節

*讃 詠 (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編148編13節~14節

*讃美歌 (21)3[1-3]

<神の言葉>
聖 書 箴言26章11節~12節 (旧約P.1025)

ペトロの手紙二 2章1節~22節    (新約P.437)

祈 り

*讃美歌 (21)352

説  教 「義の道を知っている者」        三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 (21)378

*日本キリスト教会信仰の告白

聖餐式 (21)79

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄 (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

聖餐補佐  松谷、三浦、増田、森﨑

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)加藤、島口、小川澄、國見

(次週)松谷、薄田、加藤ヨ、菊地洋

掃除当番(今週)深沢、阿部、岡野、松沢

小出和、室橋

(次週)入江美、増田、塩澤、岩本、

吉田耕、吉田さ、武政明

*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.11.3 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

<こども祝福日・こどもとおとなの合同礼拝>

説教「一日は千年のようで、千年は一日のようです」

三 輪 地 塩

詩編90編3節~12節

ペトロの手紙二 3章1節~13節

讃美歌 (21)83、18、470、459、46    加 藤 純 子

◇昨年同様クリスマスのお菓子の献品を募ります。賞味期限が2020年1月末以上あるものをお願いします。

(担当 岡野庸子)

◇11月17日(日)14:00~ 志木北伝道所コンサート

演奏 関 真理子(ソプラノ) 有銘 哲也(テノール) 木原 雅裕(ピアノ)

 
◇福音時報の購読の申込み封筒を配布致しました。封筒に

購読料を入れ、11月17日までにお申込みください。

この機会に新規の方もご購読ください。(担当 國見照子)

2019.11.3~11.9 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:15

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇クワイア練習                礼 拝 後

〇コイノニア                礼 拝 後

〇入会者試問(3階和室)            12:00

〇定期小会                13:00

今 週 の 集 会

 

◎祈祷題「こどもとおとなの合同礼拝・こども祝福式を覚えて」(11月10日)

〇「慰安婦」問題・上映会(柏木教会)4日(月)13:00

〇聖書の学びと祈りの会               7日(木)10:00

歴代誌11章(担当 三輪地塩)      司会  鈴 木 惠 子

〇「生」と「死」の学び       担当  室 橋 明 子

(三浦綾子著「泉への招待」P.245~254) 同 上  後

〇聖書の学びと祈りの会        7日(木)14:00

詩編126編                  担当  大 和 文 彦

〇第7回常置委員会(柏木教会)     8日(金)14:00

〇カレー準備                 9日(土)10:00

〇〈牧師予定〉聖学院大学講義    6日(水)

2019.11.3 週報掲載の説教

<2019年2月3日説教から>

今後も決してないほどの苦難が来る』 
マルコによる福音書13章14節~23節

牧師 三輪地塩

この30年間の総決算をするとき、最も衝撃を与えた出来事に「地下鉄サリン事件」がある。これは我々日本人の宗教観を一変された。しかも悪い意味で。

あの教祖がしきりに使っていた「ハルマゲドン」は、ヨハネ黙示録の中で天使と悪魔がこのこの世で戦う「最終決戦」と言われるところから来ている。聖書の意味はキリストの再臨に対する希望であって、「サリン事件」などではない。まことに勝手な解釈も甚だしい。

ジャーナリスト江川紹子は「人は恐怖感、無力感、そして切迫感を同時に抱いてしまうと、立ち止まったり、振り返ったりして内省する余裕を失い、唯一救われる可能性のある行動を語る方向に誘導されやすい」と語る。

だが我々の日常にも、切迫観に煽られる思考停止は頻繁に起こる。例えば、スーパーマーケットに行き、食品売り場で鳴り響く、急かされる音楽と連呼される「お買い得!」の言葉。タイムセールになると「半額」シールが貼られ、我々は思考を停止し、パーセンテージの高い商品を、必要であるか否かを考えずにカゴに入れてしまう。レジを通すとき、ハタと我に返り、自らの愚行を悔やんでも時既に遅し。切迫は脅迫となり、無思慮な思考停止を生んでしまう。

恐らく、かのカルト信者たちも、切迫した終末観を植え付けられ、世の終わりを迫られ、恐怖に駆られ、教祖の言葉に全てを委ねてしまっただあろう。あの教祖は自らの「予言」を現実させたかに見せるため、「予言の成就」を、血で塗られた出来事としてデッチ上げた。「まやかしの終末」である。

マルコ福音書は我々に終末を語る。「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら― 読者は悟れ ―、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」。我々は「憎むべき破壊者」を見極め「悟れるかどうか」にかかっているという。見誤ってはならず、いつも悟ることが出来るよう、くまなく世を見続けねばならないとマルコは語る。

我々信仰者は知っている。終末の出来事は「恐怖」ではなく「最終的な審判の時」である。言わば、この世の混乱した結び目がほどかれる時、それが終末である。決して恐怖ではなく「祝福」だ。我々は自信を持って終末の備えをしたい。